(51)「邪馬壹國」は宮崎平野?
「倭人伝」の「邪馬壹國」はどこかーーは、日本古代史最大の謎であり、古代史ファンなら一家言あるところでしょう。いわゆる「邪馬台国論争」です。
この論争の口火を切ったのは、一般に新井白石だといわれています。徳川将軍第7代家継の正徳六年(1716)に著した『古史通或問』で邪馬壹国は奈良盆地にあった古代国家で、それが大和朝廷になった、と論じました。ただし白石はその後、九州説を唱えています。
『書紀』はオキナガタラシ姫(神功)紀三十九年条、四十年条、四十三年条に「魏志云」と倭人