20240704 イラストエッセイ「私家版パンセ」 0026 「対立と緊張」
聖書を読むと様々な対立概念に出会います。
「御国が来ますように」と祈りながら、「御心が地にも行われますように」と祈る。
これは人間ではなく神が最終的な決着をつけるという終末思想と、人間の努力によってこの世を改善できるというユートピア思想との対立です。
「全てのことに感謝せよ」と言いながら、預言者もイエスも痛烈な批判家です。
修道院的な隠遁生活が神に近付く最善の方法であると見なす人々もあれば、マザーテレサのように世俗のまっただ中で働く人々があります。
キリスト教の一神論が魔術からの開放をもたらし、世界に偏在する秩序への信仰が科学を生んだが、同時に聖書は鋭く主知主義を批判しています。これを「反主知主義的主知主義」といいます。
人間には自由意志がある。しかしその自由意志で神の奴隷となる道を選択せよとルターは言います。
世に義人なし。世に正しい人は一人もいない。人間は自分の力では決して自分を救済できぬ。そういう悲観主義がある一方で、われわれ人間は神の無条件の愛の中にあると説く。
神の愛と神の裁き。
しかしこの対立概念の緊張関係の中にこそ、正しい人の生き方があるのかも知れません。
どちらか一方に安定してしまうとき、人間は自分を相対化する視点を失い、自己絶対化へ陥るからです。
これは聖書の解釈に限らず、人間存在全てにいえることではないでしょうか。
やさしさと厳しさ。楽観主義と悲観主義。権威主義と民主主義。保守主義とリベラリズム。人間讃歌と原罪。美と醜。善と悪。光と闇。
これは中庸ということとも違うんですね。あくまでも緊張関係なんです。分断とも違います。分断は緊張関係を避けるために、片方に安定しようとする働きです。だから危険なのです。人間がかろうじて悲惨に陥らない生き方ができるとすれば、あえてそのような緊張関係の中に生きることだけだとぼくは思うのです。矛盾を解消するのではなく、矛盾を抱えたまま生きる。そういうことです。
今日のイラストは、ケイトブッシュの「天使と小悪魔」のジャケットの模写。一人の人間の中に善と悪の対立があらわれていると思います。
私家版パンセとは
ぼくは5年間のサラリーマン生活と、30年間の教師生活を送りました。
たくさんの人と出会い、経験と学びを得ることができました。もちろん、本からも学び続け、考え続けて来ました。
そんな生活の中で、いくつかの言葉が残りました。そんな小さな思考の断片をご紹介したいと思います。
これらの言葉がほんの少しでも誰かの力になれたら幸いです。
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