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地獄へパシられる

ツッコミどころ満載の異様なおもしろさを持ちながらも、惜しくも絶版の『フィンランドの昔話』。
前回はこの本の特徴として、以下の三つを挙げた。

1.約束は破ってもわりとOK
2.地獄に行くハードルが低すぎる
3.悪魔と人間の境界が曖昧

そのうちの「1.約束は破ってもわりとOK」については、「ばあさんズは棍棒を手に手に……」と題してずる賢い狐がうまいことやる話などを例に、ズルをしたり約束を破ってもなんとかなることへの羨望を書いた。

今回は、前回力尽きて書けなかった「地獄に行くハードルが低すぎる」を紹介したい。
『フィンランドの昔話』には、まるでコンビニに行くようなノリで地獄に行く主人公たちがいる。

たとえば、「島の三角形の家」。
一言で言えば、ジェラシーで地獄に行かされた少年が賢くパシられることで、ちゃっかり富を得て、うまいこと邪魔者を消す話である。

昔々、お城の近くに老夫婦と少年が住んでいた。その少年にお姫様が恋をしていることを許せない王は、彼に航海を命じた。
ボロ船を用意した王に少年が「それで、どこへ行けばよろしいでしょうか?」と聞くと、「地獄へでも行ってしまえ!」と王は答える。

とんだとばっちりにもかかわらず、少年は何も言わずに船を出す。
しばらくすると水の女神が上がってきて、どこへ行くのかと尋ねてきた。
地獄へです!」と答えた少年に、「ついでに私の使いもしてくださらないでしょうか?」と女神は頼む。
要件を聞くと、「どうしたら一番しあわせになれるのかを知りたいのです」とのこと。

それは地獄で聞くべきことなのかな?
美輪明宏さんにでもお悩み相談を送ればいいんじゃないかな?

うんとお礼をしてくれるならなんとかしてみましょう」と答えた少年は、たくさんの家畜を約束してもらう。

ここでしっかり対価を要求してくるあたり、相当にしたたかである。

その後、少年は他国に寄港する。
その国の王は少年に、「地獄へ行くなら三つの金の鍵がどこにあるのかも聞いてきてほしい」と頼む。

なくし物のありかなんて、わざわざ地獄で聞くこと?
お悩み相談室の次は忘れ物センターかよ、と再び私はずっこける。

しかし少年は、三隻の船いっぱいの銀を条件に承諾。
そして再び航海に出る。
また別の国に着くと、悲嘆に暮れる王から「地獄へ行くなら、いなくなった三人の姫の行方が知りたい」と頼まれる。

お姫様失踪事件こそいかにも地獄で解決されるべき話じゃないの、とにわかに浮足立つ私。
昔話の展開的には、魔王が連れ去ってるパターンが多いからだ。
けれども少年はあくまでフラットに、これまでの使いっぱしりと同じテンションで了承する。

三隻の船いっぱいの金を条件に姫探しを承諾した少年はさらに船を進め、ついに地獄に着く。
少年が地獄に建つ三角形の小屋を訪ねると、そこには魔王の妻であるお婆さんがいた。
彼女の協力を得た少年は、床下に隠れて魔王と妻の会話に耳をそばだてる。
妻は「こんな夢を見たんだけど……女神がしあわせになる方法を知りたがっているみたい」と魔王に話し、さり気なく少年が聞いてきた質問を聞き出してくれる。
なんの疑いもなく、それに答えていく魔王。

女神がしあわせになるには、少年に地獄行きを命じた王の血を飲めばいい。

えっ、そんな具体的で血なまぐさい解決方法だったんだ!?

王様の金の鍵は、あそこの壁の釘を雄鶏の血で拭けば鍵に変わる。

お前が持ってたんかーい!!

三人の姫の行方は、一人は暖炉の入口に、二人目は糸巻棒、三人目は老婆に変えられて魔王の妻になっている。
雄鶏の血を塗れば、もとの美しい姿に戻れるのだ。

雄鶏の血、万能だな!
ていうかお婆さんも娘の一人だったのね!

