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深読みヒストリア

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この国の古代史について、すでに登場している緒論を改めて紹介していきます。
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記事一覧

最上記外伝 第1部(目次)

徳川幕府の直轄地のうち最北の出羽最上領11万3千石の代官を25年間も務めた松平清左衛門…

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続IT書紀 基礎資料(3)

「汎用プログラム・モジュール流通情報センター」構想は、『続IT書紀』の重要なキーファクタ…

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続IT書紀 基礎資料(2)

1970年代に本格化した「情報化」の流れを、国認可の財団法人や社団法人などが発行した報告…

続IT書紀 基礎資料(1)

拙著『日本IT書紀』執筆開始から20年。その続編(1981〜1990年)の基礎資料として…

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(200:END)歴史修正の要因は天武朝の事情

200日に渡ってお読みいただきありがとうございました。めでたく今回で終わりです 口絵は法…

(199)ちゃんと「王国」と書いてある

阿蘇山(LINEトラベル)  俀王の姓はアモ/アボ(本稿は「アベ」説)、字(名)はタリシホ…

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(198)ほとんど"捏造"に近い忖度

済州島と半島九州島の位置関係  この連載は200回で終わりにするつもりなので、残されているのはあと3回です。そこで今回は倭國史"最後の謎"であるウマヤド(厩戸)王ないし『隋書』の「俀王姓阿每字多利思北孤號阿輩雞彌」に迫ります。  倭國の王統史は二重三重、場合によっては四重五重の修正が重ねられているのでタチが悪いのですが、どう頑張っても修正できない場合、『書紀』は  ――無視。  を決め込んでいます。  なかったことにしてしまうので、検証のしようがありません。

(197)手に負えない多重の歴史修正

「三国遺事」梵魚寺本(東亜日報)  『書紀』は「任那王己能末多干岐」がオホド王23年旧…

(196)金仇亥王は倭にとどまったか

伝仇衡王墓陵(KOREA Trip Tips)  任那が倭人の邑國連合か倭國の分国ないし植民地だった…

(195)6世紀前半最大の課題は半島情勢

欽明天皇の「磯城嶋金刺宮」跡伝承地  ヤマト王統第29代大王ヒロニワ(天国排開広庭:欽…

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(193)ヒロニワ大王の即位は何年か

西殿塚古墳(手白香皇女衾田陵:天理市)  筑紫の葛子王から見ると、父の仇である物部麁鹿…

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(192)背景に物部宗本家の家督争い

気比大社(じゃらん)  『書紀』はオビト王(聖武)を無事に即位させるために、藤原一族が…

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(191)その後の麁鹿火はどうなった?

磐井の乱を鎮めたら、お前は筑紫以西を支配せよ、と言われたのですから、筑紫以西の王になった…

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(190)音韻からも「アヘ」説に一票

退陣を発表した安倍晋三首相(8月28日:TBS「Nスタ」から)  筑紫磐井の王統=倭國王家の姓が「アヘ」または「アベ」だったのではないか、という傍証は、福岡県福津市、安曇一族の墳墓がある奴山の南約1kmにある宮地嶽神社の所伝です。  同社のホームページによると、祭神は息長足比売命、勝村大神、勝頼大神の3柱となっていて、勝村と勝頼は磐井の跡を継いだ葛子の息子(磐井の孫)だというのです。  宮地嶽神社の周辺には56基の古墳が確認されていて、なかでも宮地嶽古墳(宮地嶽大塚