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『翠』 19
「何それ? マジちょー、ヤバくな〜い?」
部屋に閉じこもったまま姿を見せない陽菜を呼ぼうと、二階の子ども部屋の前に立つと、なにやら電話で誰かと楽しげに話している義娘の声か聞こえてきた。さすがにドア一枚を隔てているだけあって、正確な会話の内容までは聞きとれなかったが、ドア越しに伝わってくる雰囲気から察するに、おそらく電話の相手は友だちかなにかで、同級生くらいの年頃の相手と話しているのではないかと思う。
「陽菜ちゃーん。ご飯出来てるけど……」
とくにノックはせず、簡単に要件だけを伝えた。
一瞬、話し声が止み、
「わかった〜」と、間延びした声が返ってくる。
すぐに電話の相手との会話に戻ったらしく、「うんうん、それで? へぇ〜、マジ? バカじゃないの? ありえな〜い!」と、やけにテンションが高く、楽しげに話す声だけが聞こえてくる。
「今日は炊き込みご飯と、陽菜ちゃんの好きな〝肉じゃが〟だから〜。先に食べてるね〜……」
再び、会話のあいだに割って入るのも、なんとなく気が引けたが、なるべく控えめな口調でメニューを伝えた。
「え?」
「いや、炊き込みご飯と〝肉じゃが〟だから……」
もう一度、控えめに伝え、
「あの……、食べたくなったら、いつでも降りてきて……」
べつに義娘とは関係性が悪いわけではない。というか、ふだんからこれといって会話もしていないので、関係性が悪くなることもなければなりようもない。お互いに避けて生活しているわけではないし、あまり踏み込んだ会話はしたことがないし、もっと言うなら、あえてそうしていると言えなくもない。お互いに傷つかないでいい最適な関係性、お互いに安全圏で入れるほどよい距離感。
「あー、うん。わかってる……。とりあえず置いておいて〜!」
「ごめんね……。電話中だったんでしょ?」
「いや、べつに大した話してないし……」
「あ、そうなんだ……。あの、とにかく先に食べてるから……、その、陽菜ちゃんのいいタイミングで、降りてきてくれていいからね……」
相手に気を遣わせないように、なるべく言葉を選んで伝えた。
「あー、わかってる!」
「う、うん……」
そう声をかけ、子ども部屋の前をあとに、階段を降りようとしたとき、「ねぇ!」と陽菜の呼び止める声に足が止まる。
「あ、ありがとね……」
何のことか判らず、頭がパニックになりかける。
「え? え……?」
意味が判らず聞き返すと、
「いや、だから、ありがとね……」
もう一度、義娘の声がドア越しに聞こえてくる。
「あ、えっと、あの、うん……」
思いがけない義娘の言葉に、思わず動揺してしまう。ふだんというか、日頃からそんな言葉をかけられたことはない。無視はされても、誹謗や中傷ならかけなれられてるけど、感謝の言葉をかけられることなどなかった。つい一昨日も旦那から罵声を浴びせられたばかりだ……。正直、自分にはこの家に居場所などないのだと思っていた。なのに、なぜ、このタイミングでお礼を言われたのか、意味が分からなかった。逆に戸惑うことしか出来なかった……。
「あ、ありがとう……」
少しだけ間が空き、「翠さん……」と、呼び止める。
「え……?」
一瞬、何を言われたのか判らず、頭のなかが真っ白になる。
「え? あ、何……?」
電話の相手に、「あの、ちょっと、ごめん……」と、前置きし、
「わたし、お父さん嫌いだから……」と、唐突に話しはじめる。
「え?」
何を言われてるのか判らず、聞き返すと、
「わたし、お父さん嫌いだから……」
と、もう一度言う。
「う、うん……」
ドア越しの言葉の持つ重みのようなものが、ここまで伝わってくるようだった。
「えっと……」
無意識に口にしていた。
「わたし、私は、お父さん好きじゃないから……」
どう返していいのか判らず、困惑していると、
「翠さんのこと、わたし、嫌いなわけじゃないから!」と、唐突に言い切る。
「陽菜ちゃん……?」
「私、お父さんのこと好きじゃないから! ていうか、翠さん無理してるよね?」
図星すぎて、言葉に詰まる。
「翠さんが無理してること、わたしは判ってるから……」
「あの、えっと……」
話の展開が急すぎて、頭がついてこない。
「わたし、お父さんのこと好きじゃないから! 寧ろ嫌いだから!」
はっきりと言い切る陽菜の言葉には、力が籠もっていた。
「それ、どういう意味?」
「そのままの意味!」
「とにかく、わたしは翠さんの味方だから……」
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