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ガイアと月と日本人

一番身近な宇宙は?

地球を、ガイアをとらえるためには、その心に宇宙全体をとらえる目がなければなりません。
(『地球のささやき』龍村仁 の「解説」より)

地球の平均気温が上昇し、世界的に異常気象が起きている。資本主義の競争に勝ち抜くために、貧困地域で労働者が搾取されている。

今、私たち人類が直面している問題は、地球規模の大きさになっている。

しかし、「小さすぎるものと、大きすぎるものは見えにくい」というように、小さすぎる微生物や、その逆に大きすぎる地球に対しては、どうも当事者意識を持ちにくい人もいるようだ。

もちろんこれは自戒も込めて言っているわけだが、より多くの人が、小さすぎるものや大きすぎるものに対して、当事者意識やもっといえば愛着を持てるようになってほしいと思っている。

「当事者意識を持つ」というと義務感があり息苦しさがあるかもしれないが、もし私たちが地球に愛情を抱いているならば、人類が地球環境を激変させ、多くの生物を絶滅に追い込んでいることに(年間4万種類とも言われている)、あるいは過剰な資源採掘や、石油コンビナートの事故などによって地球を破壊することに、多少の罪悪感を感じるはずだ。

もちろん、私たちが生きるために、植物や動物などの命をいただくことはこの先も必要だろう。それに、今までに人類がある生物種を「狩りつくした」ことがあるのも、人類の「よくない歴史」として知っておく必要があるだろう。

しかしながら私たちは、人類の歴史の負の側面を乗り越えてきたのだから、環境を破壊する行為からも、そろそろ卒業できるように準備をするべきだ。

そのためにも、私たちは地球(ガイア)に生かされていることへの感謝を持って生きていく必要がある。地球が許容する範囲でしか、人類は生きていけないからだ。これはお世話になった人に感謝することと基本的には同じだ。私たちは、地球からも命の糧を受け取っているのだから。

冒頭の引用で、地球(ガイア)をとらえるためには、宇宙全体をとらえる必要があると書いた。

宇宙全体は、大きすぎて見えにくいことも確かだ。でも、とても身近なところに、私たちの目で捉えることが簡単な「宇宙のもの」がある。

それはだ。

月は、都市に住んでいても、自然がいっぱいの場所にいても観ることができる「宇宙」だ。

だから、宇宙をとらえるにも、まずは身近なところからはじめてみてはどうだろう。

特に、日本人は「月」との関係が深く、私たちは長い年月に渡って蓄積された文化を持っている。

月との関係性を思い出しながら、宇宙と地球に思いを馳せる、現代でもその豊かさはまだ味わえる。

月の暦と日本人

次の満月の日付が、パツと出てくるだろうか?

明治初期以前の日本人は、次の満月がいつかわかっていた。満月の日がわかるなんて、すばらしく風流ではないか。

さて、当時の人々が満月の日付がわかったのは、夜の明かりが乏しくて、毎日月を見ていたからだろうか?それとも娯楽が少なくて、月を眺めることくらいしかやることがなかったからだろうか。

もちろんそんなことはなく、当時の人々がいつ満月になるかを知っていたのは、「15日が必ず満月になるカレンダー」を使っていたからだ。

満月から満月までの周期は、29.5日ということがわかっている。これは最近の天文学によってわかったのではなく、ずっと大昔からわかっていた。

明治初期以前の日本人は、太陰太陽暦という暦を使っていた。これは月の満ち欠けの周期を元にした暦だ。月の満ち欠けの周期が29.5日なので、一月が29日である「小の月」と、30日である「大の月」があった。

しかし29日と30日の月を交互に12ヶ月繰り返したとすると、全部で354日にしかならない。そうするとカレンダーの日付と実際の季節がずれていってしまうので、2~3年に一度「閏月(うるうづき)」設けて1年を13ヶ月にすることで調整していた。

