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ここ半年の大きな変化!執着を手放して競争から降りる決意!カレー屋さんをやめる理由!

こんにちは!
中村剛士です!
生後?日目です🌸

突然ですが、カレー屋さんをやめることにしました。今は執着してたもの、恐れ(概念)などをいったん全て手放しています。

僕は今真の愛を追求しています。
三歳の頃の魂が戻り、
五感では感じられず認知できない、
確実にある「なにか」を感じ取っています!

意味がわからないと思うので、
自分の中にあった変化を時系列で書きました。

変化を説明するには生い立ちから書く必要があるのでそのへんから書いてます。
文をうまく書く、伝えるとか全く考えずに箇条書きな感じで書いたのでそこはご愛嬌でおねしゃす!!ハス!!アス!!



父親が複数の会社の経営者。代表。
育った環境が格闘技のジム
格闘技を3歳から習う

競争に勝つことが全てで、
人を支配(コントロール)して幸せを掴む。ことを感覚で少しずつ知っていく。
競争が真理としてある世界線に入り込んでく。
役職が偉ければより支配(良い意味でも悪い意味でも)できるし、他者より肉体的に強ければよりコントロールできる。

支配欲→お金や社会的な地位名声、頭の良さ、外見の美しさや格好良さ、スペック、ブランド物など外のパワーを求める欲求につながる。
支配。と聞くとイメージは悪いが場を支配(コントロール)することで他者に優しく出来たり、他者をよりベスト、合理的な選択にさり気なく導いたりと社会的な優しさを与えることもできる。
もちろん刷り込みなど私利私欲のための悪い方にも使える。

小1
レスリングも水泳もほどほど。
学校では殴られたりしてよく泣いてた。
自分が社会的な実績など何も持っていなくても母さんの愛を感じていた。

中村家は母さんが子育てをすべて行い、お父さんは子育てに一切関与しないスタイルでした。だからお父さんと出掛けて遊んだ思い出とかは無い。

小2
レスリングと水泳の才能が急激に開花。
レスリングでは全国で一番に、
水泳でも県大会優勝したり全国規模の大会で一番になる。

母親が大喜び。
人生で一番褒められた。
それが本当に本当に嬉しかった。
学校でも一番のガキ大将だった子をボコボコにしたりして学校で喧嘩の一番強い子になった。
そんな中で色々と自信がつき、小1のときよりのびのび楽しく生きられるようになった。

競争で勝つことで人を支配(コントロール)できるようになることを学んだ。支配することで不安から逃れ安心出来ることを感覚で学んだ。
そして競争で勝つことで親から「条件付きの愛」をもらえることを知った。
条件付きの愛とは相手の利益を満たすことでもらえる条件付きの愛。今の日本の子育てのスタイル。親のニーズを満たせば子は褒められ満たせなければ褒められず、怒られたり。といったスタイルのこと。今、子供から大人まで日本人のほとんどがこの世界、人生で求めているもの。
その行動原理の根源には恐れがある。
その恐れとは肉体的な死、社会的な死、愛を失う恐れのこと。

競争で勝つことで条件付きの愛を学び、
恐れから逃れ安心感を得て自由に生きられることを体験した。

その後、小4の全国大会で一回戦負けする。
母親に人生で一番怒られる。

とにかく母から出る怒りのエネルギーが凄くて凄くて。とんでもなく怖くて、怖いを通り越して感情が無くなったを今でも強く覚えてる。
何か大切なものが壊れてなくなった感じ。
何かが無くなり、自分が無くなった。
それまであった生きてる感覚がしばらく無くなりその感覚のまましばらくの間人生を生きた。

レスリングはもうやめさせる。と負けたあとに言われショックだった。当時水泳が嫌いでレスリングが大好きだったから。レスリングは大好きだけど負けるのが辛いから練習も真面目にやらなくなった。真面目にやらなければ負けたときの言い訳ができるから。レスリングは大好きだけど負けたら愛を失うからそれが怖くて嫌になった。

