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つれづれつづり

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それぞれ、おのおの、つれづれにつづります。
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「老後」は消えゆく概念なのか?その2 -ネオ老後世代の戦略的終活論

承前ということで、それじゃ老後=健康寿命が尽きた後、死ぬまでの数年の間、どのように過ごせればいいのか?と思うのです。働けないし、自由に動けないし、どうなっちゃうんでしょうね。この状態を仮に、「ネオ老後」と名付けておきましょう。 資本主義も民主主義も危うくなり始めている中で、どういう未来を描いていけばいいのか、と悩んでしまいます。 そこで思いついたのが社会の中で溶けるようにして、生涯を閉じることができればたぶん理想的なのではないか、と思うのです。普通っぽい感じのことを言って

「老後」は消えゆく概念なのか?その1 -人生100年、そんなの無理です続けられません

私は今30代後半です。レイターサーティーです。なんじゃそりゃ。 私の考えではいわゆる「老後」というのは消えゆく概念なのではないかと思っています。老後ということを語る上で、必要な主張だったので第1回目はその理由を書きます。与太話だと思って聞いてください。 その結果として、かつて(今も?)多くの人が思い描いていた、いるであろう「退職後」の「老後の生活」というものは、なくなりかけているのではないでしょうか。健康寿命のうちは働き、その期間が終わったらあとは、最期の日を待つのみかも

つれづれつづり 「大切なもの」第2回。今回は「食」です。  糖質制限ダイエットが叫ばれて久しい世の中ですが、私は炭水化物が大好きです。ご飯もパンもパスタも大好きです。  どのくらい好きかというと、ダイエットのために昼食を鶏むね肉(もともと大好き)と野菜だけのお弁当にしていたら、一週間を迎える前にメンタルに不調を感じ始め、昔話みたいにでっかいおにぎりを食べたら回復したくらい。何事もバランス という当然の学びを得ました。とにもかくにも炭水化物が大好きです。  そんな私が買って

素顔で向き合ったから、今がある。

家族と同じくらい僕にとって大切なもの、それは友人や仲間です。友人たちとの思い出や、彼らとの関係がどれだけ自分を支えてきたか、そして過去の経験が今の自分をどのように形作っているのかについて、今回は振り返ってみたいと思います。 僕が20代前半の頃、初めてゲイコミュニティに属するようになりました。それまでに出会った友達とは違う、新しい感覚がそこにはありました。これまでずっと、自分がゲイだとバレることを恐れていた僕にとって、コミュニティの仲間たちと過ごす時間は大きな安心感をもたらし

「俺」

大切なものですって奥さん。 皆様はじめまして。 つれづれつづり、会員番号022です。 諸事情により過去の記事は非公開にしました。だって、あまりにも「俺」すぎるんだもの。 4年前、まだ私は上京したばかりの尻の青いぺーぺーで臭い臭い文章を書いて、それでいてかわいかった。自分をどうやって知ってもらおうか必死になっていた。かーわい。 なので新人さんと思ってくれて構わないです。ここから「俺」をイチから知ってください。書き口でバレるかもね。まあそれはそれでその人のこと好きかも。「俺」

ふたつめ「花束を君に」

その日は唐突にやってきた。 後ろ足で自重を支えられないのか、前足だけで歩き、後ろ足を引きずっているようにみえる。触診して見たが痛みはないようだ。もう15歳のおばあちゃんだから、筋肉が弱ってきたのかしらねと話していたら、すぐに階段を上り下りすることができなくなった。 簡単な段差を超えることができなくなった 自力でトイレに行けなくなった 食いしん坊だったのにごはんをほとんど食べなくなった 甘えて伸ばす腕に力がなくなった 1日中目を閉じている事が多くなった トイレの回数がめっきり

