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【家族とわたし】#1 桜林 直子

もし「あなたと家族の思い出を聞かせてください」と言われたら、あなたはどんなエピソード、どんな感情を思い浮かべますか?

「家族とわたし」では、毎回ゲストをお招きして家族にまつわるエッセイをお届けします。第1回は、クッキー屋を経営しながら子育てをされてきた桜林直子さん。noteでも人の繊細な心に寄りそう投稿で人気を集めています。そんな桜林さんが、9歳の頃からイラストレーターとして活躍する娘の「あーちん」さんと積み重ねてきた「あるルール」について語ってくれました。

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9年前に会社を辞めてクッキー屋さんをはじめたとき、当時8歳の娘が「わたしも何かしたい」と言って「サクサククッキー新聞」をつくってくれた。お店に来てくれたお客さんに配るために描かれたその新聞は、イラストや文字が紙の上で踊っているようで、とてもかわいくて、お客さんにもよろこばれていた。中でも、右上に小さなイラストと「今日のひとこと」を描くコーナーがあって、わたしはそれが大好きだった。

ある日、結婚式の引き出物のギフトにクッキーを注文してくれたお客さまから、「クッキーと一緒にゲストの方たちに渡す、自分たちのためのクッキー新聞をつくってほしい」というご依頼があった。娘は結婚式に出席したことがないし、母子家庭で育った彼女にとって「結婚」はすこし遠い出来事で、ピンとこないかもしれないと思ったけれど、彼女に話すとよろこんで引き受け、新聞をつくった。
できあがった新聞にも「今日のひとこと」のコーナーがあった。そこには、鳥のイラストと並んで「どんどん家族になっていくよ」という言葉が描かれていた。彼女は8歳にして、家族は最初から家族なのではなく、次第に形を作っていくものだと理解していたのだ。

どんどん家族になっていくよ

「言葉にして伝える」ことで得られたこと

我が家には、いくつかのルールがある。
そのうちのひとつは、「できるだけ言葉にして伝える」というものだ。たとえば、子どもがなにかイヤなことがあって泣いてしまったときに、「もちろん泣いていいけど、泣き終わったら、何がイヤだったか教えてね」と伝えていた。

赤ちゃんの時期は、子どもが泣いたら親が「オムツかな」「寒いのかな」などと不快を察して探し当て、解決するのが当然だと思う。でも、言葉を話せるようになってからも変わらず、親が察して先回りして解決していると、子どもが泣くことを解決の手段にするようになったらイヤだなと思ったからだった。「たっぷり泣いたあとで『これがイヤだった』『こうしたかった』と話してくれたら、一緒に考えて解決するよ」と言っていた。

もちろんイヤなことだけではなく、いいことも言葉で伝えあうようにした。彼女が「絵本より図鑑の方が好きなんだよね」「日曜日の朝、ひとりで朝ごはんを食べるのが好きなんだよね(だから母はまだ寝ててほしい)(母はまだ寝ていられるのでラッキー)」などというのを聞いて「そうなんだ!」とわかるのは、その都度おもしろかった。

子どもだけではなく、わたしも言葉で伝えるようにしていた。急いでいるときにただ「早くして」と言うのではなく「○分までにここに行きたいから、ちょっと急ぎたい」と伝えたり、疲れているときに察してもらうのではなく「今日はすごく疲れちゃったから、ごはんを作りたくない」と言ったり、「何も考えられないから、その話は明日でもいい?」と提案したりした。

一緒にでかけたときに、わたしが「このお店見たいな」と言うと、彼女は気前よく「いいよ、じゃあ行こうよ」と言ってくれる。相手を動かそうとコントロールするための言動でなければ、好きなことやしたいことをちゃんと言えると、いいことがあるんだなと、わたしも学んだ。

子どもに自分の言葉で伝えてもらうことで、本人の「原液」を見たかった

子どもの「これが好き」「これはイヤ」「こうしたい」を知りたかったのは、親の影響力の強さが怖いという気持ちが元にあった。わたしの好みや意見を先に言うと、子どもは自然と親がよろこぶほうを選んでしまう。それは避けられないし、それ自体は悪いことではない。けれど、大人になってから「親のせいで」と言われたくなくて、自分から「何が好きか」「どうしたいか」を言ってもらう習慣をつけることで、本人の「原液」のようなものを先に見せてほしかったのだ。つまり、わたしが安心するためでもあった。

わたしが子どもだったとき、両親はいつも疲れていて、イライラして不機嫌だった。ピリピリした空気を察して、わたしたち姉妹は常に気をつかっていた。
疲れていてかわいそうだなと思っても、「大人は大変」「子どもにはわからない」と大人と子どもを分け、親が子どもに頼ってくれることはなかったので、助けてあげることはできなかったし、どう対処したらいいのかわからなかった。
きっと、「親だからちゃんとしなければ」「子どもだから知らないふりをしなければ」と、役割の枠にはまっていたから、双方がしんどかったのではないかと思う。「親だから」「子どもだから」の前に、ひとりの人として対等に見てほしかったのだと、今になるとわかるのだけど。
対等であるためには、役割の枠にはめずに、顔色を伺うことなく、お互いに正直でいられる方がいい。自分ができなかったことから、そんな予感をもつようになって、気持ちや願いを言葉にして正直に伝えるようにしたのだった。