競争で勝てないと(親のニーズを子が満たせないと)愛はもらえないものだと知る。
愛とは条件付きなのだと知る。
他人から評価や条件付きの愛を得るため、
愛を失う恐れや死の恐れから逃れ安心感を求めるためにこそ競争はある。
それに勝たないと愛は、恐れを凌駕する安心はもらえないものと知る。
子供のときは親に愛されない=死でもあるので、本当に混乱した。
兄貴がとにかく何事も強くて凄くて人を引き付けるカリスマ性に溢れていたために、兄に母親を取られてしまう。愛を取られてしまう。という危機感、恐れに襲われるようになった。
競争の相手はいつもそんな何かが他の人とは圧倒的に違う素晴らしい兄であった為に競争の基準がそもそもあまりにも高かった。
俺が競争していたのは大会の自分と同じトーナメントにいる同級生のライバルたちではなく、
兄だったから。(兄も俺を、俺が思うのと同じように脅威を感じていたと思う。)

ここまで読めば分かると思うが、
中村剛士はかなり多感で繊細です。
昔から多感で、皆が体験してないと思われるような不思議な体験もちょこちょこしてました。
あらゆるエネルギーに敏感でしたが、
この話をすると当時、嘘つき。嘘つきマン。と言われたので誰にも話さなくなりました。
繊細で多感な個性はどんどんネガティブな方向でその凄みを増していくことになります。


いつの間にか、
競争で勝って褒められ条件付きの愛を獲得して恐れから逃れ安心感を得る。
このことだけが人生の目的となる。

成長していくと、
競争で勝つこと以外でも条件付きの愛を求めるようになる。競争に勝てなくても人に優しくすることが出来れば条件付きの愛をもらえることを知ったから。そして「人に優しくする、人を助ける。対価として愛をもらう。」というルールが支配の人格に加わった。その結果として社会が定義した「人に優しくする」ことをとことん覚えていく。
支配の人格にこのルールが加わったことでとことん我慢することも覚える。

人に優しくするにはその人が何を考えているのかを知る必要がある。だからその人が今何を考えているのか、どう思い感じているのか。を元々多感で繊細であったのにさらにそこに磨きをかけて多感で繊細になり、考えて考えて、感じて感じて日々を生きるようになる。

条件付きの愛を強く求めるようになると、
それに比例して恐れも強くなります。
肉体的や社会的な死への恐れ、愛を失う恐れ。
これら恐れから逃れるために条件付きの愛を求めるけど、それを求めるほど更に恐れが増すというのは真理だと思います。追い求めるほど怖くなるのです。

愛を強く求めるが故に恐れを増幅させながらも
競争で勝つことと他者に優しく接することを日に日に徹底するようになる。
競技で勝つことよりも人に優しくするほうが簡単に条件付きの愛を獲得出来ることにも気が付き始める。社会が定義した人への優しさをより確実に強く実行するためには、自分が支配側の人間に回る必要があるために自分と他者を支配する人格がどんどん強くなっていく。支配できるということはコントロールできるということだから優しくできるんです。

そのようにして人が何を考えているのかを考える力、察知する力がグングン良い意味でも悪い意味でも増していく。自分を殺して人に優しく接するのが支配の人格。この人格はとにかく自分をいじめる性質があります。

この支配の人格のおかげで社会の定義する人間性をグングン身につける。
その一方で完璧主義(結果主義)で弱さを見せられず、他者と自分を支配する人格もどんどん強くなる。経験を楽しむことはすっかり忘れる。

父親の会社も失敗して自己破産して家も車も生活も何もかもあっという間に変わって、人も離れていって。3階建て広い庭付きの家から一瞬で団地になって。という体験もこの結果主義や居場所を失う恐れから条件付きの愛を求める支配の人格を強めた大きな出来事になった。
この体験の意味を歳を重ねた後に理解して、
競争に負けると何もかも失うことを改めて知った。(当時は中1だったから感覚でしか分かっていなかった。)

そのようにして競争に勝つために「頑張らない」事が出来ない性格になる。なぜなら支配の人格が強くなるたびに愛を失う恐れがどんどん強くなるから。けど、支配の人格のおかげで競技成績が出たり人望も厚くなった。感謝。

その一方で心は日に日に削れ、魂を失っていった。支配の人格が本当の自分にいつの間にかなっていた。同化して乗っ取られていた。
心が削れていくことに比例するように怪我も病気もどんどん増えた。大学では誰が見ても意味がわからないくらい怪我と病気を繰り返すようになった。俺の心が本当に壊れたのは大学だったから。

俺をよく知ってる人ほど、
この記事を見て、そうなの??って色々なると思う。そりゃそうです。心の奥底にある恐れと逆の人格を作り出すのが人間なので。だから図太さを演じ続けた。人とは何か違う俺を演じ続けた。

