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本当に大切で必要なgiveほど小さい。

最近なんとなく、自分の中にgiveというテーマがあって、でも誰に何をどうgiveしたらいいのかな〜と考えることが多い。

大学4年生という身分としては、これから担う「仕事」という、一番役割っぽい役割で、自分がしたいgive、自分にできるgiveを実現したいなとも思う。

仕事とは違っても、見て感じて考えて、表現すること、自分にとって大切だと強く思うことが、giveに繋がったらいいなとも思っていて、noteを書くとか、対話とか、いろんな形を模索している。

だけど最近、今の私にとって一番身近な「家族」が、一番giveすべき(課された義務ではなく、本当に必要だと感じられるという意味)人たちなんじゃないかと思いながら暮らしている。

というのも、本当にちょっとした言葉や意識で、人と人との関係性ってすごく変わるんだなと実感しているから。


休学・移住生活から帰ってきて一週間。

たった一週間だけどすでに、家族との間で交わされる言葉とか行動とか感情が、変わってくるのがわかる。

初めの1日。
久々に帰ってきた私をみんな喜んで迎えてくれたし、私も、もちろん実家ではあるし無理するのとは全然違うのだけど少しだけ、「他の人のテリトリー」に入ったような感覚で、配慮を散りばめた言動をしていたと思う。

一週間たった今、どうか。

大きな喧嘩とか揉め事はまったくない。
前提として、毎日ご飯が美味しくて、実家っていいな〜と楽しく平和に暮らしている。だけど、あの日、帰ってきた日とは何かが違う。


本当に些細なことなのだ。

・自分がちょっとテレビに集中している、心配事やイライラがあって気分じゃないといった理由で、誰かが言ったことや挨拶をちょっと受け流す。
(自分を正当化。今忙しいから。他人にだったらしないことが多い。)

・疲れていて早くお風呂に入りたいのに先に入っていた人に対して、あと何分くらい~?と聞く。
(シェアメイトになら聞かない。ちょっと早くしてのアピール。)

こういうのって、家族という存在が、自分にとってとても近くて安心できて「大丈夫」な存在だという安心感が、一歩踏み外して甘えになってしまったときに起こるんだろうなと思っている。

どんなに些細でもちょっとずつ溜まるなあと思っていて、だけど大切な居場所だからこそ、まだちょっとなうちに、できることはしたい。

今大切にしていることのひとつは、どんなに小さくてもgiveの感覚が芽生えたら見逃さずに実行すること

・お風呂を出たあと。次に入りたい人が待っている。ちょっと体重気になるな。でも毎日計っているわけでも、どうしても計りたいわけでもない。じゃあ、計らずちょっと早く次に譲ろうかな。
・なんとなく急いでるんだろうなと思ったら、そっとしておいてみる。

譲れないフリして本当は譲っても大丈夫な自分の望みを無理に押し通さないこと。
ちょっとラクしようとかちょっと欲張ろうと思ったことに、きゅっとブレーキをかけること。

そういうちょっとしたことの積み重ねが大事だなと思うのだ。

本当に必要なgiveほど小さい。
とても身近で何気ない、小さなことだからこそ、意識をきちんと向けないとこぼれおちてしまう

もちろんいつでもできているわけではない。やったところで気づかれもしないだろうけど。

「些細なことで関係性が変わる」というのは、ネガティブな意味でも起こるけど、ポジティブな意味でも、同じように言えるから。

大切な人たちを大切にするために、小さなgiveを積み重ねる。



実はもうひとつ、大切にしていることがあって、それは
自分の中の「思考のクセ」(出来事の解釈の仕方のこと)に気づくこと

今日挙げたような言動は、正直自分がするだけではなく、「される」こともかなりある。これを書いている途中にもあった…(笑)

そういう相手の言動に対してネガティブな感情をもったとき。
一見自分にはコントロール不可能な範囲のことに見えるけど、実はgiveと一緒で自分にできることがある。

これに関してはまた書こうと思います。

最後まで読んでいただきありがとうございました!


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