【長編小説】父を燃やす 4-4

大学生活を真治は小さな感動とともに過ごした。高校までの学生時代とは違い、大学には強制というものがほとんどなかった。

行動だけでなく身体まで規則で縛られていた学生生活からは考えられないほどの自由がそこにあった。授業の時間以外の行動を制限されることなどなく、服装や髪形も本人の自由だった。

毎日行われる授業ですら強制されることはなく、ただ結果としての留年はあるものの、単位さえとれば教師からなにかを言われることはなかった。

そこで求められているのは自主性であり、目的をもって大学に入学してきたものにとっては快適な空間だった。

自ら定める目的に向かって自分なりの考えで行動する。それは真治が幼少期からずっと心掛けていたことであり、求めていた環境だった。

先輩という年齢が上というだけで偉ぶる人間もテストの点数を巡って競争相手を蹴落とそうとする人間もそこにはいなかった。みなが自分のなすべきことを淡々とこなしており、遊びたいものは遊び、勉強したいものは勉強する、そんな当たり前の空間がそこにはあった。

真治は授業を欠かさず受け、大学で知り合った数人の友人と遊び、生活のためのアルバイトをこなした。おだやかでゆるやかな時間がそこには流れていた。時間が真治に休息を求めているようだった。

授業もなく、アルバイトもない日、教科書との睨めっこに飽きた真治はよく街を散歩した。

東京とは不思議な都市だった。一つ一つの街に特色があるように見えても、実際にそこを歩くとすべての街に同じ店があった。マクドナルド、ドトールコーヒー、すきや、ファミリーマート、TSUTAYA。

同じ店を含みながらもそれぞれの街には俗称を持った固有性があった。

「アニメの聖地」秋葉原、「サブカルの聖地」中野、「若者の街」渋谷、「眠らない街」新宿。

「いつでもどこでも同じもの」と「そこにしかないもの」が混然と混ざり合い、そこに暮らす人々は状況に応じてそれらをうまく使い分けていた。真治の暮らしていた地方都市はその劣化したコピーのようだった。

東京には固有と一般の混沌があり、その混沌を覆い隠す洗練があった。

真治はそんな街の様子を大学で学んでいる理論に当てはめながら眺めた。需要曲線と供給曲線の中に含まれる一つ一つの企業、店と一人一人の消費者として街を行き交う人々を観察した。

果たして彼ら彼女らは最大限の効用を得るための行動をしているのだろうか。

チェーン店でささっと食事を済ませるサラリーマン、フィギアを真剣な目で選別する若者、ポップな色の洋服をお互いの身体に重ねあっている女子高生。

人々は欲望と効率をその時々の状況に合わせて判断し、自分にとって最も有用性の高い選択をしているようだった。彼ら彼女らは理性によってそれをしているのではなく無意識のうちにそれらを選んでいた。

まさしく最も効用を得られる行動をしている人々だったが、そんな彼らの目はいつも不満足そうに淀み、現実に飽き飽きしているようだった。

もっと上等なものを、もっと新しいものを、もっと人と違うものを、彼らの目はそう語っているようだった。企業はそんな人々の要求にこたえるかのように自らの商品を大きな声で宣伝していた。

個別と一般、欲望と効率で彩られた東京の景色は真治の生まれ育った地方とは違った景色をしていた。そこには無秩序に氾濫する自然はなく、きらびやかなネオンに彩られた看板や大きく引き伸ばされたスタイリッシュな広告であふれていた。

真治は緑で覆われている地元の景色を思う。季節によって色を変える山々、風に吹かれて揺れる木々、意味を感じさせない鳥の鳴き声。

それらは真治の感情によって都度、心象を変えていった。自然は明確な意味を真治に与えず、そこに現れるのは自分の心の揺れ動きだった。

そんな非意味に満たされていた風景は東京にはほとんどなかった。明確な意味と意図を持った広告が常に視界に入り、真治の意思を動かそうとする。純粋な欲求に関係なく常に選択を迫られる。たとえその広告の意図を無視したとしても、そこにはその意図を拒否したという選択が記憶に蓄積される。

自分の心のままに変化する自然の寛容さはなく、欲望をかきたて選択を迫る強迫性だけがそこにはあった。人々はその強迫にさらされながら無意識の判断を眠るまで続けていた。

なんて忙しない街なんだ。

色とりどりの記号に溢れた風景に囲まれながら真治は目が回るような思いだった。大学での勉強を現実と照合するためのフィールドワークを行いながら真治は欲望と効率の街にゆっくりとなじんでいった。

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