大会で結果を出すどころか大会に出られないことすら当たり前になってる現状に支配の人格はレスリング以外で価値を作れと支配してきた。

だから勉強を始めた。

カレーを作り出した。

大学三年生の夏に骨が何個かに割れる大きな怪我をした時、ついに心がぶっ壊れた。

あ、心がぶっこわれた。小4の時と同じだ。
と感じた。

もう生きる意味を見いだせなくて、
なんで生きてるのだろう、
生きている意味ってもうないな。
とか本当に考えた。
生きることに無関心になるんですよ本当に。
どうでも良くなるんですなにもかも。

レスリングにもとうとう無関心になり自分の全てを消失した。心、脳、肉体共に長年の負荷の積み重ねによりキャパオーバーだったと今は分かる。多分、人って度を超えると無関心になるですよね。

それから3週間程たち、人生に無関心になったことで支配の人格からのストレスが逆に無くなり心が少しずつ少しずつ回復した。

そんな中で、

「もうなんでもいいから、幸せにいきたい。」

という想いが心の奥底から強く強く湧き出てきた。

その瞬間、人生の目標が定まった。

幸せに生きる。そのためにも人として成熟する。

つまり人間性を限界まで高めるということ。
競技目標の更に先にある人生の最大の目標として大学3年のとき、このことが定まった。

それから毎日自己流の幸せ日記を書くことにした。このことは以前のnote記事にも書いてます。

当たり前の小さな幸せを毎日見つけるようにして寝る前にそれを日記に書く。
不幸やネガティブなこと、ネガティブ思考に気がつけたら、なぜそれが起こりどうすればそれが解決されるのか、繰り返さないのか。
を徹底して深堀して日常生活に組み込んだ。

そんな中で、外の環境を変化させるのではなく自分自身内側、マインドを制御するこちこそが一番大切なことに気がつけた。

今思えばこのときから既に悟りに向かうための準備がされていたと感じる。

それからは、生きることが少しずつ楽になった。日常の幸せを取り戻せるようになってきた。

いらない自分のルールや思考パターンを把握できるようになった。手放せるものは手放して生きて、この習慣を続ければ人間としての成熟に到達する。と確信していた。

だけれども主人格が支配の人格なのでそれすらも無意識に支配されていた。
支配の人格の手のひらの上でした。
結局我慢してるだけでした。

心がぶっ壊れたあとに少し支配の人格と仲良く出来た時期もあったのですが、
レスリングに関心が戻るとすぐにそれは元に戻ってしまいました。人の恒常性って凄い。笑

要は支配の人格が不要なものを手放していただけです。その証拠として人の評価を気にする自分や他者への過剰な優しさや気遣い、自身への異常な我慢力は自分の中であまり変化しなかった。

生活の中にそれらの意識が入らないように沢山の取り組みをしたが結局制御は出来ませんでした。言動や表情、声色などは制御できるけど結局大なり小なり自分が我慢してそれらは行われてました。

大学四年生では競技成績はあまり出てなくても、独学でカレーを勉強してカフェに営業かけて売り込んで自作カレーを出す。ところまでいつの間にか支配の人格に運ばれていった。

このことは、競技成績が微妙でも付加価値をつけることで中村剛士の価値を保つことに成功した。

後に競技を引退した。
引退することで沢山の呪縛から開放されやっと本格的に幸せになれる。と感じていた。
しかし支配の人格が主人格であることは変わっていないためにそれは訪れなかった。

次のステージでは、
競争に勝つためにも、人からの愛を得るためにもとにかく勉強勉強勉強。

次はこの呪縛であった。
この勉強の呪縛はやばかった。
運動と違ってずっと出来ちゃうから。

支配の人格はとにかく生産性と処理を求めるので休み時間も休めなかった。
やることやりながら、一日8時間勉強しても夜休んでいると不安にかられ落ち着くことが出来なかった。

「何休んでんだ、今勉強できるぞ。勉強はレスリングと違っていくらでもやれる。怪我もしない。生産性上げてこ」って言ってくるんです。笑

中村剛士という価値を落とさないためにも、
競技を20年間やって、
何回もチャンピオンにもなって、
その次の年に23歳でトレーナーと飲食業を一人で開業。というところまで支配の人格に運ばれました。感謝。

開業しても常に自分を支配して生産性を求めるから、とにかく時間があれば勉強。勉強。勉強。
休み時間もずっと心が落ち着かない。
休みながらも読書はいけるんじゃね??
ってまじで言ってくるんですよ。笑

