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『翠』 20

 母親が家を出て行ったのは、私が小学校二年に上がったころで、小学生に上がるタイミングでは、すでに父とは離婚の話で揉めていた。家庭に収まるタイプではなかった母親は、もとより父とは一緒になる気はなかったらしいのだが、その当時、私を妊娠してしまったこともあり、その流れでデキ婚をすることになったらしい。

「結婚したら家庭に入ってほしい」と、結婚前から何度も父は母にお願いしていたようなのだが、仕事が生きがいだった母にとって、その父の頼みは受け入れることができず、結果的に母は家を出て行くことになり、しばらくは別居状態が続いていたのだが、母の決意は固かったようで、最終的には父が根負けする形で、その半年後に離婚が成立することになった。

 あすみが丘に家を建てたのも、私が生まれるタイミングだったのだが、そもそも離婚など考えていなかった父にとって、こんなにも早く離婚することになるとは思っていなかったらしく、あとに残ったのは二人で暮らすには大きすぎる家と、三五年も払い続けなくてはいけない多額のローンだけだった。両親が共働きだったこともあって、母が出て行く前からすでに家の中は散らかっており、せっかく多額のローンを組んで建てた一等地の家ではあるが、お世辞にも人様を呼べるような状態ではなかった。

 ただ、それでも母が忙しい仕事の合間を縫って、帰宅後や休日に家事をしてくれていたこともあり、なんとか住める状態は維持してくれていたのだが、母が出ていってからというもの、誰もその役をする者が居なくなったこともあって、家の中は壊滅的なまでに荒れ果ててしまった。リビングには日常的に脱ぎ捨てられた洗濯物が散乱し、前日に洗い残した食器類は常にシンクに山のように溜まっており、なんとか人が住める状態を維持はしていたが、とても高級住宅街にある家とは思えないほどだった。

 父が再婚に向けて動き始めたのは、それから半年ほど経ったころで、その状態に溜まりかねた父は手当たり次第に、婚活パーティーに参加するようになり、そのときに出会った翠さんに猛アタックした結果、交際期間わずか二ヶ月という異例の早さで、翠さんが再婚することになった。我が家のゴタゴタに巻き込まれた翠さんには、申し訳ないことをしたのではないかと思わないわけではないが、母とは真逆のタイプの彼女が来てくれたお陰で、冗談抜きで壊滅的だった我が家の家の中も、徐々に住める状態にまで回復することができ、今では見違えるほどキレイになった。

 そして、その状態に父も最初こそ喜んでおり、積極的に家事をこなしてくれる翠さんに対し、人が変わったと思えるほど好意的に接していたのだが、人というのは悲しいもので、そういうことにも慣れてくるのか、徐々にもともと持っている性格の悪さというか、本人はまったく自覚はないのかもしれないが、傍若無人な振る舞いをするようになり、少しでも気に入らないことを見つけると、文句も言わずに家事をこなしてくれている翠さんに対しても、暴言や罵声を浴びせるようになった。DV紛いの振る舞いを続ける父に対して、正直、反感を持たないわけではなかったし、そんな扱いを受けている翠さんを、助けたいと思う気持ちもなかったわけではない。ただ、当時、小学生だった私にとって、そこから翠さんを助けだすことも、身を挺して庇うこともできなかった。

 少しでも父の逆鱗に触れるようなことがあれば、豹変したように仕事のストレスを無抵抗な翠さんに打つけ、気が狂ったようにそこら中の家の物に当たり散らしていた。さすがに暴力までは振るうことはなかったが、とくに酒が入ったときなんかは手がつけられないほど酷くて、本気で警察を呼ぼうかと思うほどだった。とにかく暴君のように暴れ回る父に逆らうことが怖かったし、そんな翠さんに手を差し伸べて、自分まで被害に遭うのではないかと思うと、どうしても足がすくんでしまい、その状況を見て見ぬふりをすることしかできなかった。

 友人と頻繁に出かけるようになったのもそのころからで、とにかく家に居たくなくて、父から逃げる形で家を空けることが多くなった。学校が終われば友だちと会うからと、門限いっぱいまで外で遊んでいたし、母親の休みに合わせてことあるごとに、母のもとに泊まりに行くようになっていた。いや、母親の家に泊まりに行くのは単なる口実で、父から逃げるために、外泊していたというほうが正確かもしれない。なるべくあの空間に居たくなかったし、翠さんが被害に遭っている、その状況から目を背けたかった。

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