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パニック発作が起きた朝、呼吸を整えるためにやっていたルーティンを6年ぶりに再現する


 どうしてこんなに自分は弱いのだろう。

 6年前の私。もう何度も思った。「強い」「弱い」の定義も曖昧なまま、私はとにかく自分を弱いと言って咎めていた。

 朝、いつも通り起き上がる。鬱々としている自分を誤魔化すか、もしくは深く考えないようにして身体を動かす。頭を使って少しでも動いてしまえば、身体と心がショートしてしまいそうだったから。

 洗面台の前に立つが、鏡はほとんど見ない。顔を洗い、髪を濡らして寝癖を直した。

 今日は問題ない。いける。会社にいけるぞと意気込んで私は身支度を全て終える。

「よし」と、小さいながらも確かな声として呟く。いつも通り最寄り駅まで向かう。いける。私だっていけるのだ。

 この「いける」というのは、会社に時間通り出勤し、定時まで、もしくは残業をして1日の業務をしっかり終えられることを意味している。

 私は最寄り駅まで力強く歩みを進めた。大抵晴れている。どうしてだろうか。晴れている日にかぎって——


 電車に乗り込む。

 空いているタイミングの電車を選んでいるため、いつも座ることができた。

 だいたい1時間くらい揺られる。とにかく会社のことを考えないようにした。仕事であったつらいことや責任、納期、人間関係。不安などあげたらキリがないほどあった。パワハラを受けたり、膨大な仕事量を投げられていたわけではないのに、私は自分の無能さ、無力さを嘆いていた。

 どうしてできない。

 できることがあっても、自分を評価してあげられない。褒めてあげることができない。誰かに「よくやっている」と言われても受け入れることができなかった。こんなに周りより劣っているのに、どうしてそんなに優しいのだろう、と。環境や人に恵まれていたからこそ、より自分の無能さが浮き彫りになり、目からは虚しさの雨が降った。

 気を抜くと、そんなことを結局電車内で考えていた。自分は必要ない。もうこれ以上頑張っても毎日苦しいだけだ。だが辞めたとして、それもまた茨の道だ。思考も身体も八方塞がりになったような気分になり、私の呼吸は次第に早くなっていった。


「ああ。また駄目になる」

 毎度それが自分でわかるのだ。

 だんだんと、呼吸のペースが早くなる。

 一滴、また一滴と零れる。

 手の震えが止まらない。痺れて、身体中が急激に寒くなる。寒いのに、汗が止まらない。


 ああ。駄目だ。

 途中駅で、身を投げ出すようにして私は電車を降りていた。呼吸が全く整わない。周りの人は当然、特に私に触れずに通り過ぎていく。道を塞いでしまって申し訳ない。私は会社にいけないだけではなく、たくましく働いている人の道まで邪魔してしまった。もう無理だ。なにもかも辞めたいのに、その勇気すら整わない。

 そうして私は駅員さんに駅の救護室に連れていってもらった。何度迷惑をかけてしまっただろう。人の顔もまともに見れない。私は項垂れ、とにかく身体中から湧き出る水滴を抑えるので必死だった。


 上司に電話をかける。

 本当に、何度頭を下げてもたりないくらい迷惑をかけた。「会社にいけない」というのは、自分の存在価値をなくすには十分すぎる事象だった。

 休む旨を電話で伝えたあと、発作はゆっくり、ゆっくりと収まりを見せてくれる。

 呼吸はまだ荒いままではあるが、会社を休んでしまったのだから、もうどうしようもないと思い、胸を撫で下ろす。

 駅の救護室を出ると、いつも眩しかった。外に出たわけでもないのに、周りの景色の光を普段以上に感じる。

 よたよたと私は駅構内を彷徨った。足取り真っ直ぐでなくとも、パニック発作が起きた朝、私は決まっていく場所があった。



 ・・・


「1名様?」

 70代くらいのおじいさんがよく迎えてくれた。パニック発作が起きた朝、私が決まっていく場所、それは新宿の喫茶店だった。


 「どうも」

 そう言って、そのおじいさん(店員さん)がコトッと小さな音を立ててお冷を置いてくれる。その音がなんだかいつも心地よかった。

 いつ、どんなときに店に訪れても「どうも」と言ってお冷を置いてくれる。この年齢のお方にしか出せないような、渋さを内包した明るい声だ。



 東京で喫茶店が好きな人だったら、一度は耳にしたことがあったり、いったことのある喫茶店ではないだろうか。その場所は『珈琲西武』である。

 いつも敬語で、丁寧な言葉で接客をしてくださる。私が毎度「西武カレーください」と言うと、「はい、西武カレーですね」と必ず復唱してくれた。


 ぼんやりと、私はいつも見上げる。ステンドグラスが天井に綺麗に彩られていたからだ。私は会社を休んでしまった情けなさを抱えながらも、落ち着きをもうこの時間の頃には十分に取り戻していた。ここへ来ると落ち着けるという、言葉では言い表せない確信がいつもあった。


