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つれづれつづり

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それぞれ、おのおの、つれづれにつづります。
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#ゲイ

「老後」は消えゆく概念なのか?その2 -ネオ老後世代の戦略的終活論

承前ということで、それじゃ老後=健康寿命が尽きた後、死ぬまでの数年の間、どのように過ごせればいいのか?と思うのです。働けないし、自由に動けないし、どうなっちゃうんでしょうね。この状態を仮に、「ネオ老後」と名付けておきましょう。 資本主義も民主主義も危うくなり始めている中で、どういう未来を描いていけばいいのか、と悩んでしまいます。 そこで思いついたのが社会の中で溶けるようにして、生涯を閉じることができればたぶん理想的なのではないか、と思うのです。普通っぽい感じのことを言って

素顔で向き合ったから、今がある。

家族と同じくらい僕にとって大切なもの、それは友人や仲間です。友人たちとの思い出や、彼らとの関係がどれだけ自分を支えてきたか、そして過去の経験が今の自分をどのように形作っているのかについて、今回は振り返ってみたいと思います。 僕が20代前半の頃、初めてゲイコミュニティに属するようになりました。それまでに出会った友達とは違う、新しい感覚がそこにはありました。これまでずっと、自分がゲイだとバレることを恐れていた僕にとって、コミュニティの仲間たちと過ごす時間は大きな安心感をもたらし

未来

ご無沙汰しております。 4年ぶりのつれづれつづりです。 前回の投稿から4年。 あれからも世界は大きく変わり続けています。 COVID-19が5類に移行してコロナ禍以前の生活が戻り、前首相が銃殺され、ウクライナとロシアで戦争が始まり、ガザでは非人道的な虐殺が繰り返され、今は南海トラフの巨大地震注意というものが初めて発令されました。 予想もできない出来事が世界中で続き、なんだか不穏な空気が流れているように感じます。 そんな状況の中、今回のテーマは「大切なもの」ということで、辿

記憶と記録

歳を重ねるにつれ、その分"過去"が増えていく。 今置かれている辛い現状や、不安の大きい未来のことを考えると、「こんな人生のまま俺は死んでいくのか」と思うことがある。しかし、過去を振り返ってみると「意外といい人生だったのかも」と思うこともある。 歳を重ねたといっても、人生の終わりがすぐにやってくるわけではない。今までの人生を振り返るにはまだ早いと思う。ただ、"記憶を辿る"ことは意外に楽しい。思い出を振り返るのとはまた少し違う。たとえば、布団に入ってなかなか寝付けないとき、小

人の不幸を願った夜

平成の終わりと次の年号

令和という元号を初めて聞いたとき、僕はかなりの違和感を覚えました。しかし、5年以上経った今ではもうすっかり慣れてしまいました。令和になってからも、すでに大きな事件がいくつも起きています。 令和初期に平成を振り返ると、昭和の残り香にすがっていた時代だったのかなと思います。平成は大きなテクノロジー改革があったものの、日本の不況は続き、人権問題も大きな事件が起こるまで変わろうとしない姿勢が見受けられました。特にLGBTQに関しては、平成時代には大きな変化は見られなかったと感じます

テクノロジーとマイノリティ

2000年代から2010年にかけて、テクノロジーは僕たちの生活や社会に大きな影響を与えました。インターネットやスマートフォンの普及と、それがゲイコミュニティや僕自身の生活にどんな風に影響を与えたかを振り返ってみたいと思います。 2000年代中頃、インターネットはすでに多くの家庭に普及していました。家にはパソコンが一台はあって、インターネットを使うのが普通になっていました。また、携帯電話ではiモードを使って簡単なネットやメールのやり取りができるようになっていて、それだけでも普

20世紀の終わりに向けて

平成が始まり、バブルの華やかさが薄れていきます。それでも今振り返れば、まだまだ残り香はありました。今回は、平成の中期にあたる1990年代後半から2000年頃までの僕自身の変化と社会の動きを振り返ります。 新しい出会いと変化の始まり 中学生時代、僕は地元の中学校に通っていました。小学校時代は小さなクラスで過ごしていたため、隣町から来た大勢の生徒たちとの新しい出会いは刺激的でした。しかし、同時に先輩後輩の上下関係を意識するようになり、人間関係の複雑さを嫌でも学ぶ事になりました

希望と不安の狭間での幕開け

平成という時代が幕を開けた1989年は、僕たちにとって新たな時代の始まりを告げる年でした。昭和天皇の崩御に伴い、新しい天皇が即位し、日本全体が一つの時代の終わりと新しい時代の始まりを感じた瞬間でした。平成という元号は「平和が成り立つ」という願いを込めて選ばれましたが、その背後にはどんな変化が待っているのか、誰も予想することはできなかったでしょう。 平成元年、僕は14歳の中学生でした。親の仕事の関係で東京に住んでいた僕は、当時の熱気と活気を肌で感じていました。バブル経済の真っ

ふっと手を差し出すような

20代でそこそこ遊んだ自分は、30歳を前にして「ちゃんと」付き合いたいと思い出す。「ちゃんと」ってなんだ。当時、周りには結婚して子供が生まれる友人が増えてきた。自分にはそれと同じことはできないけれど、似たようなことはできる。家族みたいなものが欲しかったんだと思う。 その「ちゃんと」を追いかけて恋愛をする。当時はmixiというSNSが全盛期で、日記を見に行ったり、足跡を残したりしていた。そこからひょんな事で一人の人と付き合うことになる。きっかけが出会い系でもないし、ハッテン場

からむ手/からませる手

高校時代、先輩に恋をしていた自分は叶わないことがわかっていた。 だからそれを恋だと思わないようにしていたんだろう。 熱く重い恋でしかなかったのに。 大学に入ってローンを組んで買ったパソコンがゲイの道を大きく切り開いてくれたといっても過言ではない。とはいえ意気地のない自分は、ネット上でやり取りはするものの実際に会うのに躊躇していた。当時の自分に言ってやりたい。何ビビってんだ。その真面目な仮面をかぶった臆病さが自分を滅ぼすことになるぞ、と。 「初めての相手は好きな人としたい。

手をつなぎたい

子供の頃、憧れていた恋愛の形があった。 子供の頃だから恋愛って何だとかなんてちっともわからなかったし、世の中には色んな恋愛の形があることも知らなかったし、その色んな形の中でも少数派に自分が当てはまるなんて思ってもみてなかったから、自分はその恋愛の形に憧れた。 その恋愛の形は、テレビでよく見る老夫婦だった。 軽快なメロディに乗せて若い男女が歌いながら楽しく踊る。それを見ている老夫婦が、影響されてリズムに乗りながらお互いを見つめ合ったり、手を取り合って踊る。 チャーミグリーンと