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平成の終わりと次の年号

令和という元号を初めて聞いたとき、僕はかなりの違和感を覚えました。しかし、5年以上経った今ではもうすっかり慣れてしまいました。令和になってからも、すでに大きな事件がいくつも起きています。

令和初期に平成を振り返ると、昭和の残り香にすがっていた時代だったのかなと思います。平成は大きなテクノロジー改革があったものの、日本の不況は続き、人権問題も大きな事件が起こるまで変わろうとしない姿勢が見受けられました。特にLGBTQに関しては、平成時代には大きな変化は見られなかったと感じます(もちろん、小さな変化はあり、戦ってくれた人たちのおかげだとは思っています)。令和に入ってからも、世界の状況が不穏になってきており、平成の最後の方の雰囲気をより濃くしたように感じます。

僕は氷河期世代と言われる世代に属しており、損をしてきたと感じることが多いです。生まれたタイミングが悪かった、それは運だと言われればそれまでですが、もう少し早く、もう少し遅く生まれていたら状況が少し違ったのかなと思うことがあります。しかし、この世代だからこそ、マイノリティに対する感じ方が変わったとも思っています。諦めが大きかったけれど、一度諦めることで、もう一度考え直す機会を得られたのかもしれません。失ったものも多かったですが、それでも得たものも少なからずありました。

2011年の東日本大震災、そして令和の初めに襲ったコロナ禍は、僕たちに「生きる」ということを再考させる大きな出来事でした。震災では多くの人命が失われ、僕もいつ死んでもおかしくないという現実を突きつけられました。これらの出来事は、僕たちに日常の尊さや、日々の生活の中で何を大切にすべきかを深く考えさせました。コロナ禍では、社会全体が孤立しがちな状況の中で、オンラインでの繋がりが一層重要になりました。テクノロジーのおかげで、僕たちは離れていても互いに支え合うことができました。

正直に言って、未来に対する希望はあまり感じられません。しかし、それでも淡々と前を向いていくしかないと思っています。令和の時代に入って、社会や価値観がどう変わっていくのかはまだ未知数です。僕自身も、これからも自分らしく生きていくために、そしてマイノリティとしてのアイデンティティを大切にするために、歩みを止めずにいくのみです。

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