 運ばれてくる西武カレー。

 銀色の容器にルーが入れられ、ライスと福神漬けがお皿に盛られている。

 ほろほろのお肉と、スパイスの効いた味が大好きだった。私の舌は大抵のものを「美味しい」と判断するが、ここのカレーはそれを越えて抱擁のようなものを勝手に感じていた。


 涙が溢れ、発作は起きたのに、お腹はいつも空いていた。そんな自分をどうにもうまく形容できず、ただ生きる恥ずかしさのようなものを感じていたと思う。

 食事をした後、私はとにかく新宿の街を歩いた。あてもなく、ただただ歩いていた。世の中の出勤時間を大方過ぎたあとでも、常にここは人の流れがあった。そうして歩いたあとに向かうところがある。

 本屋だ。ここも有名すぎるくらいかもしれないが『紀伊國屋書店 新宿本店』である。


 本を見ると、また心は落ち着きの色を濃くしてくれる。そこには夢と希望と安寧があった。

 いつか私の書いたエッセイがもしかして——なんてことも考えていた。その頃から私は、noteではなくブログだったが、"書いていた"から。


 店内をゆっくりと回り、いくつもの本を手に取った。買うことは金銭的な面でほとんどなかったが、この空間に入れることが、私を抱きしめてくれた。私はやはり本が好きで、本というものに自分の想いを込めたくて当時から仕方なかったのだと思う。


 そして、気が済むまで本屋を楽しんだ後、また歩いた。とにかく何も考えずに歩いた。街の人を見た。皆楽しそうに見える。その幸福を見ているだけで涙が溢れてしまった。私は誰かに声をかけられることももちろんなく、全ての人とすれ違っていく。

 そうして歩き疲れた頃、私は家に帰るための電車に乗った。そこで私は、落ち着きを再び求めるかのように、自分のことをブログに綴った。私は今こんな気持ちで、いままでがこうで、これからの自分はどうなりたいのか、と。

 とにかく書いた。書いて書いて、そうして心をおさめてきた。それが私のルーティンだった。こんなカタカナ語で言えるような甘美なものではないのだが、冷静な今ならあれは自然な「ルーティン」だったのだと思う。

 誰かを参考にしていたわけでもなく、場所の目星をつけていたわけでもない。自然と惹かれ、歩み続けたのが新宿の街、店、道だったのである。


 ・・・


 前置きがかなり長くなってしまった。

 どうしてこんな6年前の話を突然書き始めたかといえば、ちゃんと理由がある。

 今の勤めている会社で配達の業務が私に舞い込んできていた。ちょうど届け先が新宿とのことで、それを聞いて私は一瞬で当時の記憶が蘇っていた。


 休憩時間を利用して新宿の街をもう一度歩いてみたくなったのだ。どうせならあの頃と同じルーティンを辿り、再現したいと思った。そうして自分が何を感じるか書いてみたくなった。

 しかも、ちょうどその日は晴れていた。心地よいくらいに。私はパーキングエリアに車を停め、新宿の街に先日降り立っていた。



・・・


新宿駅東南口


 ちょうど桜が咲いていたので、喫茶店に向かう前の寄り道。すでに再現はできていないが、当時も何かしらの景色を見て、想いを馳せていたはずである。

 正直私は本質的に季節というものを理解しているわけではないが、桜を見て呑気な気持ちで「春かあ」とぼやけるくらいの人間性は持っている。たったそれだけでも上出来だろう。


 桜に見惚れていてばかりいられない。休憩時間もそこそこなのだから、私は珈琲西武へ向かう。行き慣れた道だ。当然マップを見ずとも辿り着ける。身体が覚えているからだ。きっと私は歳をもっと重ねても、この道をすんなりと歩けるだろう。

 そうして辿り着いたのだが、なにやら様子がおかしい。



閉まっている珈琲西武




 そういえばそうだったと思い、私はスマホで調べる。2023年に珈琲西武は歌舞伎町の方に移転していたのだった。もう再現も何もなくなってしまった。ただ私にとって、このシャッターを眺めているだけでも十分に得られる安らぎがあった。

 ただどうしても珈琲西武に行きたかったので、私は移転先まで足早に向かう。全然歩いていける距離にあり助かった。


歌舞伎町劇場の上に佇む珈琲西武




 こんなにも正気で珈琲西武をまた訪れるとは思わなかった。なんにせよ、私は何年も生きている「大人」なのだなと再認識する。なんてことない凡人未満の私にも、ぎっしりと人生は詰まっている。


