月極トトム

いつでも、ハチャメチャだけど、いたって真面目。脅威の体力。旅好き。ここでは、エッセイを…

月極トトム

いつでも、ハチャメチャだけど、いたって真面目。脅威の体力。旅好き。ここでは、エッセイを主に書いてます。

マガジン

  • エッセイ本。

    日々、思った事、感じた事、いろいろ書いてます。

  • 新刊。月極トトムのエッセイ本。

    日々、noteで書いたエッセイがたまりましたので、 有料版に移動させました。ご購入していただけると喜びます。 いつも読んでくださってる方は、過去に読んだものだと思うので、記念に買ってもいいけど、知ってる内容です。

  • 新刊。月極トトムのエッセイ本。その2

    日々、noteで書いたエッセイがたまりましたので、 有料版に移動させました。ご購入していただけると喜びます。 いつも読んでくださってる方は、過去に読んだものだと思うので、記念に買ってもいいけど、知ってる内容です。

  • Cafeな人々。

    カフェで繰り広げられる素敵な会話とエピソードたち。 ショートストーリー♪

  • 短編小説に挑戦中。

最近の記事

お前のひたむきさは人を動かすから。

何かに夢中になると狂気的なくらい夢中になる癖がある。 飽きっぽいという気質があるにもかかわらず、 夢中になったときの集中力が異常なので、 そのギャップで周りを驚かせる時がある。 そのちょっと変わった特徴を 父は親バカ目線で、 「お前のひたむきさは人を動かすから」 と言って褒めてくれた。 この言葉は、強い言霊となって 私を応援し、支え続けている。 父からの『I LOVE YOU』が凝縮されてる言葉だ。 何かに向かって挑戦している時、 この言葉が頭の中で聞こえる。 「お前の

    • 風を感じる。

      空気の流れが速いと 風を感じる。 それは、 自分が速いスピートで 進んでいることによっての時もあるし、 周りの気流のスピードが 速いがゆえの時もある。 実際の空気の時もあれば、 こころや感覚や直感で感じる空気の流れで 風を感じる時もある。 何かがこっちに向かっているなと、 本能が風を感じている。 次の流れがやってくるなと、 第六感が風を感じている。 風を起こすと、自分の生を感じる。 風を感じると、世界の生を感じる。 生き物はみな 風を感じるのが好きなのだと思う。 飼ってた犬

      • ええ事、あったんだw

        今、シェアハウスに住んでいる。 シェアハウスといえば、 パリピっぽい人が住んでいて、 お互い干渉しあって 連日なんらかの飲み会や イベントがあるという 勝手な思い込みがあったが、 私の住むシェアハウスは、 住人同士で、 「お風呂沸いてるよー」とかの 連絡はし合うが 「朝まで飲んで語ろーぜ」 みたいな絡みはない。 実に平和である。 大したルールもないのに もめることなく、快適に過ごしている。 夜帰って灯りが灯された家に、 「ただいま〜」や 家に帰ってきた住人の気配に 「お

        • 弱らない女。

          長く連絡を取ってなかった相手から 「元気か?」 とか連絡が来ることがある。 元気かどうか心配してくれてるのだと知り 安心してもらおうと 自分がいかに元気か伝える。 そして、 「よかった。無理するなよー」 的な事を言われ会話が終了する。 心配してくれるのは ありがたいと思うが 時々、元気でいない事を 期待されていたように感じる時がある。 「しんどい時は甘えろよ」とか 「悩みあったら相談のるぞ」とか こっちがネガティブな状況である前提で 会話をしてきているように思う。 そうであ

        お前のひたむきさは人を動かすから。

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        • エッセイ本。
          月極トトム
        • 新刊。月極トトムのエッセイ本。
          月極トトム
          ¥100
        • 新刊。月極トトムのエッセイ本。その2
          月極トトム
          ¥100
        • Cafeな人々。
          月極トトム
        • 短編小説に挑戦中。
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        • トトムの絵日記。
          月極トトム

