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takayama
2020年4月30日 17:15
数をこなすことを自分に課した一年が過ぎると真治にも安定した顧客がつくようになった。そのことによって当初の目的である金と地位を得た人間の生態をじっくりと観察する時間を得ることができた。真治は富裕者というものをその特徴によって区別し、いくつかのグループに分類した。一つ目のグループは堅実派と真治が名付けたグループで、その特徴は高齢者の富裕層に多く見られた。長い間富裕者という地位にいる彼らは信
2020年4月29日 16:55
緩やかなリズムの音楽が店内の喧騒の隙間から微かに響いていた。ウッドベースの響きが鼓膜を震わせる。「かんぱーい」同じ支店に配属された同期入社の仲間たちがグラスをかかげる。間接照明に照らされたアルコールが柔らかく光る。真治はグラスに入ったジントニックを少しだけ啜った。ジンのにおいが遠い記憶を刺激する。しかし記憶は出来事の断片を表すだけで、その時間の中に渦巻いていた感情は少しも蘇ってはこなかった
2020年4月28日 17:15
失われたものはすでに心にしまった。真治は金と地位を得る闘争を決意した。その戦いの中で今村悠太が残した問いに答えることができるような気がした。「真治はなにを得ようとしているんだ?」金と地位を得たときにはじめて本当に自分が得ようとしたものがわかる気がした。「お父さんのようになってはだめよ」母から繰り返し与えられた言葉の真の意味を明確な自分自身の言葉に変えるべく真治は社会に飛び出した。
2020年4月27日 17:09
時間が経過し、季節が巡った。真治はリクルートスーツを身にまとい、上野公園を歩いていた。桜の木に青々とした葉が茂り、人々が淡い色の装いをしていた。柔らかい光が公園の歩道を照らし、その中を小さな子供たちが声をあげて走り回っていた。真治はそんな風景を煩わし気に眺めた。まるで他人事のようなその風景は強張った感情になにも働きかけなかった。数時間前に行った面接の内容を思い出し、反省点を羅列する。優
2020年4月26日 16:17
今村悠太の遺体は実家の近くの小さな森の中で見つかった。真治からの報告を受けた今村悠太の母が警察に捜索願をだし、それを受けた警察が今村悠太のアパートの周りと実家の近くを捜索した。そして捜索開始の二日後に実家から二キロほど離れた森の中に今村悠太の姿を見つけた。生い茂る樹木の中にゆらゆらと揺れる今村悠太の肉体は木々の間から零れる日の光に照らされぼんやりと光っていた。光の中を飛び回る蝶やアブなどが
2020年4月25日 16:33
「漫画なんて描いてなんになる」僕はいつもそのことについて考えてた。この世の中では、お金が、損得がすべてを支配する資本主義の世の中では、きっと真治みたいに社会の中で生きるために有用な技術を身につけて、そしてそれで出世して金を稼ぐことが正しい生き方なんじゃないかって思う。僕の耳にはいろんな「声」がそのことを伝えてくる。「お前の描いた漫画なんてだれが読む?」「だれがそれに金を払う?」「そ
2020年4月25日 10:22
真治へ真治にどう伝えたら今の僕の状況がわかってもらえるんだろう。きっとあまりにも荒唐無稽で真治に笑われてしまうんだろうね。「お前は漫画の読み過ぎだ」って。僕も実際はそうなんじゃないかって思う。これは漫画の読み過ぎで現実と虚構が頭の中でごっちゃになってるんだって。でもね、これは本当に起こっていることなんだ。なぜって、ぼくはしっかりとそのことを認識しているし、頭の中だけじゃなくて、目に
2020年4月24日 17:10
冬休み最後の日、真治は今村悠太の実家を訪れた。今村悠太の母も今村悠太と連絡がとれないことに困惑していた。彼女が言うには正月には帰ると連絡があったが、その後連絡がとれなくなった。今村悠太が住んでいるアパートに行ってみようと考えたが、恐ろしい考えが浮かび、ぐずぐずしているうちに今になっているとのことらしい。真治が「じゃあ、オレが見てきます」と告げると今村悠太の母は大袈裟に礼を述べ、今村悠太のア
2020年4月23日 17:28
テレビの中ではお笑い芸人が大げさな身振りで喋っている。芸人が動くたびにテレビから人工的な笑いが響く。真治はこたつに肘をつき、それをつまらなそうに眺めていた。大学に入って二回目の冬休み。久しぶりに実家に帰ってきた真治を母は過ぎるほどの気遣いで迎えた。こたつの上には有名デパートで注文したおせち料理と上等な日本酒がのっている。真治はグラスを口に運び、冷たい酒をちびちびと飲む。大学の友人とのつきあ
2020年4月22日 17:18
大学生活を真治は小さな感動とともに過ごした。高校までの学生時代とは違い、大学には強制というものがほとんどなかった。行動だけでなく身体まで規則で縛られていた学生生活からは考えられないほどの自由がそこにあった。授業の時間以外の行動を制限されることなどなく、服装や髪形も本人の自由だった。毎日行われる授業ですら強制されることはなく、ただ結果としての留年はあるものの、単位さえとれば教師からなにかを言
2020年4月21日 17:06
真治がはじめて一人での生活を営むことになった部屋は東京の郊外にある1kのアパートだった。玄関をあがってすぐ左手にバス・トイレ共用の部屋があり、その少し先に小さなキッチンがある。奥の部屋は六畳ほどの広さで東側にベランダがあった。床はフローリングで内壁は白いクロスで覆われている。床と壁にはよく見ると小さな傷があり、真治の前にそこに住んでいた人間の痕跡が残っていた。エアコンははじめから設置されており
2020年4月20日 17:07
「じゃあ、真治は何を学ぶんだ」沈黙のうちにも雄弁に語る今村悠太の瞳に真治は態度で返答した。真治は大学で様々な学問に触れながら、経済学へと軸足を移していった。空白に意味を見出す虚ろな学問ではなく社会を支配している金、その仕組みを会得したかった。今村悠太に言わせれば経済学こそ虚学の最たるものに違いない、真治は静かに光る今村悠太の瞳にその意味を感じ取った。確かに悠太から見れば魔法のようなもの
2020年4月19日 14:47
春が去り、夏が過ぎ、秋が遠のき、冬が終わった。季節が一回りする間、真治はただ勉強だけに没頭した。アルバイトをやめ、学内のコミュニケーションも遠ざけた。ときおり今村悠太と図書館で話をする以外は知識を記憶することに時間を費やした。快楽への誘惑はいくらでもあったが、時間と思考を奪っていくものは悪だと決めつけ、余計なものはすべて排除した。知識と情報を記憶し、記号を組み合わせた。真理子さんとの記憶は
2020年4月18日 14:03
柔らかな光が桜の蕾を照らしていた。ぷっくりと膨らんだ蕾は淡く色づき微かな匂いを放っていた。真治は芝生に横になりながら春のにおいを身体に染み込ませた。グラウンドでは中学生が白いボールを追いかけている。「バッチコーイ」の掛け声が耳に響く。「勉強は休憩か?」今村悠太が真治の隣に座り、缶コーヒーを差し出す。「お前はまた文学か?」真治は身体を起こし今村悠太の差し出す缶コーヒーを手に取る。熱が