誰も助けてくれない
こんにちは。
丘咲 つぐみです。
22回目の記事になります。
まずは、区役所の「家庭支援課」へ相談の電話を入れてみました。すると、
「お母さんの入院中、息子さんは児童相談所で一時保護所でお世話してもらえますよ。」
と、拍子抜けするほどにあっさりと朗報が飛び込んできました。私のようなケースでも児童相談所に相談できることを、初めて知った瞬間です。
電話を切ると、そのままの勢いで児童相談所に電話を掛けてみました。
生活の状況を聞かれたり、息子の年齢や名前、通っている保育所の名前を聞かれたりと、30分ほどお話を聞いてくださいました。
しかし、その殆どのことはすぐに頭から消え去ってしまうことになります。
それは、最後に、こう説明を受けたからです。
「ご両親が近くにお住まいなのですね。それなら、まずはご親族の間で解決してください。
お母さまが虐待を受けていたのは、子どもの頃のお話ですよね。もう終わっていることですよ。息子さんもご両親から目立った虐待を受けているようには思えません。」
これまで、何度も聞いてきた言葉です。助けて欲しいとき、どこに相談しても繰り返し言われてきた言葉です。私が虐待を受けていたのは子どもの頃のこと、と。
更に、今回はそこに新しい言葉が加わりました。「息子は両親から目立った虐待を受けていない」、と。
もう、誰も助けてくれない。
子どもやその親を助けてくれるはずの場所でこのような言葉を掛けられてしまう、この哀しさや喪失感、絶望感は、とても言葉では表現し切れません。全てに見放されたような気持ちです。私が身体的な虐待を受けたことそのものは、確かに過去のことです。でも、「奴隷だ!」「人間にもなれるはずもない!」「役立たず!」という言葉の暴力は、今も続いているのです。さらに言えば、私の心身の状態が酷くなれば、それと比例して、子ども時代以上に受け入れ難い言葉が投げつけられるのです。
息子に対しても、同じです。
「あなたのお母さんは気狂いなのよ。怖いね。」
「お母さんみたいになってはダメよ」
「あなたなら○○大学に行って、お医者様になれるわよ。お母さんとは大違いなのだから。」と日常的に繰り返し語りかけます。
こんなにも精神的苦痛を味わい続けていても、「虐待は終わったこと」と言えるのでしょうか。
しかも、虐待というのは、その行為が終われば自由になれるのではないのです。
虐待後遺症からの複雑性PTSDにより、未だに両親を恐怖の塊としか見ることができないのです。私にとっては、世界中のどんな凶暴な動物よりも怖く、どんな凶器よりも鋭く殺傷力があるのです。
そんな恐ろしい人間に、世界で唯一の愛する息子を預けて入院するなんて、どれほどの恐ろしいことなのか、理解して欲しかった。「児童相談所」というところは、虐待を受ける人を守ってくれる存在では無いのでしょうか。
これが、初めての児童相談所を恨んだ経験となりました。
息子を両親に預けて入院するほか、選択肢はなくなりました。
手術なんて諦めてしまった方がどれほど楽だったでしょう。しかし、ここで諦めてしまっては、私の目的は叶わなくなってしまいます。
「子どもと笑顔で生活すること」、この目的は絶対に失いたくない一心です。
子どもと笑顔で生きたいのです!
そのために、目先の恐怖や苦痛は、ぐっと我慢して、押し殺して、未来の目的のために、息子を両親に預ける決断をし、入院することにしたのでした。
(つづく...)
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