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引きこもりは現代の仙人。私がnoteを始めるまでの心と頭と妄想と。
記念すべき初投稿。
なぜ私がnoteを始めることになったのか?
それは友達からの連絡で始まった。
友人はロサンゼルスでコーチングの仕事をしているが、最近熱心に勉強しているのがヒューマンデザイン。あちらでは流行っているらしい。
ジャンルでいうと占いになるのか、占星術、易、カバラ、チャクラなどを融合して作られたものらしく、自分の特性を知ることが出来るという。
友人から、オンラインで直接私のヒューマンデザインを読ませて欲しいと頼まれ、もちろん快諾。
占いの類いから離れて久しい私は、「あなたはこのタイプです」的な説明を聞くのも楽しく、出てくるキーワードも新鮮で、ヒューマンデザインと昔話を行ったり来たりしながら、夜中の気楽なおしゃべりを楽しんだ。
ところが、話始めて数時間後、友人がなんの脈絡もなくこう聞いてきた。
「これからどうなりたい?」
突然、矢印が私に向いて、パニックになる。
どうなりたいかなんて、一番聞いてほしくない質問だ。
ずっと自問自答してきたが、答えがみつからず、封印していた呪文、痛すぎる問い。
しかし、深夜、私はかなりハイテンションになっていたので、
「観音菩薩になる」「仙人みたいになりたい」と答えていた。
そこまでなら、まだ楽しい「占いごっこ」だった。けれど、友人は間髪入れずこう聞いてきた。
「そのために何する?」
「やる事を3つ決めよう!」
えっ!私は一瞬裏切られたような、騙されたような気持ちになった。
マジで!どんな展開?
聞いてないよ、コーチングするなんて。
ズルいよ。頼んでないし。
いきなり私にスポットライトが当たり、マイクを向けられたような緊張感と、
久しぶりの友達からの誘いでいそいそと出かけてみたら、勧誘だった、みたいな失望感とで、心は重くなり、体は一瞬にして固まった。
なのになぜか、この時の私は、この提案に乗っかってみようと思った。
なぜなら、私は 『hermit 』だったから。
ヒューマンデザインで私は、
「hermit、世捨て人、模範的な世捨て人」
友人はたくさん時間をかけて色々説明してくれたけれど、この『世捨て人』の説明を聞いた瞬間、目がピカッとひらいた。
「世捨て人は、一人でいる必要性を感じ、隠遁生活を送ります 」
隠遁生活?まさに私。
ということは、
怠惰な生活も、ぐるぐるしている思考も、動きだせなかった事も全て、
私が怠け者だからじゃなくて、一人になって考える時間が「必要」だったから?
考えていなかった方向からの衝撃的な肯定。
私の中で何かが弾ける。
謎が解けたような爽快感が広がり、
いきなり、心の扉がパッカーンと開く。
その途端、不思議なほど素直に、
今の私も過去の私も、
すーっと受け入れることが出来た。
そうか、私は 『hermit、世捨て人』 なのか。
言われてみれば、しっくりとくる。
そう考えると、むしろ忙しく働いていた自分の方が、無理をしていたのだと思えてきて、なんだかおかしい。
そっちじゃなく、こっちか。
見当違いも甚だしい。
結局私はまるっきり自分の事を分かっていなかった。
私にはほぼないと思っていた、思い込みと常識。それこそが思い込みだった。
思い込みお化けと常識モンスターにガッチリ羽交い締めにされていたのは私か。
なるほど、世捨て人か、隠遁者ね。
そりゃ、社会から距離を置きたくなるわけだ。
なんだ、私は私の心に従っていただけなんだ。
そう考えたら、体から力が抜けた。
なんという安堵感と解放感。
そっか、これでいいのか。
そっか、これでいいのだ。
自分を受け入れた途端、お化けとモンスターが消えていく。
体が軽くなり、頭がクリアになる。
気力が湧いて来るのがわかる。
ちなみに、hermitの他の訳は、仙人。
世捨て人と仙人じゃイメージが雲泥の差だけれど、隠遁者という意味では確かに同じか。
そしてなんとアメリカでは、引きこもりもhermitと言うらしい。なるほど。隠遁者という意味ではこちらも一緒だ。
私の妄想が始まる。
山の中と家の中の違いはあれど、
「引きこもりは現代の仙人なのかも」
想像してみると、妙にそんな気がしてきて、誰かに言ってみたくなる。
中から観るか、外から観るか。
積極的に引き受けた人が仙人で、
消極的に引き受けてる人が引きこもり。
わからないまま引き受けた人が、世捨て人。
みんな「一人でいる必要性」を感じ、実行している修行僧。
私の中のワタシが提案する。
これからは、尊敬を込めて、引きこもりを仙人と呼んだらどうだろう?