翌朝床下から出た彼はお婆さんと二人で雄鶏を殺し、壁を拭いて金の鍵を取り戻し、暖炉や糸巻棒、そして最後にお婆さんを拭いて、彼女たちを娘の姿に戻した。
ついでのように鶏の腹の中に隠されていた魔王の心臓も石で粉々に砕いて魔王退治もあっさりやり遂げ、彼らは意気揚々と帰っていく。

少年は途中の国でお姫様三人と船三隻分の金を交換し、また途中の国で金の鍵と船三隻分の銀を交換し、水の女神にはしあわせになる方法を伝える。
そうして帰国した少年を見て羨ましくなった王様は、さっそく航海に出て水の女神に船から引きずり下ろされ、血を飲まれてしまう。
こうして邪魔者はいなくなり、お姫様と結婚した少年は王になったとさ。
おしまい。

……終わっちゃったよ。
地獄や魔王の恐ろしさは、ほとんど印象に残らない。
むしろ、この話で一番怖いのは水の女神だろう。
自分のしあわせのためなら王様食うんかい。
たしかにいけ好かない王ではあるけれど、だからってそんな嬉々として殺っちまっていいもんなのだろうか。

そしてもう一人怖いのは、もちろん主人公の少年だろう。
それほど恐ろしい場所として描写されていないとはいえ、地獄は地獄である。
ちょっとお姫様と仲よくしてただけで、地獄行き。
王の命令だから逆らえないとはいえ、あまりにも淡々と出港しすぎではないか。
誰かに知恵を借りるでもなく、入念な準備をするでもなく、姫との別れを惜しむでもなく。
彼はさらりと船を出し、女神や他国の王と対等に取引をする。
少年の胆の太さがやたらとまばゆい話である。

肝が座っているだけではなく、少年は相当なやり手でもある。
彼は私の親しんでいる日本昔話の主人公たちとは異なり、事前にしっかりと対価を要求している。

これ、すごくないです?
『舌切り雀』しかり『かさこ地蔵』しかり、見返りを要求しない、いかにも無欲な人物が得をする話が、日本昔話には多いように思う。
こうした道徳に多少なりとも影響を受けてか、私たちもこうした交渉ごとには消極的な態度を取ることが多いような気がする。
「手伝ってほしくば相応の対価を支払ってもらおう」っつーのは品がないよね、という空気が、なんとなく世間一般で共有されているように感じるのだ。

けれど「交渉の大切さ」はきっと、この物語から学ぶべき重要な点の一つだと思う。
だって、この女神も王様たちもタダで引き受けていたらお礼してくれたかどうかわかんないし。
後出しでくれるお礼は純粋な感謝の証かもしれないけれど、最初に見返りを提示してもらった方が地獄行きの士気だって上がるだろうし。

実生活において私は、少年のように交渉できるタイプではない。
タダでパシられ、相手からの感謝が次第に薄まっていくことに気づいていながらも、なあなあでパシられ続けてしまうことがままある。
そしていつか急にフッといなくなったり、吹っ切れたようにイヤミを吐き散らかしてみんなに嫌われたり、する。

少年くらいしたたかな方がきっと精神的にも健やかで、最終的な人間関係もうまくいくんだろうなと思うと、ますます少年への憧れは募る。
これから先、ていよくパシられそうになったときには心に少年を呼ぼう。
「うんとお礼をしてくれるならなんとかしてみましょう」って、思い切って言ってみよう。
それで嫌われたり遠ざけられたりするならば、それはもう、そういう人なのだ。

そしてもう一つ紹介したいのが、「地獄の臼」。

あるところに金持ちの兄と、貧しい弟がいた。
弟が兄にクリスマス用のブタ肉をくださいと頼むと、兄はこう答える。
「いいとも。あげるけれど、その代わり、お前には今すぐ地獄へ行って来てもらわなければならない

ちょっと待って、お兄さん。
肝試し感覚で地獄に行かせようとするの、やめてもらっていいですか?

「貧しい弟は承知するよりほか、仕方がありませんでした。
そして大きなブタ肉をもらったのです」

待って待って、弟さん。
いまあなた、ブタと地獄を天秤にかけてブタを取りました?
ていうか二人とも、地獄の行き方知ってるんですか?

どうやら、知っているらしい。
しばらく地獄へ向かって走ってゆくと」と、次の行に当然のように書かれている。
走って……いけるんだね?
そしてそこで出会った薪割り男のアドバイスに従って、弟は亡者たちと取引し、「命令すれば何でも引き出す臼」とブタ肉を交換する。
ブタ肉……持ってきていたんだね?

