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20240717 イラストエッセイ「私家版パンセ」0031 内なる判断基準 信仰 内在的論理について

 人は日々色んな判断をして暮らしています。何を為すべきか、為さざるべきか。何を良しとし、何を悪しきとするか。
 そこには何らかの判断基準が隠されています。人は己の判断基準に従って、善悪を判断しています。
 この判断基準を聖書に求める人々をキリスト教徒と呼びます。コーランならばイスラム教徒。
 無神論者ももちろん、この判断基準を持っています。
 ある人々は習慣、伝統を基準にします。ある人は世間の目を判断基準にします。またある人はイデオロギーを、またある人は効率性を、そして多くの人たちは金やモノの豊かさを基準とします。
 学校で一生懸命勉強させますけれど、それは心の豊かさや、学ぶ子供たちの幸福のためというより、やはり金やモノが豊かであればあるほど良いという価値基準によっています。
 
 内なる判断基準、価値基準を信仰と定義しても良いかもしれません。なぜなら、それは合理的に証明されているというよりは、無意識に信じられているからです。
 普通人はその基準については無意識であることが多いので、自分が信仰を持っているとは思っていません。
 ぼくはクリスチャンですので、「あなたは神を信じているのですね」と言われることがあります。はい、その通りです。
 「ではあなたは何を信じていますか?」と尋ねると、多くの人は「何も信じていません」と答えます。でも、実際には偏差値や市場原理、習慣や伝統を信じていることが多いんです。そしてほとんどそのことに無自覚、無批判に。

 自分がよって立つ判断基準、価値基準を意識化してみると、きっと世界が違うように見えてくると思います。

 他人がよって立つ信仰の立場からものを見ることも大切だと思います。国際政治アナリストの佐藤優さんは、これを内在的論理と呼んでいます。佐藤優さんが他国の内在的論理を理解することは国際関係の基本だと言うのは、氏がキリスト教徒であり、宗教を学んだことが大きいと思います。

レオナルドダビンチ 「最後の晩餐」 模写

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