【長編小説】父を燃やす 4-9
今村悠太の遺体は実家の近くの小さな森の中で見つかった。
真治からの報告を受けた今村悠太の母が警察に捜索願をだし、それを受けた警察が今村悠太のアパートの周りと実家の近くを捜索した。そして捜索開始の二日後に実家から二キロほど離れた森の中に今村悠太の姿を見つけた。
生い茂る樹木の中にゆらゆらと揺れる今村悠太の肉体は木々の間から零れる日の光に照らされぼんやりと光っていた。光の中を飛び回る蝶やアブなどが光と影の間を行ったり来たりする。森から立ち上る大気が粒子となって今村悠太の周りを覆っている。
今村悠太の姿をはじめに見つけた警察官はその不思議な美しさに仲間を呼ぶことも忘れしばらくの間、呆然とその姿を見つめていた。
神聖なものを前にしたような敬虔な気持ちが心に生まれるのを感じた。その警察官にとってそんな気持ちは生まれて初めてだった。遺体に対する同情や痛ましさなら幾度も感じたことがある。しかし、遺体に信仰心を抱くのは初めてだった。
彼はあの世とこの世の境界に立っている自分を自覚した。そしてこの世で自分が担っている職務を思い出した。早くこの遺体を家族のもとに返し、慰霊してやらなければと思った。彼は携帯電話で仲間に遺体発見の報告を行い、そして深々と遺体に向かって頭を下げた。
無言で帰宅した今村悠太を前にして今村悠太の母は全ての力を失ったようだった。真治は泣き続ける今村悠太の母に代わって葬式の手配や親戚への連絡を淡々と行った。地元の葬儀屋へ連絡をし、通夜と告別式の日程を決めた。今でもやりとりのある親族へ連絡し、通夜と告別式の日程を連絡した。
親族の数はそれほど多くはなかった。今村家の祖父母と今村悠太の母の姉ぐらいなものだった。
今村悠太の母は今村悠太の父への連絡は断固として認めなかった。そこにどんな事情があるのかわからなかったが真治は言われた通りに動いた。仮に自分が死んだとしても父には葬式に来てほしくないと思った。そして「父」という存在は一体なんなのだろうと考えた。
告別式には中学時代の同級生も参列していた。同級生たちは身体を寄せ合うようにして泣き、そして祈りを捧げていた。
こいつらに悠太の思い出なんてあるのだろうか、
真治は悲しみを帯びた身体を丸めて焼香をする昔の同級生を猜疑の目で眺めた。
悠太のなにをこいつらはわかっているんだろうか。
その猜疑の目は自分自身にも向けられた。
オレは一体悠太のなにをわかっていたんだろうか。
不思議と涙は沸いてこなかった。ただ冷徹な視線と思考が参列者と自らに向けられていた。
悲しみは、確かにある。大きなものを失ったという意識はある。ただ感情が固く強張り、外に放出されることを拒んでいた。
人は死ぬものなんだ、そんな言葉が頭に浮かんだ。その言葉はどんな熱も持たずただの記号の羅列として響いた。自分が言葉をもてあそぶ機械になったような気がした。
険しい目つきで今村悠太の遺影を見つめる真治に母が「我慢しなくていいんだよ」と肩に手を置いた。母はハンカチで目じりを押さえながら鼻を啜っていた。「我慢なんかしてない」真治は吐き捨てるように呟いた。肩に人間の熱を感じた。
今村悠太の死後、真治は強張った感情を抱えたまま時を過ごした。ただ漠然と授業に出席し、アルバイトをこなした。情報はすんなりと記憶され、身体は習慣化された動きを反復した。
時間は過ぎていった。しかしその過ぎ去っていく時間に確かな手触りはなかった。コマ送りされる映像のように、明確な輪郭を帯びて映りながらも、それはただ過ぎ去るのみだった。真治は動かない感情の中で大学生活を過ごしていった。
真治のただ過ぎていく時間とは違い陽菜の時間は止まったままのようだった。ほとんど毎日自分の部屋にひきこもってただ泣いていた。陽菜の中に記憶された悲しみは時間の経過を無視していつまでも繰り返されていた。
陽菜は今村悠太が書き残した漫画の束を自分の部屋にしまいこみ、誰にも見せようとはしなかった。そして自らもそれを読もうとはしなかった。真治もそれを読みたいとは思わなかった。少なくともまだそれを読む資格が自分にはないような気がした。
母はときおり今村悠太の母のところにでかけるようになった。そこで今村悠太の母から今村悠太の思い出を聞く役割を果たした。
今村悠太の母は幼いころの今村悠太の話を何度も繰り返し、その度に泣いた。そして最後には自分を責め、自らの人生を悔いた。母はそんな彼女を優しい言葉で慰めた。慰めれば慰めるほど今村悠太の母は後悔の念を募らせた。今村悠太の母はまるでお年寄りのようになってしまった、母は真治にそう告げた。
それぞれが失ったものに対する虚脱感を胸に抱えていた。そのぽっかりと空いた穴を埋めるためになにが必要なのか誰にもわからなかった。時間がただ過ぎていった。
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