(62)「邪」は巫蠱が居る場所

062シャーマン

モンゴルのシャーマン

いわゆる「邪馬台国論争」は、原文が「邪馬壹(壱)」であれば、論争の根拠がなくなってしまいます。それを「ヤマタイ」と読むことはできず、類似の音を持つ地名を探すこと自体、意味がなくなります。

古田武彦氏の九州王朝説では、「邪(神秘的な)馬(家畜のようになついている)壹(二心なく天子に敬意を尽くす)」の意味の漢名としています。「壹」は「委奴國」の「委」に由来するとしていますが、いずれにせよ名付けたのは華夏王朝ということです。

そのようなアプローチを取るなら、「邪」は「人を惑わす/妖しい」、「馬」は「役に立つ動物」、「壹」は「集中する」(以上の意味はウィクショナリ日本語版に拠っています)、総じて「巫蠱(ふこ)の総本山」のような意味と理解したほうがいいように思います。おどろおどろしいシャーマンの都、宗教都市といったイメージです。

伊都國の表記についてウィクショナリ日本語版で調べると、「伊(神の意志を伝える聖職者、治める人)都(王がいる場所)」の意味ですから、これも華夏王朝が名付けたのでしょう。「伊」の音は「委」に由来したという点で、「邪馬壹」に共通します。伊都國の王は宗教的な意味で卑彌呼女王に従属していますが、実質は伊都國王が支配している。そのような構図が読み取れます。

注目するのは「邪」の文字です。漢・魏の王朝知識人・吏僚にとって、鬼道(太平道、五斗米道)は「能惑衆」(よく衆を惑わす)ものでした。現代風にいうと、妖しい(怪しい)新興宗教です。それで華夏の人は「人を惑わす/妖しい」の意味を持つ「邪」という文字を当てたのです。

そこで、「自女王國以北其戸數道里可得略載其餘旁國遠絶不可得詳」(女王國より以北、其の戸数道里を略載し得るべきも、其の余の旁國は遠絶にして詳かにするを得ず)とされた21か国の名前を見ると、「邪」の文字を持つ国が2つ(伊邪國、邪馬國)あります。

また「魏志韓伝」にも「邪」の文字を持つ国が4つ見えています。そのうち「狗邪國」は「倭人伝」に見える「狗邪韓國」のことでしょう。「倭人伝」其餘旁國の「邪馬國」、「韓伝」弁辰の「彌烏邪馬國」は、「邪馬壹國」と何かしらの関係があることをうかがわせます。

魏に派遣された「掖邪狗」は、「其行來渡海詣中國恒使一人不梳頭不去蝨衣服垢汚不食肉不近婦人如喪人」(其の行来渡海して中國に詣るには、つねに一人をして頭梳らず蝨を去らず、衣服垢汚、肉を食わず、婦人を近づけず、喪人の如くせしむ)とある「持衰」かもしれません。

婦人を近づけず、とあるので男性でしょう。髪と髭は伸び放題、垢にまみれ虱・蚤が湧き、ガリガリに痩せて口をきかない、まことに気味の悪い男が安全な航海に欠かせなかったのです。

結局のところ、「邪馬壹國」がどこにあったかは「分からない」というほかないようです。逆の見方をすると、条件を満たせばどこにあってもいいということです。古代の祈祷所や礼拝所、葬祀場などが、現在の神社として残っている可能性はないでしょうか。

口絵:モンゴルのシャーマン

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