見出し画像

そうだ、フレディの想いは死なない

【『ボヘミアン・ラプソディ』/ブライアン・シンガー監督】

ラスト21分の圧巻のライブパフォーマンス。

80年代、全世界がクイーンのスタジアムロックに捧げた狂騒的な期待、それを超越していく爆発的なカタルシス。あまりにも高い純度と強度を誇る楽曲、そして、歌声。

それこそが、この映画の全てだ。



革新的なソングライターとして、唯一無二のパフォーマーとして、そして、ロックの未来を照らした先鋭的なビジョナリーとして。45年間の生涯を全身全霊で走り抜いたフレディ・マーキュリー。今作は、彼の波乱万丈の人生、僕たちが知り得なかった苦悩や孤独を丁寧に紡いでいる。

しかし僕は、この『ボヘミアン・ラプソディ』がただの「伝記映画」だとは思えない。

往年のファンであれば、今作からいくつかの違和感を感じ取るだろう。例えば、ラストのライブシーン「ライブ・エイド」のセットリストは、極限まで観客のエモーションを高めるために、物語の流れに合わせてタイトに整理されている。このように今作は、「伝記映画」としての精度を追求することを放棄してまでも、史実にいくつかの改変を加えている。

それら全ては、クイーンの音楽を、2018年を生きる僕たちに、最も正しく届けるためだ。「フレディの遺志を守るため」に、音楽総指揮として製作に携わったブライアン・メイとロジャー・テイラー。彼らの願いは、今作でたしかに結実している。



フレディは、自分たちの音楽が「居場所のない者」「悩める者」「弱き者」「名もなき者」に届くことを心から願っていた。

そして今、時代を超えて、全世界のスクリーンでクイーンの楽曲が鳴り響いている。僕が感動したのは、自分よりいくつも年下の大学生たちが、ラストのライブシーンを観ながら号泣していた光景だ。

クイーンの歌、フレディの想いは、死なない。

今日も世界のどこかで、誰かが口ずさみ、誰かが演奏し、レコードやCD、サブスクリプションを通して、僕たちの日常を彩っている。そして今作が生み出され、異例の大ヒットを記録している。そのあまりにも大きく深い意義に、心が震える。



『ボヘミアン・ラプソディ』が「音楽映画」の新たな金字塔として、後年にまで語り継がれていくのは間違いないだろう。

そうであれば、やはりこの「ライブ」は、今、映画館で体感しておくべきであると思う。



※本記事は、2018年12月2日に「tsuyopongram」に掲載された記事を転載したものです。

「tsuyopongram」はこちらから


【関連記事】


この記事が参加している募集

コンテンツ会議

最後までお読み頂き、誠にありがとうございます。 これからも引き続き、「音楽」と「映画」を「言葉」にして綴っていきます。共感してくださった方は、フォロー/サポートをして頂けたら嬉しいです。 もしサポートを頂けた場合は、新しく「言葉」を綴ることで、全力でご期待に応えていきます。