 階段をあがった先では、昔と変わらずお客さんで店内は混み合い、待ちの列もできていた。昔通っていたところは確か2階と3階のツーフロアだったと思うが、今は2階だけのフロアになっていた。当時感じていた、やや暗く、落ち着きのある店内とは少し変わり、明るく活気ある店内に見えた。それはもしかすると店が変わったというより、私の見方や心が変わっただけかもしれない。真相はわからないままだ。



 列に並び数分後、私の順番がきた。


「1名様?」


 私の思考が、一瞬止まる。6年前と同じおじいさんが迎えてくれた。6年と変わらずこのお店を守っているんだなと思うと同時に、この方からしたら、6年はあっという間の一瞬に感じているのかもしれないとも思う。



「どうも」


 コトッという優しい音ともにお冷を置いてくれた。ああ、何も変わっていない。変わっていないことに私は安堵した。この安堵の理由を想うときっと、私の目は潤んでしまう。



「西武カレーください」
「はい、西武カレーですね」

 なんだか私の注文をわかっていたかのように、悔い気味に復唱される。

 気のせいで間違いない。数回しか訪れていなければ、もう何年と経っている。それこそ特徴もほとんどない私のことを覚えているはずもない。

 とはいえ、またおじいさんの姿を見れただけで、私は勝手に里帰りのような気分になっていた。そして心の中で「あの頃も、今も、ありがとうございます」と私はつぶやく。



 そうして、すぐに西武カレーが運ばれてきた。


西武カレー(たまらないビジュアル)


 確かこの銀色の容器は『グレイビーボート』といった気がする。当時も気になって名前を調べていた。

 私はゆっくりと、それこそ色々なものを噛み締めるようにして食べた。肉がほろほろで、スパイスが効いていて本当に美味しかった。

 上を見上げると、変わらずステンドグラスがあった。色鮮やかで、私の人生を代わりに彩ってくれるような輝きだった。

 近くの席を見ると、50代くらいの夫婦がひとつの大きなパフェをシェアして食べていた。

「おいおい、そこを食べたら崩れてしまうだろう」と、旦那さんが優しい口調で話す。

「ええ〜ごめん……」と言って口元にクリームを残したまま言葉を返す奥様がなんだか愛らしかった。その幸福を浴びて、私は自分の人生を振り返り、そしてステンドグラスの先を見据える。

 ああ。私も愛する人と、こんな毎日であったらいいなと想う。横槍など一切入れようのない幸福であった。


 私は西武カレーを平らげる。会計を済ませ、店を出た後、あのときと同じように街をひたすら歩いてみることにした。

 変わっているようで変わっていない。変わらず人は多くて、見方や感じ方によってはごみごみとしているかもしれない。ただ私には心地よかった。なんだってよかった。人生を歩んで、また同じ地にこれるというのも間違いなく幸福であったから。


 そうして私は辿り着く。『紀伊國屋書店 新宿本店』だ。


紀伊國屋書店(相変わらず大きい)


 本店というだけあり、本当に広々としている。私はワクワクを抑えきれず、すぐに店内へ足を運んだ。

 本を見ているだけで胸が高鳴った。

 ああ。私は今も変わらず本が好きで、自分の文章もここに載せたいのだなと確信した。どれほど涙が溢れようと、いや、むしろ溢れるからこそ、私は文章の道に進みたがるのだと思う。

 私の手は震えていた。それはパニック発作によるものではなく、一種の武者震いだった。私は文章をどこまでも書いていきたいと、今一度胸に覚えさせるのである。



 ・・・



 本屋を出た後少しぶらつき、そして、あっという間に休憩の1時間が経過した。私は車に乗り、会社へ戻る。

 その道中、あの頃と同じように考えた。私は今こんな気持ちで、いままでがこうで、これからの自分はどうなりたいのか、と。

 考え、そうして私はここnoteに綴っている。一番に気づいたことは、私はまた、パニック発作を恐れているのだろうなと思った。

 仕事をまた今もたくさん抱え込み、責任や納期、人間関係、あらゆる不安を背負い込み、発作は起きずとも身体が僅かに信号を送っている。

 私はどう生きていけるだろうか。今はまず、ここnoteで文章の実績を残したいと思っている。そして次の段階としては当然、対価をいただきながらの執筆である。

 そこまで、会社で働きながらいけるだろうか。そんな不安を落ち着かせるようにして、私はきっと再び新宿の街を歩いていた。

 文章を書いていたら、幾分それも落ち着いてくる。ひとつひとつ形あるものを発信し、私は昔も今日も先の未来でも前進し続ける。


 30もとっくに越え、夢を目指すのは愚かだろうか。

 愚かだと思う方が愚かだろう。恥を見せずに、夢を叶えるなんてできっこない。私の人生は、さまざまな街、店、道、本、人に紡がれている。


 私はこれからも書いて"いける"。

 この「いける」は、書いて、強いも弱いも抱きしめ、何度でも立ち上がれることを意味している。


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