        記事

          野生の感覚

          「小枝に縛られた象」 の話はご存知だろうか。 私はこの話をかなり昔に聞いた。 もう20年以上前な気がする。 ざっくりいうと、 象を服従させるため、 子象のうちに頑丈な木に繋ぎ 逃げようとしてもびくともしない事で 「学習性無力感」をあじあわせる。 すると思い込みがうまれ 成長した象を 小枝につないでおいても 逃げなくなる。 「繋がれてなければ、自由なのに」 という自由への憧れを抱きながら 「小枝」が人生最大の解決不可能な 宿命に思い、挑戦しなくなる。 つまり、自分の自由を

          野生の感覚

          え、いいの?

          長年、切望し続けて 望んで望んで、 望み続けて、 そんな都合の良い状況 妄想の世界でしか起こり得ないと 思うような絶好のチャンスが びっくりするくらい きれいにお膳立てされたように 整って、自然にさりげなく 自分の前に現れると 両手を上げて大喜びではなく、 面食らって、拍子抜けして、 誰にか分からないけど 「え、いいの?え、本当に?え?え?え?」 とドギマギしながら 躊躇して、確認を取りたくなる。 「見間違いじゃないよね?  だよね、だよね、間違いなく整ってるよね?  え

          え、いいの?

          自己犠牲の対価に

          普通に働くより、 寝る間も惜しんで働く方が 血反吐を吐くほど働く方が 自分を限界まで追い込んで働く方が 貴いと潜在的に思い混んでいた気がする。 普通に与えるより、 限界まで与えて与えて与え尽くして 最後の力と知恵を振り絞って 与える方が価値があると 思い込んでいた気がする。 自己犠牲を伴わなければ、 自分から生まれるクリエイティブに 真価が芽生えないような そんなことを疑いもなく 信じきっていたような気がする。 信じきり過ぎて、 当たり前の領域、常識の領域にまで、 なってい

          自己犠牲の対価に

          私にとって、その女優が美しいということは

          私がまだ小学生だったころ その女優さんを初めてテレビで見て こんなにキラキラ輝いて綺麗な人が 居るのだと知り心が歓喜した。 「この人、とっても綺麗だね!憧れる」 と私が騒ぐと母が若くて美しい彼女に 嫉妬したのか 「この子が綺麗なのは若い時、一瞬だけ。  この子みたいなタイプの顔つきは  絶対、太って醜いおばさんに将来なる。」 と断言した。 あまり母親に歯向うことはなかった私だが、 自分がものすごくいいと思っている事を 否定されたようで、かんにさわったのか、 「絶対にそんな事な

          私にとって、その女優が美しいということは

          パンツ見られるより恥ずかしい。

          友達とカフェでまったりした。 お互い長年の友達なので、 会っても何も話さず、 互いに別々の事をして過ごす事もある。 せっかく会っているのに お互いぽつぽつ喋っては、 スマホでニュースや動画をみて 各自の世界に入って遊んでいた。 すると、友達が急に 「腹立つわー!」 とスマホのニュースに文句を言った。 「何何何?」 と、スマホを覗き込むと 芸能人がインスタに おでこを出してる写真を投稿する際に "おでこを見られるのはパンツ見られるより恥ずかしい" とコメントを添えている内容の

          パンツ見られるより恥ずかしい。

          サプライズを予告する

          サプライズを予告された。 「じゃーお礼に、今度、◎◎(←日付が分かるイベント)に  めっちゃ驚かせるサプライズします!」 と後輩が言った。 「サプライズを予告したら、  もはやもうそれはサプライズではないだろう。  しかも◎◎(←どうでもいいイベント)って意味ないし」 と私は言ったが、 「いや、内容ですよ、内容で驚かせます!  心の準備しておいても、内容で期待以上に越えていき   絶対に心底驚いてもらいます!  日付でなく内容で勝負です!  なんでもない日のサプライズ、期待し

