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『翠』 18
柔軟剤を買い忘れたことに気づいたのは、帰宅後に夕食の支度を済ませ、溜まっていた洗濯物を済ませようと、洗濯機を回しはじめたときだった。まだ完全に切らしてしまったわけではなく、なんとか一回分くらいの残量は残っていたため、その日の洗濯に影響するわけではないが、明日までに買い足さないと、翌日の洗濯に支障がでる。といってべつに柔軟剤などなくても、最低限の洗濯をするだけなら、柔軟剤なしで洗濯をすることくらいはできる。ただ、主婦の意地というほど大層なモノではないにしても、自分としてもそれなりに家事に対するプライドくらいは持っており、仕上がった洗濯物に柔軟剤の匂いがちゃんと効いているか、Yシャツにしっかりアイロンがかかっているかなどの、最低限の家事の出来映えくらいは気にしないわけではない。
ほぼ乾燥室として使われているリビング横の和室に、脱水をかけ終わったばかりの洗濯物を干し終えると、ちょうど誠人さんが帰宅してきたところだった。しばらく部屋を留守にしていた陽菜が、すでに実母の元から帰ってきているらしく、さっきから二階の子ども部屋から、時折、椅子を引き摺る音や足音だけが聞こえてくる。
二階から伝わってくる陽菜の気配に、「なんだ、あいつ帰って来てんのか?」と、スーツのネクタイを緩めながら、帰宅したばかりの旦那が訊いてくる。
「あー、そうみたいね……」
一昨日のことがあったのもあり、なるべく気にしないようにしながら、旦那の問いかけに平静を装って返事をした。視界の端で旦那の顔色を窺ってみるが、とくに目立った変化があるわけでもなく、いつも通り背広をソファーの背もたれに脱ぎ捨て、
「あれ? ビールは?」
と、冷蔵庫のなかを漁っているところだった。
「あー、まだ冷えてなかったから、少し前に冷凍庫で冷やしておいたけど、もう冷えてないかな?」
旦那の質問に背中で答え、「もうご飯出来てるけど、先に食べる?」と、それとなく訊くと、
「あー……、そうなんだ。ところで今日のメシって何?」
と、冷凍庫からビールをとり出し、缶のプルタブを指で開けながら、少し間を置いてから旦那が答える。
「肉じゃがと炊き込みご飯だけど……」
自分で訊いておいて、大して興味がなかったらしく、「へー……」と愛想のない返事をすると、飲み干したビールをカウンターに叩きつけ、
「とりあえず先にシャワーでも浴びようかな?」
と、さっきした質問に、ゲップ混じりに返事をする。
あれ以来、旦那とのあいだに隔たりのようなものがあり、とくに避けているつもりはないのだが、お互いふつうに接しているつもりでも、どこか距離のようなものがあり、ぎこちなくなってしまっている。あんなことがあったのだから当然といえば当然の結果なのかもしれないが、なるべく意識して自然に接しようとすればするほど、気にしないようにと考えれば考えるほど、一層ぎこちなさが増し、まるで決まった台本のようなものがあり、そのなかでお互いセリフを喋っているかのような錯覚を覚えないでもない。
「あ、ところでクリーニングに出してたYシャツって、どうなった?」
手で潰した空き缶をゴミ箱に投げ捨て、緩めたネクタイを解きながら、思い出したように旦那が訊いてくる。
「あ、それなら、今日取ってきたわよ……」
その場で旦那の質問に答え、和室の紙袋を顎でしゃくると、「あーね……」と、お礼も言わずに、風呂場のほうへと去っていく。
その言い方があまりに素っ気なく、まるで、「言われる前に、さっさと取って来いよ……」と言われたような気がして、テレビを点けようと持っていたリモコンを、とっさに壁に叩きつけそうになる。その衝動をぐっと堪え、一度はふり上げた手を静かに下ろすと、矛先のない怒りと自分に対する悔しさで、思わず手に力が入り、テーブルに置かれた手がプルプルと震えた。
握りしめた手のなかで、ギシギシとリモコンが音を立てていた。
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