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ブラウン運動な社会〜大学4年の時の佐藤ツヨシな考え方〜

社会の中では耐えずブラウン運動のようなものが起きているのではないか
社会の中の人間はブラウン運動をしているのである
というのは福岡伸一さんの「生物と無生物のあいだ」を読んでふと思った。

ブラウン運動は原子の動き
ランダムな原子の動き、といえばよいか
原子は絶えず不規則に動き続けている
水の中に墨汁を一滴
すると墨汁は水の中でモヤモヤと動きながら
やがて平均的に薄まる
濃いところから薄いところへ移動する
というわけではない
不規則に動きながら、結果的に拡散した、と考えるべきである
平均的に薄くなる
とは、平均的に動いたものの他に「平均でない」ものがあることを意味する
ただし、平均的に濃い方から薄い方へ移動するのであるから
墨汁は濃い方から薄い方へ動くように見える、となるのである
平均から外れるものはルートnの法則に従うようである
つまり、100のうち平均から外れるのはルート100、よって10
では、10000のうち平均から外れるのはルート10000、よって100
というように。

生物は原子に集まりであるが、原子の大きさに比べたらどうしても大きすぎるものだ
しかし、生物は大きすぎなくてはいけなかった
原子の数が大きければ平均から外れる数は多くなるが
平均から外れる数の割合は減少するからである

全体100→平均から外れるのは10→割合は10%
全体10000→平均から外れるのは100→割合は1%
全体1000000→平均から外れるのは1000→0,1%

さて、社会を生命体、原子を人間だと捉えると人間は絶えずブラウン運動をしているのではないか
個々人が全くランダムにふるまっている
しかしながら、実は平均的なふるまいが存在している
個をただひたすら眺めれば、ランダムだが
その個を他者との集団の中で見てみると平均的なふるまいをしている
社会には必ず異端がいる
しかし、それは生命がランダムにふるまうからである
社会が広がれば広がるほど異端の数は減るのだが、割合は減少する

個人はランダムにふるまっているようで、平均的なふるまいをしている、とは
個人は自分を自由だ、個性的だと思いながら、社会のフレームワークの中で生きている
そう考えられないだろうか。

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