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同じ岐路に立たされても、書店員を辞めるだろう(#転職を余儀なくされる書店員の赤裸々)

靴箱にスリッパをおさめ、踵をスニーカーに滑り込ませる。事務所を出て、ゴミ袋を駐車場と公道の間に。シャッターの前を過ぎたら、ゆるやかに走り出す。バッグの書類が、お弁当箱が、歩調に合わせて上下に揺れる。


転職して3か月が過ぎた。書店にいた最後の方は1日3時間しか入れなかったので、8時間フルで働くだけで結構堪える。経理のおもしろさはまだあまりわからない。メールや書面のやりとりの半分は英語で進む。日本語でも難しい用語が嵐のように飛び交い、業務を遂行しているというより、置かれた状況をやっとのことで把握している感じである。


「できるだけ走らずに生きる」を人生のモットーに掲げてきたが、1週間分の体力を温存するためには、15分に1本の電車を逃すわけにはいかない。徒歩なら15分かかる駅までの道を、恥ずかしくない程度のスピードで走る。




書店から書店に転職する選択を、考えなかったわけではない。


サイトに登録し、履歴書を埋め始めた矢先、ひとつのツイートが目に留まった。一軒また一軒と本屋が消えゆくこの時代に、新しい書店がオープンするという。


すぐさま店の名前を検索窓に打ち込み、ホームページを開いた。期待通り、オープンスタッフ募集の文字がある。



斜陽業界でありながら、書店の仕事は依然として人気が高い。新規の求人は滅多になく、出たとしても迷っているうちにページ上から消える。このタイミングで巡ってくるとは、やっぱり私は書店に導かれているのかもしれない。


立地は働いている書店より一駅分家に近く、駅前ときた。以前、その場所には別の書店が入っており、何度か訪れたことがある。棚と棚の間が広々として、品揃えも悪くなかった。


時給は同じく最低賃金だが、経営難で削られ尽くした今のシフトよりは入れてもらえるだろう。人並みに悩んでいた人間関係もリセットできる。即戦力と判断してもらえれば、本棚の担当も任せてもらえるかもしれない。


面接可能な日程の候補と質問事項をメモし、ダイヤル画面を開く。求人の最後に載っていた番号をタップするその寸前で、人差し指はブルーライトの中を彷徨ったままスマホに触れることができない。



ちょっと待てと何かが叫ぶ。30歳という年齢が、3回目という同年代では多めの転職回数が、減りゆく貯金が、不安定な職業を選んだことへの偏見の眼差しが、私を引き留めた。


手取りはほとんどない。穴の空いたスニーカーを履き潰して、真夏にペットボトルの水1本買い足すのも躊躇う。本屋なのに、読みたいままに本を買うこともできない。


毎日ギリギリで綱を渡っているが、いつか両親を養わなければいけないかもしれないし、自分が病気になるかもしれない。女性というだけで収入を確保しづらいこの国で、せめてひとり生きて死んでいけるだけの金がいる。


「ここはいい店なんだけどねえ、他の店舗が赤字だから」


人件費削減への協力を打診しに来た本部のエライ人はこぼした。ZOOM会議でいいところを、従業員のプライベートの予定をキャンセルさせ、挙句完全に予定が合うわけもなく、何度も東京から訪ねてくる新幹線代をはじめ抑えられる経費は他にもあるはずで、これがエライ人の言うところの連帯責任とは到底思えない。そもそも店の努力を個々に評価する姿勢自体が見られない。


入社から2年で時給は上がったが、パフォーマンスが認められたわけではなく、最低賃金の引き上げに伴う自動的な処理にすぎない。


「君はまだ若いし、頑張り次第で正社員の道も考える」と彼は続けたけれど、その「頑張り」を判定する軸がなければどれだけ実績を残したってしかたがない。

会社の方針に違いはあれど、業界を取り巻く環境は大きくは変わらないだろう。


Amazonの隆盛によるリアル書店離れ、漫画・雑誌部門の電子化普及、出版社の部数削減、配本の偏り、運送会社の人手不足による破損トラブル……。お店を移っても、乗り越えるべき課題は同じだ。


私は書店という文化が続けばいいと願っているし、少しでも貢献したい。ひとつひとつクリアしていきたいけれど、私がくたばるのとどちらが早いか。自分の直感を誤魔化すことはできなかったのだ。



