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金魚をプランターに埋めた日


自分が死んだら、遺灰は海にまいてほしいなと思っていた。
森でもいいな。

お墓は残された人の管理が大変そうだし、せまそうだし。
死んだらまた地球に還ってふわふわと、あてどもなく漂っていたいなと思っていた。

それなのに、飼っていた金魚が死んだことで、その思いはあやふやになった。


金魚の世界には入れないけど

4年前の夏祭りの日、3歳だった息子が初めて金魚すくいをした。

振り回したポイはすぐに破れてしまったけれど、「3匹選んでいいよ」と、おじさんが水の入った袋に金魚を入れて手渡してくれた。

・キンちゃん(朱色、小柄、性別不明)

・クロちゃん1号(黒色、でっかいオス)

・クロちゃん2号(黒色、小柄なメス)

ご縁があって、わが家にやって来た3匹の金魚たち。

驚くほど安易なネーミングだけど、子どもたちと話し合って決めた愛情たっぷりの名前だった。息子も娘もかわいがって、エサを食べる様子や長くのびるウンチを日々楽しそうに観察していた。

わが家にやって来た頃はみな同じくらいの大きさだったのに、日に日に成長していって、3匹の力関係が決まってきた。

クロちゃん1号は大きなオスで最強、キンちゃんは気が強い。ある時から、その2匹が小柄でやさしそうなクロちゃん2号を、追いかけ回すようになった。

あまりにひどいので理由を調べてみると、出産を促すためだとか、繁殖行動だとか、縄張り意識だとか、意地悪だとかあった。

何にせよ、クロちゃん2号は明らかに苦しそうだ。気弱なので、反撃することもできない。執拗につつかれるクロちゃん2号が不憫で仕方なかった。

たしかにクロちゃん2号は何度も卵を産んだ。

あまりに何度も産むから、卵を水槽から取り出し、ふ化させて稚魚まで育てたこともあった。「もう大丈夫だろう」と大きくなった稚魚を水槽に戻した次の日には、一匹残らずいなくなっていた。クロちゃん1号が、心なしか大きく見えた。

金魚には金魚の世界があるのだなあと思う。

自分の子どもだって食べちゃう不条理。追いかけるのも追いかけられるのも、人間が立ち入ることのできない境界がある。それでも、いつも水槽の隅でじっとしているクロちゃん2号を見ると、愛着がわいたし、がんばれーと応援したくなった。


天地がひっくり返って7ヵ月

昨年の12月頃、クロちゃん2号が突然引っくり返った。

お腹を上に向けてプカプカと浮いている。


「死んじゃったの??」と驚いたけど、長い尾ビレをヒラヒラとふって元気そうに泳いでいる。エサをやると、さかさまのままバシャバシャッと水面を波立たせて、落ちてきたエサを上手に吸い込む。

「す、すごい……」

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自分が突然、天地引っくり返り生活を余儀なくされたら、こんなにすぐに順応できるだろうか。頭が下で、足が上の世界。いや、絶対にできない。

その頃から、私のクロちゃん2号へのまなざしは変わった。

追いかけ回されてかわいそうという気持ちから、ただただ畏敬、尊敬という気持ちへ。

生きることへの貪欲なまでの執着心、たくましさに、知らず知らずこちらが励まされていた。

実際に、引っくり返ってからのクロちゃん2号は、以前よりも堂々としていた。水槽の真ん中で、なりふり構わず暴れてエサを食べた。ほかの2匹を気にする素振りなどまったくない。

生きることに一生懸命なクロちゃん2号の姿は、誰よりも強そうだった。

(少し経った後、引っくり返った原因を調べてみたのですが、転覆病というもののようでした。治療法をいくつか試してみたけど、残念ながらなかなか元には戻りませんでした。)


クロちゃん2号、帰らぬ金魚となる

7月21日、その時は突然訪れた。

朝、いつものようにカーテンを開けてエサをやると、なんだかクロちゃん2号がぐったりしている。引っくり返っているのはいつものことだけど、だらりと全身の力が抜けていた。水槽が少し生ぐさい。

死ぬ前は、いつも引っくり返っているから、死んでもわからないかもなと思っていたけど、実際に死んだらひと目で分かった。さっきまでそこにあった何か、気のようなものが、忽然とそこからなくなった。

それはタマシイとか、イノチとかに言い換えられるものなのかもしれないけど、そのひと言で済ませたくないような何か。もっとぼんやりとしているけど、たしかなもの。それがフッと、クロちゃん2号の身体から消えた。

胸のあたりがギューッとなった。
一緒に過ごした4年間を思い返して、涙が出た。

やって来た夜のこと。
水草を入れたら1日で食べつくしたこと。
何度も卵を産んで食べたこと。
引っ越しだって一緒にした。

「ごくろうさま」
心からそう思った。

正直なところ、金魚は金魚なんだから、死んでもそんなに心が揺れることはないだろうと思っていたけど違った。一匹の金魚の、力強い一生を間近で見せてもらって、なんだか感謝の気持ちでいっぱいになった。


持ち上がるお墓問題


「クロちゃん2号のお墓どうする??」
息子が聞く。

水槽から取り出したクロちゃん2号は、とてもくさかった。物体になったそれを、ドキドキしながらビニール袋に入れる。

「うーん、やっぱりどこか土に戻すのがいいんじゃないかな?」
「土ってどこ?」
「うーん、近くの森とか? 土のある広いところかなあ」
「それじゃあ遠すぎるよ。クロちゃん2号はもっとみんなの近くにいたいと思うよ。家族なんだから」

「……う、うん。と言うと?」

「ベランダのプランターに埋めよう!」

息子が名案を思い付いたかのように、声を上げる。

「…………」

わが家はマンションなので、ベランダしかない。狭いベランダには野菜やお花の鉢がいくつかある。たしかに、そこにも土はある。

私の心はざわついた。
死体をベランダにずっと置いておくと思うと、ぞわぞわした。

「ダメ?」

「ダメじゃないけど……」

「けど?」

「うーん……」

なんて言ったらいいんだろう。
感覚の問題なんだけど、うまく説明できない。


こういう時はだいたい子どもの純粋な気持ちに耳を傾けたほうがいい気がした。私が今感じているぞわぞわは、大人になる過程で身につけてしまったおかしな感覚なのかもしれないから。

「プランターに埋めて、クロちゃん2号のお墓を作ってあげるの! そうしたらずっと一緒にいられるから」

遠くの土に埋めて、思い出だけを搾取しようという私の考えは、ずるいのかもしれないと思った。本当の愛情ってそんなのじゃないのかもしれないって。息子の言うように近くにいてほしいと思うことなのかな? そうやって近くで面倒を見ることが愛情の責任なのかな? 

なんだか、いよいよ分からなくなってきた。

ひとりドギマギと考える中、息子は淡々と割り箸をボンドでくっつけて墓標を作っている。マッキーでそれに「くろちゃん2ごう」と書き、土を掘り、「クロちゃん2号ちょうだい!」と死体を穴に入れ、土をかぶせる。


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そうして私たちは、できたてのプランターのお墓の前で、目を瞑り、手を合わせた。


***

もし死んだら、遺灰は海にまいてほしいと思った私の気持ちは今、ぐらぐらと揺らいでいる。

その頃には、息子の気持ちも言うことも変わっているかもしれないけど、大事に思ってくれる残された人たちの気持ちに寄り添うのも、なかなかいいものなのかもしれないなあと、毎朝クロちゃん2号のお墓を眺めながらそんなことを思ったりする。




ここまでお読みいただき、ありがとうございます!



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