野生の感覚

「小枝に縛られた象」
の話はご存知だろうか。
私はこの話をかなり昔に聞いた。
もう20年以上前な気がする。

ざっくりいうと、
象を服従させるため、
子象のうちに頑丈な木に繋ぎ
逃げようとしてもびくともしない事で
「学習性無力感」をあじあわせる。
すると思い込みがうまれ
成長した象を
小枝につないでおいても
逃げなくなる。

「繋がれてなければ、自由なのに」
という自由への憧れを抱きながら
「小枝」が人生最大の解決不可能な
宿命に思い、挑戦しなくなる。

つまり、自分の自由を奪っているのは
「小枝」であり、
「逃げられない」という
思い込みさえ払拭したら
もうすでに自由であると言える。
という事をわかりやすく説明してる
話だ。

この話を聞き
「なるほど〜」と思い。
何か自分に制限がかかった時は、
「小枝、小枝」と自分に言い聞かせて
鼓舞してきた。

おかげで色々挑戦できた。
しかし、小枝に繋がれたまま
自由と思える方向に
ベクトルを向けた生活を
していた感じだ。

意識的に自分の恐れているのは
ただの小枝に過ぎないと
自分に語りかけ
恐るに値しないのだと何度も
自分を励まし自由に向かい進む
と言ったリハビリめいた感じで
ある時まで人生を進めていた。

そんな中、
潜在意識や無意識は
反射的に小枝を見て怯んだり
弱気になったりと反応し
つられて消極的になることもあった。
頭では小枝と分かっていても
小枝に大きな権限を与えてしまい
行動が二の足を踏む感じで
ギクシャクすることもあった。
まぁ、若い頃の話だ。

この
小枝を物理的にも概念的にも
人生からきれいさっぱり
消し去る簡単な方法がある。
と、この前YouTubeで説明されていた。
歳を取ったから消えたと思っていたが、
どうやら違った。

それは、
野生の象が1匹いればいいだけだそうだ。
小枝に縛られた象が
野生の象が自由に動く姿を見ると
つられて自由になってしまうのだ。

頑張って「小枝、小枝」と
自分を鼓舞しなくても
野生の象が楽しそうに
自由に動き回る姿につられ
意識的にでなく
無意識で自由に動き回る事を選択する。
無意識すぎて、
いつのまにか自由に動き回る自分しか
いないことにある時気づく。
そして、自分につながっていたはずの
小枝が自由に動き回っていた間に
外れてどこかへ落としたことに気づく。

楽しくて夢中になってたら
時間が過ぎて、ただ自由になっていた。

この経験が無意識で起こるから
何が自分の身に起きたのか分かりにくい。
時の経過が解決してくれたような
体感的にはそんな感じだ。

ただ願ったらある時叶っていた

メンターの側にいたらうつった

引き寄せの法則が動いた

この事をそんな表現で言う人もいる。

私もすっかり変わった。
面白いくらい
すっかり変わり、
以前の自分が前世の記憶くらい
あやふやだ。
なぜあんなに小枝に恐れ、
なぜあんなに小枝に怯えてたのか
意味不明の領域だ。
いつどんな経緯で変わったか
気づかなかったが、
私を変えてくれた野生の象にあたる人は
あの人だなと言える。

今思うと
その人に出会って全てが変わった。
自分にはないものを持っていると
憧れていて、自分には到底なれないと
思っていたが、今や私もただの野生の象だ。
小枝はどこかで落っことしたみたいだ。
アクセサリーみたいに
ぶら下げていた小枝を
見ては恐れ慄き、
この小枝は一生自分から切り離せないと
悲劇の茶番をしていた自分が
やや面白く、懐かしく思う。

そうか、
あの人は、野生の象だったんだ。
出会ってすぐの頃は、
「もう何十年も小枝に
 縛られてきたのだから
 きれいスッキリ小枝から
 解放される事はないだろう。
 せめて、小枝に繋がれながらも
 小枝をひきずってでも、
 自由に動き回りたい。
 少しでも近づきたい。」
といった感じでその人に憧れた。
それがいつのまにか、いちいち
小枝を意識するのが面倒くさくなり
その人以上に野生を楽しみだした。
小枝に何十年繋がれてようとも
細胞が覚えている野生の感覚は
何百万年ものだ。
小枝の感覚なんて秒で払拭し
思い出す事さえ困難にしてしまえる。 
小枝をぶら下げながら
自由を追い求めていた時、
自分にぶら下がってる小枝に
意識を向けさせられるのが嫌いだった。
私に小枝を繋げた人を恨めしく思っていた。
今は、
「あー、小枝、それ昔持ってた気がする」
「ごめん。あの貰った小枝、
 どっかで落とした。」
カラッとした気持ちで小枝の話ができる。
本当にたかが小枝、
悲壮感のある話ではないのだ。

昔、その人に自分の小枝の話を
悲壮感たっぷりにしたことがあると思う。
多分、その時、はっきり
「その小枝は、俺には見えない。
 だから実在しない。
 ないものの話はしたくない。」
的な事を言われ、開始3分ほどで
話題を変えられた気がする。
さすが野生の象、
小枝には全く共感も
興味も示さなかった。

野生の感覚を
もっと研ぎ澄ますこと
それにしか興味がない。
そんな感じだった。

野生の感覚が目を覚ますと
メンヘラめいた話が下手くそになり
雑に扱いだしてしまう。
小枝への共感力が低下し
実在しないものに繋がれていると
深刻に悩んでいる人を
霊感の強い人と同様
自分には見えないモノが見える
特殊能力者に思えてくる。

ワイルドなおばさんか
ワイルドなおじさんに
成長する。

呼び起こされた野生の感覚は、
もっともっと研ぎ澄ませと、
野生の感覚を欲するループを起こす。
野生の感覚で生き始めると、
野生の感覚を持った仲間と出会い
周りに野生の象が
うじゃうじゃ居て
ワイルドな情報交換をする。

自由以外が幻想であるとわかり
自由への恐れる理由を失う。

感覚なので頭で理解せず
ワイルドな人の空気感の中にいたら
自然とうつり、前からそうだった気になる。
そんなもんだ。

ワイルドでない生き物なんて
存在しないのだ。
ちょっとの期間、ワイルドでない
フリをしていたに過ぎないのだ。
すぐ思い出す。

「小枝〜?森永製菓の美味しいやーつー?」
となったら
もー完璧ワイルドだ。

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