カレーもトレーナーも、
どこかの組織に属してから、就職してから資源や横の繋がりを作って開業したのではなく、
最初から独学でどこにも属さず一人で歩いて、
一人で開業したからカレーもトレーナーのステージ共に「仲間」がいなかった。
同期も後輩も先輩もいない。
組織に属したこともないから同業者の繋がりもほとんど無くて。

勉強するための時間を作るために働く時間は減らしつつ勉強代にお金は全ベットしてたから、
休みの日でも遊ぶお金もなく出掛けることもできずにずっと一人でまた勉強して。のスパイラル。
勉強は教材購入しなければ無料だから。笑

競技引退してから、
喜びも悲しみも共有できる相手がいなくて。
同じステージや業種じゃなくても話せる仲間はいたのに、弱さを見せる、不完全でいることは他者を支配できなくなるから支配の自分から許可が降りなくて。許されなくて。

俺自身が既に支配の人格だから心の扉にいつも鍵かけていて、居場所を失わないように絆を失わないようにどんなに親友でも頭フル回転させながらコミュニケーションをとるからそれももうきつくて。

完璧主義がゆえに、
愛に飢えているが故に周りに不完全、出来ない、知らないを演じるのももう辛くて。
完璧なやつって嫌われやすいから知ってても知らないふり、出来るのに出来ないふり。

そんな生活を引退してから1年半過ごしていくと、不眠症、食欲不振、圧倒的な下痢、一日中終始止まらない不安が日に日に強くなり人生3回目のぶっ壊れが訪れました。
noteにも当時のことがリアルタイムで書かれています。

それを機に
親と沢山のことを真剣に向き合い話し合い、
最後に「愛してる、ありがとう」と母に面と向かって言えたその瞬間から何かが変わり始めました。

支配の人格が少しずつその正体を見せてくれるようになりました。同化してたものが、乗っ取られていたものが少しずつ乖離していきました。
と同時に本当の愛の片鱗が少しずつ見えてくるようになりました。

そこからは自分の意識、自分という存在と改めてもっともっと向き合う習慣がつきました。
とにかく、やりました。
やる力はやっぱりあると便利。

そんな中で、
栄養学を学んでいるときにふと一つ悟りました。
「全ての恵みや奇跡、その循環の中に自分は生かされている」と。

このことが体験として起こりました。
処理じゃなくて体験として。
要は真に理解することができたってことです。

この体験はこれまでの体験(処理)とは意味が異なります。今までの人生の体験は処理でしかなかったんです。処理の人生から少しずつ体験出来る人生に変わり始めました。

あらゆる事象が処理じゃなくて体験になると本当に凄いんです。心の深部から変化がおこります。
本で読んだ知識、それを日常生活のなかで繰り返し頭の中や行動で実践して長期記憶として保存して習慣化する。みたいなことではなくもっと違う領域での理解が起こります。
処理や我慢、操作じゃなくなるんです。
体験なんです。
過去にも未来にもとらわれず真に今を生きるんです。今を生きる。とはどのようなことかやっと分かりました。同じ日常でも、全てが初体験。
明日がもし今日と同じ事象しか起こらなくても全てが初体験。が起こります。

このことを機に、
人生がどんどんと面白くなりました。
導かれるんです。本当に。

本当の愛を知るために必要なことが勝手に自分の目の前に現れて処理じゃなくて体験させてくれるのです。五感では認知出来ない知覚も少しずつ戻ってきました。昔少し感じていた違和感、エネルギーです。

このように日に日に「何か」に導いて頂けることが多くなりどんどんと愛を深めました。知りました。少しずつ悟りを開いていきました。

そして気がついたら二重人格になりました。笑

魂と支配の人格の2つです。

このことにより主人格が支配の人格ではなく、
魂の人格と主人格の2つになりました。
支配の人格は魂の人格を支配しようとするけど、日に日に魂の人格のほうが割合が大きくなるのでどんどんと本当の幸せや愛を感じるようになりました。

だけど、
限界を少し感じてました。
これ以上は魂の割合を大きくできないと。
この時代で生きるにはこの競争の人格も必要だってことなのかーと捉えていました。

そんな中で、
僕の人生の初めての友達(僕は今まで友達がいなかったことに気がつけました。自分が心を閉ざしていたから。)が僕のこの支配の人格に思いっきりヒビをバキバキっと入れてくれたんです。

