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行間を訓む vol.40 ~ AZKi「いのち」編~ from 2019 - beyond 2024ver.

プロローグ


 こんこんこんこん、こんあずき~!!!⚒️ 開拓者の皆様、ホロリスの皆様、そうでない皆様もおはこんばんちはでございます、あったけぇホロ沼からご挨拶のつななでございます。
 早速ですがつい先日4月30日、あずきちこと「AZKi」さんが「いのち(2024ver.)」のMVを公開されました。丁度5年前にリリースした楽曲をリメイクして満5年のこのタイミングでリリース、かつ歌詞の内容を一部変えてという形です。
 そんなあずきちと言えば、先般の記事でも取り上げましたが、2024年4月27日の100万人・100曲耐久歌枠にてチャンネル登録者100万人の快挙を達成されました!!改めておめでとうございます!!🎊🎂🎉
 イノナカミュージックからスタートしたあずきちはそのビジュアルや所属・在り方を変えながらここまで歩んで来られました。Vtuberならではの観点から編み出される歌詞や楽曲にはVのリスナーにとって深く考えさせられる、そんな作品が多くリリースされております。先日のホロ5thフェスでの「The Last Frontier」がその代表格とも言えるでしょう。
 今回はその中でもあずきち自身が8番目にリリースしたオリジナルソング「いのち」が5年の時を経て2024ver.という形で再度発信されましたので、過去の歌詞と現在の歌詞から心境や表現の変化などを探りつつ、今どのような未来を見据えているのかという部分にも注目すべく、本記事を立ち上げました。

あずきちについては過去記事での
ご紹介もございますので是非ご覧下さい▼


 この楽曲は正にVtuberとして授かった「Life」としての「生命いのち」と、人間として生き抜く「人命」としての「いのち」を兼ね備えた彼らなりの生き方という意味で敢えて「いのち」というひらがなでの表記をしているようにも取れます。


2019.04.30.リリースの「いのち」はこちらです ▼

2024.04.30.リリースの「いのち(2024 ver.) 」はこちらです ▼


初リリース時の動画概要欄コメントには ▼

『この曲を通していのちのこといっぱい考えたよ。
 みんなのいのちについて聞かせて』

 ――― という一言が載せられていました。早速歌詞を訓んで参りたいと思います。今回は最初期リリースの歌詞をベースに、括弧内に2024ver.の変化した歌詞を比較で並べながらの形式としております。5年という歳月が彼女にどんな変化をもたらしたのでしょうか。


 注)セクション分けや歌詞の内容の考察ついてはあくまで筆者の個人的主観です。私自身は専門家でも何でもありません。もしかすると表現や言葉使い等に間違いもあるかもしれませんし、解釈違いが起こることは否めませんので万一の場合はご容赦ください。


歌詞訓み(§1)


息をしている
君は生きている(だから生きている)
当然のこと(何度もずっと)
 誰も疑わないの(言葉を尽くしてきたんだ)

 息をしているから、君は生きていると言える。誰も疑わない、当然のこと。あたりまえ。

 (ずうっと前から何度も言葉を尽くして訴えてきた。息を吸って息を吐ける、だから生きているという当たり前のことがどれだけ尊いのかを。)


息をしている ように見えている
生の裏側(青が染み出す)
 私にとっての何か

 息をして生きているように見えているけれど、生の裏側は常に隣り合わせで何時訪れるかはわからない。そんな儚い私にとっての"生"とは一体なんなのだろうか。

 (青いインクがしみ出すように、私の"生"に迫ってくるもの。何気なく息をしているように見えて、その中身はじわじわと蝕まれているのかもしれない。)


鼓動がドクドクしている
叩かれても腐らずに此処で歌うよ(此処はいつも変わらずに急かし続ける)
ボタン一つのいのち

  ボタンを押すだけで吹き込まれる命だからこそなのか、批判を受けてしまうこともある。けれど、確かに心臓から全身に血液を巡らせる波打つような鼓動は存在している。どんなことを言われようとこの形で生きていくのを決めた自分自身なのだから、腐らずに信じた道を歩き続ける。

 (鼓動の音が時計の針が刻む一秒の音のように聞こえてしまう程、此処に立つとボタンを押すと急かされているように感じてしまう。始めることも終わらせることも簡単にできるのに。)



最後まで私のこと覚えててくれるの?
消えてしまいそうなの わかってよ わかってよ ねえ
本当のとこどうなの?
恋と推しは違うんでしょ?(いずれは卒業するんでしょう?)
君が忘れちゃったら(日常に戻ったら)
私は居なくなるの
命のような夢を見てるよ
またね、バイバイ。