転職先では、それなりにうまくやれていると思う。プライベートを聞かれない、飲み会もない、干渉しすぎない距離感が心地いい。知識はなくとも、心配性が経理には向いているらしい。続けていれば、ちゃんとこなせるようになる手応えはある。収入面も安定してきて、念願のパソコンの買い替えも済ませた。定時で上がれる日は少ないが、土日は休めるので、ZINEの制作も続けている。


和菓子屋を辞めた時はしばらくあんこが食べられなくなった。記者を離れた後は職場の最寄駅で降りられなくなった。本を、本屋を嫌になってしまう気がして怖かったけれど、相変わらずにっちもさっちもいかなくなると書店に寄って、心の小波が落ち着くまで気になる作品をかごに入れていく。


好きなものを好きでい続けられる今の生活にはとても満足している。なにかの拍子で書店に電話をかけるあの瞬間にタイムスリップしたとしても、私はダイヤルを回さないだろう。




先日、夜中にパニックになり、洗面所で「しんどい」と繰り返し叫んでいた。きっかけは他愛ない家族のいざこざだったが、口からこぼれる「しんどさ」の中身がよくわからず途方に暮れた。


翌日、会社から駅までの道を歩きながら、ぼんやりした頭で考える。


「きっとあのお客さんが必要としているだろう」と思い浮かべながら仕入れて、きちんとそのお客さんの手元に渡った時。


ずっと棚にあった作品を思い切って目立つ場所に置いた直後に売れた時。


何か大きな仕事を終えて、まとめ買いしていくほくほくとした背中を見送る時。


おすすめを聞いて、その一冊を大切にレジに持ってきてくれた時。


他の仕事では感じたことのない誇りとよろこびを噛み締めた。


お客さんに本を手渡す時、リレーのアンカーとしての使命感と、新たなレースの第一走者のような新鮮な気持ちが湧いてくる。


書き手が紡いだ思いに編集者やデザイナーがスパイスを加え、校正者が文章を強くし、印刷・製本所が形を与える。取次の采配を経て、大事に繋がれた作品を最後に読み手に届ける。同時に、読み手と本との旅路の出発を見届ける特別な瞬間。この祝福に満ちたやりがいを、おそらくもう二度と感じることはないだろう。


前に進むために目を背けてきたが、手放したつもりでいたものは”不在”という形で胸に浮かんでいる。それは処理されないまま静かに膨らんで、あの夜、前触れもなく割れてしまったのかもしれない。




転職活動は一旦完結し、書店員としてのキャリアも幕を閉じたが、私は多分これからも心に巣食う”不在”と向き合っていかなければならない。その穴がいつか埋まる日が来るのか。果てしなさに目が眩みそうになる。



だけど、私は少なくとも”ランナー”であることは諦めていない。今の会社は商材のひとつとして本も扱っている。経理業務の傍ら、納品と出荷の作業もする。1冊ずつ汚れを払い落とし、傷や折れがないか点検し、箱に詰める。いつかこの本との出会いが誰かを救ってくれるよう、3か月前と変わらぬ祈りを込めて、本というバトンを手に今日も走っている。




約1年間の連載にお付き合いいただき、ありがとうございました。


”リアルタイム”で報告することで”パブリックビューイング”的応援を乞うという当初のコンセプトはブレてしまいましたが、しんどければしんどいほどネタになると奮い立たせて在職中の転職活動を乗り切ることができました。


思い立ったもののなかなか行動に移せない情けなさや、ちょっとした一言で決意が揺らいでしまう弱さも曝け出しました。転職って相談する人を選ばなくちゃいけないし、巣立っていった先輩たちは新たな世界に夢中で期待するほど情報を落としてはくれないし、案外孤独なものです。参考になるようなハックはないけれど、同じように転職を考える誰かの心に寄り添うことができていたらいいなと思います。


連載という形式ではありますが、1本ずつ単体で読めるように構成しました。心の余裕がある時に、好きなところからぜひ。


今回の連載を通して、書くことで克服する、という荒技を身につけ、調子に乗って新たな企画も計画中です。引き続き、気の向いた時に都村つむぐと伴走していただけますと幸いです。


◉店長に「ここは俺が守る。お前は先へ行け」宣告されて転職を決意した書店員の記録は下記のマガジンからまとめてどうぞ


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