「亡者たちにとって臼はどんな事があっても、誰にも渡してはいけない物だったのですが、今は、肉欲しさにとうとう渡してしまいました」

いや亡者たちもブタ肉大好きなんかい。
ていうか何でも引き出すなら、ブタ肉だって出せるでしょうに。
とはいえ亡者たちが豊かに暮らしているっぽい描写はないから、彼らは臼の真価を知らないまま臼を守る役目を負っていたのかもしれない。気の毒に。

その後の展開は、他の昔話でもおなじみのものだ。

十分に豊かになった弟は、兄に臼を売ってしまう。
ところが止め方を教えなかったために兄の家はお粥まみれになり、臼は弟の手に戻ってくる。
今度はその噂を聞きつけた船乗りが臼を求めてやってくる。
その臼で塩を引き出せば、もう遠い海まで航海しなくて済むから、と。
弟は気前よく臼をあげるが、また止め方を教えるのを忘れてしまう。
そのため船乗りが船の上で塩を引き出すとそのまま塩は出続けて、ついに船は沈んでしまった。
だから海水はしょっぱいんですよ。
おしまい。

もう、弟ったら……。
私が記憶しているこの手の昔話では意地悪な人に天罰が下るような結末だった気がするのだけれど、この話で一番かわいそうなのはちょっと楽しようと思っただけの船乗りである。
地獄に行かせた兄の方こそひどい目に遭うべきだと思うのだけれど、奴はただ粥まみれになっただけだ。

それにしても不思議な地獄である。
悪魔も魔王もいない、ただ亡者たちが臼を守っている地獄。
先ほど少年が船で遠路はるばる向かった地獄とは、また違う地獄であるらしい。
あの地獄もこの地獄も、思っていたより怖くなくてちょっと拍子抜けしてしまう。
姫と仲よくしやがって!と地獄行きを命じる王や、ブタ肉をあげる代わりに今すぐ地獄に行けと言ってくる兄貴の方がよっぽど怖い。

そんなあくどい兄よりも、そして地獄の臼よりも目立っているのは、むろんブタ肉であろう。
地獄に行くことと引き換えに弟が手にする、ブタ肉。
亡者たちが臼を手放してまで欲しがる、ブタ肉。

たしかにブタ肉はうまい。
こないだ久々に一人で茹でて食べたら、うっかり涙ぐんでしまうほどにうまかった。
でも、地獄に行っても惜しくないほどだとは、残念ながら思えない。
けれどブタ肉は弟を地獄に導き、亡者たちに歓迎される。
とてもイチ食物とは思えない活躍っぷりだ。
この物語の主人公はひょっとしたら、弟でも𦥑でもなく、ブタ肉だったのかもしれない。

普段この手の話を読み終えたときには「この臼があったら何を出そうかな」と妄想に浸るのが楽しいのだけれど、いま私はブタ肉をどう調理するのかを考えることに夢中だ。
ブタの魔力、おそるべし。

ちなみにフィンランドのクリスマスでは、ブタ肉を低温で焼いたキンクという豚ハムがメインディッシュの定番らしい。

You Tubeにも豚ハムの作り方を紹介している動画があったのだけれど、肉の塊は予想を上回る巨大さだった。

まさかブタ肉がこれほどフィンランドのクリスマスにとって大事だったなんて。ただおいしいだけじゃなかったのだ。
それを知ってから読み返すと、ブタ肉のために地獄に行く弟にちょっとだけ心を寄せられるような気がする。
あんなに笑って悪かったなぁと今は少し反省している。

けれど、亡者たちもクリスマスを祝いたくてあんなにブタ肉に執着していたのだろうか?
地獄在住にもかかわらず、クリスマスを祝う亡者たち。
パーティー帽子をかぶってシャンパンを掲げる亡者たちの姿を想像して、そのクリスマス会に少しだけ交ざりたくなった。

***
そして今回もはしゃぎすぎてしまったので、「3.悪魔と人間の境界が曖昧」はまた次回に回したい。
魔王が人間を怖がったり、父親が脱腸を投げてくるヤバい話を、次こそご紹介できればと思っている。
ではまた、第三弾でお会いしましょう!

↓ そして第三弾はこちら

『フィンランドの昔話』
P・ラウスマー 編、臼田甚五郎 監修
岩崎美術社、1973年 刊(『民芸民俗双書』60巻)

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