今使っているグレゴリオ暦は、31日ある月が7回ある(1,3,5,7,8,10,12月)が、31というリズムは月のリズムにはない(太陽のリズムにもない)。

だから現代の私たちは、「一月(ひとつき)」といったときに、本物の月のリズム(=宇宙のリズムだ)を感じにくくなっている。

その点、明治以前の人々は、月のリズムに合わせて生活をしていた。

月に合わせて、海や川の水位は上がったり下がったりするし、サンゴが満月の日に産卵をするように、生き物たちの生活にも影響がある。人間の精神や身体にも影響があると言われている。昔の日本人はそのことを、実体験に加えてカレンダーとも合わせて認識していたのではないだろうか。そして、テクノロジーや科学的な知識がないなりに、自然と仲良く、そのときにできる精一杯の仕事をし、そして自然からも恵みを受け取りながら、暮らしていたのではないだろうか。

月から生まれた言葉

日本人は「月」にまつわる物事に対して、高い言語的なセンスを発揮してきた。

例えば各月の名前。1月、2月・・・という味気ない名称に比べて、睦月、如月、弥生、卯月、皐月、水無月、文月、葉月、長月、神無月、霜月、師走、という名称の、なんと情緒的なことか。

ちなみに今タイピングをして気づいたのだが、私のPCでは水無月と神無月は、「みなづき」「かんなづき」とタイピングをしなければこのように変換されなかった。他の月は「ふみつき」など「つき」で変換された。水無月に関しては、古くは「みなつき」と読んでいたようだ。

また、9月には「お月見」という行事があるが、お月見は「中秋の名月」という。

中秋の名月の由来は、旧暦では文月、葉月、長月が秋にあたる。今の季節の感覚で言えば、文月は8月頃、葉月は9月頃、長月は10月頃である。

ここで旧暦の周期を思い出してほしい。旧暦には、15日が「必ず満月になる」という周期があった。

そのため、葉月の15日(現在の9月の満月の頃)は、秋のど真ん中に当たる。秋の真ん中の満月のため「中秋」の名月なのだ。

現在はこの中秋の名月ばかりが有名だが、実はかつての日本人は、中秋の名月(葉月の15日の月)を楽しんだら、長月の13日の「十三夜」の月の際にも月見をしていた。これを「二夜の月(ふたよの月)」といい、どちらか一方だけ月見をすることを「片身月(形見月)」ともいって忌み嫌われたという。

余談だが、(葉月の)十五夜の月は、月見のときに団子やススキなどの他、衣被(きぬかつぎ、里芋の子を皮つきでゆでたもの。画像検索をしていただければ、かわいらしい食べ物の画像がたくさん見れます)を備えるところから、「芋名月」と呼ばれ、長月の十三夜は、「豆名月」や「栗名月」とも言われる。季節感と、自然の恵みを感じさせる美しい名称だ。

旧暦では、15日は必ず満月になると書いたが、一方1日は必ず新月になる。この「1日」のことを私たちは「ついたち」と呼ぶ。これは「月立(隠れた月が出ている、という意味)」から変化したもので、「朔日」「朔」「一日」という漢字が当てられる。

ちなみにこの記事のトップ画像に使った月は、令和三年8月22日の月、旧暦で言えば文月の15日の月、別名「盆の月(かつては「盆」は満月の日の辺りに行っていた)」の写真だ。これは22日の24時頃の月のすがたで、そのとき、私が住んでいる場所の近くの川は、非常に水位が低くなっており、船が土手よりもずっと低いところにあった。

日本人の古来の知恵と文化を引き継ぎ、活かす

日本人は、このような暦、そして文化を持っていた。「文化」という言葉は英語で”Culture"だが、その言葉の語源は「耕す」という意味だ。そして、農耕を行うためには暦を知っていることが非常に重要になる。いつ植えていつ収穫をするのか、その時期を逃したら大変なことになるからだ。

私も先人に倣って月を見るように心がけている。もともと自然に関心のある方ではあったが、より、自然の営みや、生き物たちへの興味や愛情が高まったように感じる。

私でもそうなのだから、月のリズムと共に生きていた時代の人々の感性はどんなものだったのだろう。おそらくアニミズム的な感覚ももっと深かったのだろう。そして自然への畏敬の念を持っていたことだろう。

地球(ガイア)をとらえ、自然を保護し、地球規模の問題を解決するための土台として、日本人の古来からの知恵や習慣を、生かしてみてはいかがだろう。

 旧暦16日の日、いざよいの月の光を感じながら。

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