 私が今にも消えてしまいそうないのちを終えるときまで君の心に残っていてくれるの?私の気持ちが解るの?わからないならどうか分かって欲しい。君の心の在処に訊いてみて欲しい。恋い焦がれる気持ちと応援したい推し事とは分けて考えているんでしょう?だとすれば君が私のことを記憶の彼方に葬ってしまったら私の存在自体が削除されてしまうということ?
 そんな蝋燭に灯る明かりのようにゆらゆらと今にも消えてしまいそうな命の夢を見ているだけなのかもしれない。またその夢を見られるまでの暫しの別れ。

 (消えてしまいそうなんだよ、何か足跡を残さなければ無言で視界からいなくなって。そんなものでいいのかと自分に問いかける。いずれはボタンひとつで卒業してしまう命なのだから、元通りの日常に戻るだけで私は消え去るだけになってしまうだけなの?「またね」でいのちに区切りをつけることは簡単だけど、そんな儚い夢を今日も見ている。)


歌詞訓み(§2)


息をしている だから生きている
自己証明を欲しがっているんだ
(見た目と中身の境界線を 跨いで戻って)

 息をしていることは自分が存在していることの証明。だから生きているということを実感できる。証明できる形として残しておきたい。

 ※旧ver.「欲しがっているんだ」=「欲しがって、欲しがって」と繰り返していることでより焦燥感が強調されている。

 (見た目と中身の狭間を行き来しながら、自己証明をするべく生き抜くことで息を繋いでいる。)




音が止まって 動かなくなって
そんな私を君は笑ってくれるかな?

 もし自分の鼓動が止まり、息を引き取るような出来事がこの体に起こったら、そんな私を見て君がどのような思いを抱くのだろうか。



鼓動がドクドクしている
嫌われても腐らずに此処で歌うよ(此処はいつも変わらずに巡り続ける)
気分次第のいのち

 たとえ一部の人が自分を嫌いだったとしても、不貞腐れることなく自分の意志を強く持ってこの身体で歌い続ける。それが私の鼓動となって続いていくから。気分次第でいつでもはじめていつでも終止符を自分で打てるいのちだけれど。

 (一所懸命生きて今日もこの鼓動があることに感謝をしつつ送る毎日。しかし世間はいつもと変わらずに日々が回っている。気分次第で自分で止めてしまっても気づかれないくらいに。)



最後まで私のこと見届けてくれるの?
覚めてしまいそうなの わかってよ わかってよ ねえ
声が聴こえるんだよ 塩辛い涙が出ちゃうほど
(「本当の気持ち」を繋いだら もう二度と戻せないのに)
君が忘れちゃったら私は居なくなるの?
命のような夢を見てるよ
またね、バイバイ。

 私がピリオドを打つその時まで君は私の行く末を見届けてくれるだろうか。この夢から覚めてしまいそうなんだ。私のことを少しでも良い、心から理解して欲しい。目から溢れる涙を抑えられないくらいに、惜しむ声が聞こえるのは解っているから。君が私のことを思い出さなくなってしまったら、私の存在自体がなかったことになってしまうの?まるで本当の命のような夢を見ているに過ぎないんだな…。「バイバイ」と別れを告げ「また会おう」と言わざるを得ないだけなのかな。

 (見届けて欲しいと言ったらエゴになるかもしれない。でも、夢から覚めたくないという思いもある。この歯がゆさが君には伝わるだろうか。自分が心に秘めている気持ちを欠けてしまったパズルのピースとして使ってしまえば、それはそれで元に戻せなくなることも解っている。君が忘れれば、私もピリオド。正に"命"そのもの。彼岸(あの世)で再会できることを祈りながらの別れになるのは此岸(この世)と同じなのかも。)



歌詞訓み(§3)


ふさぎこんだあの日を 軽くイジらないで やめて
(いき急いだあの日を 軽くイジらないであげて)
それが生きる糧になるから
大丈夫 ずっと私は歌い続けるから

 心が折れてふさぎこんでしまうような日もあったけれど、そんな過去の自分を糧にして乗り越え今日の自分を迎えているのだから、軽んじないで欲しい。大丈夫、そんなことでへこたれたりせずにこの先も歌い続けるから。

 (思ったように伸びなくて、焦ってしまって醜態を晒すこともあったかもしれないけれど、それもまたかつての自分だったのだから。私はそれを受け入れて自分の糧として愛したい。今日も私はきっと此処バーチャルで歌い続けているだろうから。)

 ※旧ver.『いのち』では「ずっと私は~」の後に「liar(うそつき)」と解釈出来るコーラスがあるが、2024ver.ではその部分がなくなっている。



最後まで私は生きているかわからないけど
(最後まで私もいきているかわからないけど)
君がくれた言葉は確かに残ってる

 いのち尽きるその時まで全力疾走しているかどうかはわからないけれど、応援してくれるファン開拓者のみんながくれた言葉は確かに私の胸に刻まれている。

 (この広いバーチャルの世界で、私も最後まで息が続くかはわからないけれど。ファン開拓者のみんながかけてくれた暖かい声と応援は私の生きる糧となって私の身体を動かし続ける。)