ワタシの中の私が答える。
いいね。賛成。
でも、昭和っぽい。
じゃあ、そのまま、hermitはどお?
「わたし今ハーミットだから」みたいな。
いいね。うん、いいみたい。
【ハーミット】
①仙人、引きこもり、世捨て人、隠遁者
②クールで知的で内省的な人
③内省してる様
次の瞬間、流行語大賞の映像が浮かぶ。
私の妄想はとりとめがなくて、果てしない。
話は戻るが、自分を受け入れ、すっかり身軽になった私は、友人の提案に対して、明るい気持ちになっていた。
「楽しいことになりそう」
それに、仙骨がビリビリと反応していた。
この仙骨と言うのもヒューマンデザインでは重要なキーワードで、大事な決断は、
「仙骨で決めろ、感じろ」と言っている。
とくに私は、仙骨の反応が大事らしい。
その仙骨が、「やれ」とGOサインを送ってきた。
2時間前まで夜中のおしゃべりをただ楽しんでいただけなのに、今じゃ「仙骨」と普通に言ってる私。「かなりキテるかもしれない」と心の中でツッコミを入れる。
でも仙骨には逆らえない。
画面越しに友人が見ている。待っている。
考える。考えるが、
「観音菩薩になる」「仙人みたいになりたい」と言ってみたものの、
「なりたいと言ってなれるものなのか?」と、冷静にまたツッコミを入れる。
そのためにやる事を3つか、夜中の3時過ぎ、かなりの難題だ。
私は、ずっと放置していたアイデアを思い出し、これ名案とばかりに言った。
「毎日気づきを書く」
「写経を書く」
すると友人が、
「あなたはhermitであり表現者、これからは今まで経験したことや、考えたことを周りの人たちに伝えてゆく使命がある」と力強く言ってきた。
「表現者」そう言われてもと、途方に暮れて、私は長考に沈む。
すると友人が突然言い放った。
「3つ目は何かSNSで発表することにしよう」
これには参った。
とにかく今までそこだけは用心深く避けて避けて、触れないように生きてきたのだ。
色々めんどくさそうだし、なんか怖い。
でも1番怖いのは自分。そんな事を始めたら、スマホを手放せない人になるに決まっている。
「いやいや、さすがにそれは無理」と、すぐに断ることも出来た。
でも、しなかった。
自分を受け入れた私の心には、
その瞬間からなぜか、
バカボンのパパが出てきて、
今も過去も「これでいいのだ」と繰り返し言ってくれていた。
「やってみたい」
びっくりするくらい素直にそう思った。
ハロー。やる気との久しぶりの再会。
その途端、
心の奥の方にずっとずっと隠していた気持ちが破顔で出てきた。
「書きたい」
hermitの私は、とても素直で無邪気で、好奇心旺盛だ。まるでバカボンのパパみたいに。
そうか、今の私は
『hermit』 で
『バカボンのパパ』なのだ。
そして今、私はこれを書いている。
「これでいいのだ」
これから、ツレヅレなるままに書いていきたいと思っています。
どうぞよろしくお願いします。
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