僕の目をまっすぐに見て、
「完璧じゃなくて良い」
「弱さをみせてよい」
「100点じゃなくて良い」
「人生は本当に自由なんだ」

と伝えてくれました。本気で。
それは紛れもなく本当の愛でした。

他人からこう言ってもらえたのは始めてで。
ずっとこの言葉を待ってました。

愛の力が僕の殻に大きなヒビをいれてくれました。

そして始めて友達ができた。
と体験しました。

次の日起きると、
嘘みたいに心と頭、体が軽くなりました。

ずっっっと悩まされていた慢性疲労症候群が一夜で治ったんです。笑
うそーん!って感じです。

頭の中のおしゃべりもピタッと止まりもう意味がわからないくらい最高でした。ありがとう。

一夜であらゆる変化が起こりました。

その変化は様々ですが、
声の出方、左の体幹へのエネルギーの入り方が分かりやすく変わりました。

自分の体から出てる声が明らかに違いました。
支配の人格ひび割れの次の日、
一人でカラオケに行きました。

そしたら声が鳴りました。
今まで強引に出していた声が、
スーっと自然と出て鳴りました。

僕は大学に入ってから声が出なくなってしまっていたのでとても驚きました。意味がわからないかも知れませんが大学から声が全然出なくなったのです。喋れなくなるときも頻繁にありました。

それがすっとなくなりました。

歌ってるとあまりにも楽しくて笑顔で溢れました。気づくと幸せいっぱいな気持ちに包まれながら涙がボロボロ嘘みたいに流れてきました。
泣き笑いです。もう漫画の世界のやつ。笑

僕の中で何かやばい物がついにぶっ壊れ始めたのだと確信しました。

それからは「何か」とより深く繋がり始めてるのも感じています。
そして沢山の変化が物理的にも第六感という面でも起こってます。

人生は本当に自由でよい。

このことを体験しました。

不完全な状態こそが完全であることも体験しました。いつもの日常生活がこんなに楽しくて最高にハッピーであることが許されるのか?!
と思ってしまう程にです。
不完全が完全。最高。

だから僕は、カレー屋をやめます。

カレーは社会が定義した成功者になるためにやっていたことなので。
もちろん他の想いもありましたが、
一番は外のパワーを手に入れたいという欲望でした。

いずれまたやりたくなったらやるかも。
次はメキシコ料理かスープがいいな。笑

学ぶことはやめません。
なぜなら知識を得ることは僕にとってエクスタシーだからです。

今までは恐れが行動原理として勉強をして知識を得ていましたが、今は好奇心が行動原理です!
やりたいときにしかやらないけどね!ヘッヘン!
 
そしてしばらくは、
その日暮しでお金をためて、
溜まったら旅行してその土地とつながり叡智を得る。そして愛をどんどん深めていく!
このことをしようと思います!

勉強を無理せず自由に沢山したいのでそのための時間はやはり必要です。
けどその間お金は発生しないので節約しながらもその日暮し程度しか今は稼げていません。
今後もしばらくはそのように暮らす予定です。

ですので、スポンサー募集です!

僕が勉強や旅行して得た叡智を共有する対価として月々の支援や旅行費を出して頂ける方がもしいれば、ご連絡下さい!!

僕は本当の愛を後世に繋ぎます。
本気で日本を、地球をこの愛で幸せにしたいと思ってます。条件付きの愛ではなく。

そのためには本当の愛のバトンを後世に繋ぐ必要があります。

そのためにも今は学びます。遊びます。
まず自己を完全に満たす事が何より大切なのです。自己を幸せにできないと、心から真に愛せないと一歩目を踏み出せないのです。まず自分を満たすんです。僕もまだ心のブロックが完璧に外れたわけじゃないです。これからペリペリ心のブロックはがして、一つになるんです。丸になるんです。

人を満たしたいならまず自分をとことん満たす必要があります。だからこそ人生って本当に素晴らしいと思います。

僕のこの話に興味がある方はご連絡下さい!
一度お話しましょう!!

心の窓を全開にしてお待ちしております😂

最後まで読んで頂きありがとうございました!
今まで心の窓を閉じていた為に僕の視点からは本当の友達はいなかったと感じます。これからは心の窓全開でみんなと会いに行きます。改めて友達に、仲間に、親友に、ソウルメイトになれることを楽しみにしてます!!

愛最高!!

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