最後まで私のこと覚えててくれるの?
(最後まで私を覚えていなくてもいいから)
いつ死んでしまうだろう わかんない わかんないよ ねえ
(いつしんでしまうだろう わかんない わかんないよ でも)
痛いくらい気持ちがシンクロする時もあるけど
(今、君が笑えたこと それだけで意味があること)
君が忘れちゃったら私は居なくなるの
(君が忘れちゃっても私は死なないから)

 いつくなってしまうのか自分でもわからないのに。私のことを最後まで瞳の奥・心の奥に留めてくれるの?私が一番知りたいのに。心が痛くなるくらいに皆と気持ちが重なり合う時もあるけれど、やっぱり君が私のことを忘れたら私の存在も消えて無くなってしまうということなんでしょう?

 (いつ忘却されて風化してしまうかどうかわからない、そんな儚い存在であることはわかってるし、終わりがあるとするならそれが何時なのか、私が知りたいよ。だから、最後まで私のことを憶えていて欲しいという贅沢は言わない。でも、今この瞬間君が私を通して笑顔になってくれたのなら、それだけでも私が存在している価値があったということだから。たとえ君が私のことを忘れてしまっても、私の存在自体が死ぬということはないから。)



命のような夢を見てるよ
(いのちのような夢を見てるよ)
またね、バイバイ。

 心臓の鼓動が感じられる「命」と同じような「夢」をこの世界で見られるのはあとどれぐらいの期間なんだろう。その夢の一部として君に巡り会えるまで、「またね」の繰り返し。

 (ボタンひとつでつながる「命」に似た「いのち」を心地良いこの世界で見られる幸せを噛みしめながら、新たな開拓者ファンとなる君を探しに、「またね」と歩き出す。)


エピローグ


その瞳が今、見つめるのはーーー

 Vtuberとして活動し続けるあずきち。"いのち"を吹き込むのもまた"命"。5年前のあのとき、活動のピリオドが明確だった世界線からルート変更が生じ、今こうして活動し続けることができていて、それを画面を通して我々が観測することができる。だからこそ、授かった「いのち」への思い入れは強いものになって、これからの活動に彼女の生きた証が刻まれていく。在りのままの気持ちを歌った旧ver.から未来を見据えた2024ver.へ、歌詞の変化にあずきちの心持ちが表現されておりました。



 私が個人的に印象的だったのは「君が忘れちゃったら私は居なくなるの」という問いかけの部分です。引いては人が生きている以上、「生」と「死」については必ずどこかで一度づつ必ず触れる部分となります。特に私は職業柄(詳細は伏せますが)「いのち」について考えさせられることがしばしばあります。
 死後の世界は誰かが見たわけでもないのにまことしやかに黄泉の国(あの世)について取り沙汰されます。悲しいことに「忘れる」ということは防げない部分です。忘れる=風化すると言うことにも等しく、その事象について経験者や語り手がいなくなると、実際に起きた出来事や存在した人物などについて遡って掘り起こすことは困難を極めるでしょう。歴史上の人物等は教科書に出たり、偉業や功績は後世に渡って語り継がれますが、大半はそうでないごく普通の人生です。
 Vtuberを含め、現代のクリエイターと呼ばれる人たちは誰かの心に残るものを自分の道を信じて発信し続けている訳ですが、ついにそれが語られなくなる=忘れられてしまう=形のない心の中にすら存在しない状態となると、一気に風化が進むでしょう。
 物理的にいなくなる(引退・卒業・死…等)と活動自体が無いので、その時点で情報の供給が止まってしまいますが、正直「忘れる=いなくなる」ということは否めないかと思われますので、やはり我々ファンが「その人を忘れない(忘れられない)ように語り継ぐ」ということが大切なのではないかと考えます。
 ――― 人が亡くなればその人の死を悼んで葬儀を執り行いますが、その人と紡いだ思い出を語ったりしてその日を過ごします。葬儀が終わった後も遺影や遺骨・墓地などの前で節目節目で故人を偲ぶ形があります。その時間がいかに大切であるかをその人を通して今生きている人に訴えかけているのです。
 2024ver.の歌詞では「君が忘れちゃっても私は死なないから」という形に変わっていることから、前を向いて歩き出している様子に変わって曲の印象がぐっと良い意味に捉えられるように感じます。

与えられし限られた"いのち"を如何に全うするのか ―――
――― どれだけ多くの人の心に残ることができるのか
そんなVtuberの皆さんは今日も "息をしている" のです。


公式様から出ている歌詞全文&ライナーノーツはこちらです▼

あずきちのチャンネルとXは下記です!▼

AZKi X(旧Twitter):https://twitter.com/AZKi_VDiVA


それではまた次回の「行間を訓む」でお会い致しましょう!
「いのち」ある限り ――――
2024.05.19 つなな

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