【長編小説】父を燃やす 4-1

春が去り、夏が過ぎ、秋が遠のき、冬が終わった。季節が一回りする間、真治はただ勉強だけに没頭した。アルバイトをやめ、学内のコミュニケーションも遠ざけた。ときおり今村悠太と図書館で話をする以外は知識を記憶することに時間を費やした。

快楽への誘惑はいくらでもあったが、時間と思考を奪っていくものは悪だと決めつけ、余計なものはすべて排除した。知識と情報を記憶し、記号を組み合わせた。

真理子さんとの記憶はもう邪魔をしなかった。その記憶は頭の奥の小さな箱に鍵をかけてしまわれた。それが開かれることはもうないだろうと真治は思った。少なくとも今はそんなもの必要ない。

新しい春と同時に真治は新しい舞台に足をのせた。志望していた都内の国立大学は真治に門戸を開いた。

母と陽菜は大袈裟にそのことを祝福し、二人からのプレゼントだと言ってCASIOの腕時計を買ってくれた。ただでさえ進学に際して金をかけさせた母からこんなものはもらえないと言う真治に母は「いいからもらっときないさい」と腕時計を真治の手に握らせた。

真治は腕時計を箱に入れたまま引っ越し先の戸棚の奥にしまったまま滅多なことではそれをださなかった。ときおり都内の真治の家に遊びにくる陽菜は使用されない腕時計に同情の言葉を寄せ、普段は有用性、有用性と言っている真治をよくからかった。真治はその度に「それを使う必然的な機会がそのうちくるんだ」ともっともらしいことを言って陽菜の嘲笑に答えた。

今村悠太は地元の公立大学の文学部に進んだ。

真治の「文学なんて何になるんだ?」という問いかけに今村悠太は「オレにとっては有用性があるんだ」と反論した。

「文学部なんて就職になんの得になる?」

「オレは就職なんてしないし。漫画家になるんだよ」

「じゃあ漫画の専門学校にでも行けよ」

「まずは文学から学ぶんだ」

「技術だろ、大事なのは」

「技術もそうだけど、物語を書くという本質を学びたいんだ」

「物語の本質なんて形式の問題だろ」

「なんだよ、形式って」

「決まったフォーマットがあるんだろ?小説にしろ、漫画にしろ」

「あるといえばあるけど」

「決まった形式に情報を組み合わせていけばできるんだろ、物語なんて」

「できるのはできるだろうよ」

「じゃあ、文学なんて学ぶ意義ないだろ。形式を覚えて、情報を集めればいいだけだろ」

「そういう問題じゃないんだ」

「じゃあ、どういう問題なんだよ」

真治の問いかけに今村悠太は黙り込んでしまう。

幻想なんだよ。真治はそう思う。

文学に特別な何かがある。文学だけではない。音楽も、絵画も、演劇も、特別な何かがあるということだけがその存在意義なのだ。

それを深く洞察しても何もでてこない。何も出てこないことにある種の人たちが神秘性を見出しているんだ。

そもそも神秘なんてものを真治は信じなかった。真治にとって神秘とは空白のキャンバスになにかの意味を見出そうとする愚かな人間の性だった。

何もないものに自分勝手な意味を見出す。それは人間の幻想であり、幻想である限り現実に何の作用も起こさせないものだった。

現実を変えることのできないものは無価値だった。

真治は黙りこくる今村悠太の背後に父を見たような気がした。父は真っ白なキャンバスを空白で塗りつぶしていた。

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