2024年の遠吠え

歳を重ねるとそうそう人は変わることができない。 でも、 変わらないと僕は人生を棒に振ってしまいそうなものだ。 どんなに険しく面倒だとしても、 時間を掛けて道を作る必要がある。 それでも今の僕にとって大切なものは、 ここまで来た自分の選択だ。 自分の可能性を信じて、 自分を鼓舞して、 自分を削って、 自分を見失って、 自分を取り戻そうとして、 日々をひたすらにもがいている自分とこれからも付き合っていかないといけない。 もう半分。 まだ半分? 途方にも暮れるが、 新たな可能性を探

手放す理由

テレビを見ること、 音楽を聴くこと、 ラジオを聴くこと、 ポッドキャストをすること、 歌うこと、 曲を作ること、 絵を描くこと、 楽器を弾くこと。 どれも熱中し、 そしてどこかで一度手放してしまったことだ。 やはり大切だと思い直して必死で取り返そうとしても、 もう熱中していた頃の純粋な気持ちで取り組むことはできない。 僕はいつも自分で自分の興味を諦めてしまっている。 どうしてだろう。 より興味があるものができたからならばまだ良い。 だけど、 実際のところ大体の理由がよりや

好きだったこと

小さい頃、 ピアノを弾くことが好きだった。 テレビやゲームから流れるメロディをこんなかなと耳コピして自分なりに弾くことが楽しかった。 ピアノの教室は上達すること自体は嬉しいけれど、 普段聴く曲と違うのでいまいちピンときていなかった。 中学生になって、 ピアノの上手な同級生の演奏を目の当たりにして、 この道ではないのかも知れないなと思った。 2年生の頃、ピアノ教室を辞めた。 徐々に演奏すること自体なくなって行った。 絵を描くことが好きだった。 特別うまい訳でもないけれど、 絵

未来

ご無沙汰しております。 4年ぶりのつれづれつづりです。 前回の投稿から4年。 あれからも世界は大きく変わり続けています。 COVID-19が5類に移行してコロナ禍以前の生活が戻り、前首相が銃殺され、ウクライナとロシアで戦争が始まり、ガザでは非人道的な虐殺が繰り返され、今は南海トラフの巨大地震注意というものが初めて発令されました。 予想もできない出来事が世界中で続き、なんだか不穏な空気が流れているように感じます。 そんな状況の中、今回のテーマは「大切なもの」ということで、辿

 お久しぶりのつれづれつづりです。匿名エッセイなので前後のエピソードの事など忘れてお楽しみいただければと思います。  今回のテーマは「大切なもの」。物か者かMONOかというところですが、基本的に「物」で通します。せっかくの三回ということなので、衣食住の大切なものでお届けします。きっと。  私が大好きなテレビ番組の一つにソーイング・ビーというものがあります。イギリスのテレビ番組でソーイング(縫い物)の腕を競うコンテスト番組です。決められた課題のテーマをいかに表現するか、いかに

おきあがりこぼし

僕の家のテレビがわりの24インチモニターの前には、「おきあがりこぼし」がずっと座っている。 今は、100均で見つけた畳のミニチュアの敷物の上に乗っている。以前はNintendo Switchの前に置いてあった。ずいぶんと待遇が良くなったものだ。 この「おきあがりこぼし」は、僕の失敗の証でもあり、成功の礎でもあり、生きざまの象徴ともいえる。 僕は不出来な人間だと今でも思うし、だから人よりも頑張らないと普通に生きてはいけないと思い続けている。それも、この「おきあがりこぼし」

大切なもの

大切なものは、身体と心

家族

「大切なもの」と聞いて、一番に思い浮かんだのは家族でした。 僕が子供の頃、母親は小学校の教師で、父親はアートディレクターとして忙しく働いていました。家にはいつもアートの本や雑誌がたくさんあって、僕も自然とアートやデザインに興味を持つようになりました。母親は教育者として、厳しいけど愛情いっぱいの教育をしてくれました。家族全員で過ごす時間は少なかったけれど、一緒にいるときの温かさや安心感は今でも忘れられません。 思春期に入って、自分がゲイだと気づいたとき、家族の存在は本当に大