私にとって、その女優が美しいということは

私がまだ小学生だったころ
その女優さんを初めてテレビで見て
こんなにキラキラ輝いて綺麗な人が
居るのだと知り心が歓喜した。
「この人、とっても綺麗だね!憧れる」
と私が騒ぐと母が若くて美しい彼女に
嫉妬したのか
「この子が綺麗なのは若い時、一瞬だけ。
 この子みたいなタイプの顔つきは
 絶対、太って醜いおばさんに将来なる。」
と断言した。
あまり母親に歯向うことはなかった私だが、
自分がものすごくいいと思っている事を
否定されたようで、かんにさわったのか、
「絶対にそんな事ない、この人は絶対にずっと
 綺麗に決まっている!」
とムキになって言い返し、
そこから母と娘の
その女優さんが将来、
醜くなるか美しいままかという
どうでもいい口論が始まった。
最終的に、髪の毛を引っ張られたり、
殴られたり、もみくちゃになるまでケンカをし
私が意見を変えるようにと結構な事をされたが、
何故かその件だけは私は譲らなかった。
母は家庭内で女王様のようなポジションに居たので、
彼女に逆らうことはなかなかのタブーだった。
特に私は、事なかれ主義で、
結構母の意見をすぐ受け入れ
服従するタイプの娘だったので、
ここまで言う事を聞かなかったのは
超稀少なケースだと思う。
でもどうしても譲りたくなかった。
最後は仕事から帰ってきた父が
鼻血をたらしながら母に歯向かっている娘を
とりあえず落ち着かせ、母から引き離す形で
収拾がついた。
そして次の日には何事もなかったかのように
母が接してきたので、その話題には触れなかったが
もし蒸し返してきたら、絶対に意見を変えず応戦する
気合いだけは持っており、数日殺気だっていた。
なので、なんとなく家族の中で
その女優さんの悪口を私の前で言うのは
地雷を踏むに等しいという暗黙の了解ができた。
私がその女優さんの大ファンなのだという理解で
この不可解な事件は家族の中で処理された。

なぜそんなにムキになったのか
理由は特に分からない。
ただどうしても譲れなかった。
そして、年月が過ぎ
テレビでその女優さんを見るたび
こころのなかで、
「ほら、やっぱり綺麗なままやん。
 それどころか、増々綺麗になってるやん。」
と何度もそのケンカに勝った気分になる。
そして
「ざまあみろ!ざまあみろ!ざまあみろ!」
と意地悪全開で心踊っている。
今日も美しい彼女をネットニュースで見て
心のなかで「ざまあみろ!」と
つぶやいている。
我ながら、なかなか意地悪い&根に持ち過ぎだと思う。

ただ、母親の断言する言葉というのは
子供にはとても強い力を持つ。
「あなたは○○だから。あなたは△△できない。」
それは呪縛になる。
でも、その呪縛を解き放つ力が
その女優さんの美しさにはある。
その女優さんが美しくあるということは、
私にとって
とても開けた未来の希望が生まれ
自分が信じた奇跡の可能性を開花させる
そのエネルギーが湧く源を掘り起こすような
そんな力がある。

美しいってパワフルだ。
今日も彼女は美しい。

ざまあみろ!(しつこっ)

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