(190)音韻からも「アヘ」説に一票

188阿倍氏

退陣を発表した安倍晋三首相(8月28日:TBS「Nスタ」から)

 筑紫磐井の王統=倭國王家の姓が「アヘ」または「アベ」だったのではないか、という傍証は、福岡県福津市、安曇一族の墳墓がある奴山の南約1kmにある宮地嶽神社の所伝です。

 同社のホームページによると、祭神は息長足比売命、勝村大神、勝頼大神の3柱となっていて、勝村と勝頼は磐井の跡を継いだ葛子の息子(磐井の孫)だというのです。

 宮地嶽神社の周辺には56基の古墳が確認されていて、なかでも宮地嶽古墳(宮地嶽大塚とも)は直径34mの円墳ながら、全長23mの石室を備え、副葬品として伴出した金銅製馬具類や金銅荘頭椎大刀(かぶつちのたち)、緑瑠璃板(ガラス板)などが一括して国宝に指定されたことで知られています。

 宗像君徳善(オホアマ大王:天武妃の実父)の墓ではないかとする意見があるのですが、古伝では「勝村・勝頼の墓」とされ、2人は「安倍高丸」「安倍助丸」の異名を持っていたとされています。さらに神社から目と鼻の先にある津屋崎は『書紀』にいう崗県主熊鰐と吾瓮海人烏摩呂(あへのあまおまろ)の本拠であるといい、「阿閉島」の地名が伝わっています。

 「閉」の音を見ると、呉音は「ハイ」、漢音は「ヘイ」、ピンインは「bi」となっています。7世紀以前はp音=「ぺ」でしたが、奈良・平安時代「フェ」から「ヘ」に転化したと考えられているそうです。「アヘ」が「アベ」に訛って、それに安倍、阿倍、阿部、阿邊、阿辺といった漢字が当てられたのでした。

 ところで、前々節(第188回)で触れた『隋書』の「俀王姓阿毎」に戻ります。「阿毎」ははたして倭語「アメ」音の写しなのか、という問いかけで終わらせていたので、消化不足の感は否めません。

 「阿」には呉音・漢音「ア」「エ」、ピンイン「オ」の音があり、「毎」の呉音は「マイ」、漢音は「バイ」、ピンインは「mei」です。倭語1音に漢字1字とすれば、「バイ」は「バ」音、「メイ」は「メ」音といっていいでしょう。  組み合わせると、「アマ」「アバ」「アメ」、「エマ」「エバ」「エメ」、「オマ」「オバ」「オメ」の9通りです。

 教科書日本史の「アマ」「アメ」説が成り立つのは事実ですが、『隋書』の時代は呉音が廃れ、漢音が主流になったころなので、「アバ」の音も無視できません。

 そこでオホヒコを主祭神として祀る伊賀市の敢國(あへくに)神社が想起されます。オホヒコだから「アヘ」なのです。また、オホヒコを始祖とする氏族に「アヘ」氏、「アベ」氏がいることに気がつきます。  先に首相辞任を発表したアベ氏の表記は「安倍」で、著名なところでは阿倍比羅夫、阿倍仲麻呂、安倍晴明、安倍貞任といった人物が思いつきます。また、「阿倍」「安部」「阿邊」といった表記もあり、古くは「阿閇」と表記されました。

 「アヘ」は「アヘる=饗応する」なので、料理を作ったり配膳する人々を「膳部」と呼びました。推古天皇の和風諡号が「カシキヤ(炊屋)」なのは、庶民の暮らし=食を保証する(天候と水利を安泰に維持する)のが大王の責務とされたためでした。そのことからも、筑紫王家の姓が「アヘ」だったのかもしれない、というのは納得できるところです。 

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