          サプライズを予告する

          残念なお知らせがあります。

          最近、少し落ち込み気味だった私を 友達が、気遣ってくれて、 気分転換をしようと言ってくれた。 「イメチェンだ!イメチェン!」 と騒ぐ友達を見て 過去に逆の事があった事を思い出した。 二人とも大学生だった頃に 彼女が彼氏と別れて 落ち込んでた時に 二人で気分転換に「イメチェンだ!」と 美容院へ行き 二人で劇的に髪のカラーも長さもかえ パーマをあてた事があった。 あの時は、「イメチェンだ!イメチェンだ!」と 叫んでたのは、私の方だったのに、 立場は逆転していた。 懐かしさと、彼女

          残念なお知らせがあります。

          直感の不思議

          「直感だけで生きてるよね。」 とよく言われる。 確かにそういったところある。 大きな人生の決断も、 根拠なくフィーリングで決めたりする。 「多分、こうだな」 という考えがよぎった時は大体それを信じる。 信じると言うより疑う気持ちが起きない。 なので間違いない気がして 確信めいた態度で挑む。 ただ論理的に理解したい人には 根拠をうまく説明できないし、 喋ると急にゆらぎが起こりだすので、 自分の中に留めて直感的に感じた事を 遂行する様にしている。 不言実行になりがちだ。 そしてな

          直感の不思議

          彼女の運命の人よ。

          友達は今、こんなことを感じているらしい。 面白いと思ったので共有します。 その人が近づいて来ている。 その人が自分の元へ 運命に導かれて、 彼女の引力に引き寄せられて、 とにかく急速なスピードでで どんどん引き寄せられて来ている。 どんな人かはまだ知らない。 ただその人が運命の人だと分かる。 そのまだ見ぬ人を出会う前にイメージする。 毎日毎日まだ彼女に出会えてない人生を どう生きているんだろうと 寂しかないかと、つまらなくはないかと、 彼女と出会うXデェイまで、 後どのく

          彼女の運命の人よ。

          善意の連鎖

          「善意の連鎖」という言葉について最近よく 思いを巡らせている。 誰かの善意に触れた時、 それがトリガーとなって善意が生まれ、 誰かに善意を与え、またそれがトリガーとなって 次の善意が生まれる。。。 そして善意は連鎖する。 善意が感染していき、善意が蔓延していく。 全世界に自分の些細な善意が波紋を起こしているのかもしれない。 世界の色々な場所で同時多発的に(別に同時じゃなくてもいいけど) 善意を起こしたら世界がまるっと善意に包まれる瞬間をおこせるのかもしれない。 そんな考えを巡

          善意の連鎖

          きみの元気は僕の元気さ ファイト♪

          突然、頭の中でニプロのCMの歌詞が流れ出した。 もうかれこれ1年以上まともにテレビを見てないはずなのだが、 流れ出した。 「きみの元気は僕の元気さ ファイト♪」 けっこういいこと言っている。 「きみの元気は僕の元気」って ほんとにそうだなって思う。 自分ひとりだけ元気でいれることなんて 絶対にできない。 誰かが元気がないと、元気がなくなってしまう。 誰かがひとりでも元気だと、元気をもらえる。 友達が元気ないと、 私たちという単位では、元気が減っている状態になる。

          きみの元気は僕の元気さ ファイト♪

          褒められる事への嫌悪

          褒められる事は、もともと嫌いなわけじゃなかった。 大した事してなくても 「すごいじゃん!」 「よくできたね!」 なんて褒められると、まんざらでもない気分になりうかれていた。 多分、褒め言葉の内容でなく、 相手が自分に好意的であり肯定的である事に 純粋に嬉しかったのだと思う。 それが、褒められる事に素直に喜べない事が ある時期から起こった。 どうしてもその褒め言葉にひっかかってしまうのだ。 本心で言ってるの? 褒めとけば、喜ぶとこっちの事見下げてない? 不快感と共に、

          褒められる事への嫌悪