ふたりでルールを作ることで、枠を外していく

親の子どもへの影響力が大きいことを恐れていたけれど、うっかり役割の枠を作ってしまうのが親なら、「こうあるべき」の枠を外していくことも親にできるのだと、今ならそう思える。
わたしたち親子にとって、ルールを作るのは、枠を作るためではなく、枠を外していくためだった。そこにいるメンバーがそれぞれ気持ちを出し合って、居心地がよいやり方をみつけていく。すこしずつ、調整しながら、まちがえたらやり直して、大事にしたいものを見つけていく。そうして、時間をかけて、どんどん家族になっていくのだ。

今思えば、「自分がどうしたいのか言う」「自分で決める」を子どもの頃から求めるのは、かなり厳しかったと思う。親が決めてくれることがなくて、なんでも自分で決めないといけないのは、プレッシャーも大きい。
でも、過去をふり返ると、学校でも家庭でも「自分勝手なことはするな」と、足並みをそろえてみんなで同じことをするように促されてきたのに、高校を卒業する頃に突然「あなたは何をしたいですか」と、一人ひとりちがう道を自分で決めなければいけなかったことに驚いて、ついていけなかった。子どもから大人になるときに、急に扱いが変わるのはおかしいよなと思っていた。

だから、10代後半で突然切り替えて大人扱いをするのではなくて、小さな頃からずっと大人と同じように個人を尊重していれば、何が好きで、何をしたいのかを本人が知っていれば、自然に、地続きの、大人になる道を自分で選べるのではないかなと思ったのだ。

鳥になりたい

娘の将来の夢は「鳥になること」

どんな形でも子どもは親の期待に応えるものなのか、「何が好きか、どうしたいか、教えてね」と言い続けていたら、娘は自分の感情や希望を言葉にするのが習慣になり、いろんな気持ちを教えてくれた。そして、当たり前の枠にとらわれない、自由な発想を見せてくれた。

彼女はずっと「大きくなったら鳥になりたい」と言っていた。言葉を話せるようになったくらいから、小学校に上がる年齢になってもなおそう言い続けていた。世界に対してフレンドリーな彼女は、生き物が大好きで、人間と動物をあまり分けて見ていないようだった(話によく登場するお友達の「えつこちゃん」が、保育園で飼っている金魚だったことがわかって驚いたこともある)。
保育園の帰り道にある図書館の大きな窓は、暗くなると近くの照明に反射して大きな姿見のようになるので、高校生くらいのお兄さんたちがよく全身を映しながらダンスの練習をしていた。その横で、娘は手をパタパタと羽ばたかせて何度も飛び上がり、鳥になる練習をしていた。
「鳥になりたい」という娘に、嘘をつかずに答える方法がわからなくなって、「他の人にも聞いてごらん」と責任を投げてみたら、運よく谷川俊太郎さんに質問をする機会があり、お返事をいただいたのもよい思い出だ。

家の中では気持ちを言葉にすることが当たり前だけど、学校ではそのルールは適用しないので、同級生の友達とすれちがったりと、うまくいかないこともままあった。
そんなときも、彼女ならではの自由な発想で、解決法を編み出した。彼女は「イライラすることもあるけど、そういうときはね、頭の中でメロンパンが大爆発するのを鮮明に思い浮かべると、だいたいのことはどうでもよくなるよ」と教えてくれた。メロンパンの表面のカリカリ部分の割れ方、中のふかふか部分の広がり方をスローモーションで映像化するらしい。これはすばらしい大発明なので、我が家でストレスをやり過ごす定番の方法になった。

わたしは、彼女の、老若男女だれにでも(人だけでなく動物にも)対等で、フェアな考え方や態度をほんとうに尊敬している。好きなものに夢中になって、楽しそうに進む彼女を、いつも頼りにしていた(頼りすぎてわたしのことを「しょうがないなあ」と面倒を見るようにどんどんしっかりしていったので、それも助かった)。

18歳になった娘の夢は今でも……

先日、もうすぐ18歳になる娘に「今だったら、大きくなったら何になりたい?」と聞いてみた。すると、「それって、職業で?それとも動物で?」と返ってきた。まだ動物になる選択肢を捨ててないんだと驚いたけど(ちなみに動物だと今はカンガルーになりたいらしい)、相変わらずで、なんだかうれしかった。

18年かけた長いおしゃべりの先で、わたしも彼女も、自分たちで作ったルールを越えて、もっと自由になれるといいなと願っている。


作者|桜林 直子(さくらばやし なおこ)
1978年生まれ 東京都出身。2002年に結婚、出産をした後、ほどなくシングルマザーになる。会社員を経て2011年に独立し「SAC about cookies」を開店。noteにてエッセイやコラムなどを投稿。2020年よりマンツーマン雑談企画「サクちゃん聞いて」を開始。2017年カンテレ(フジテレビ系列)TV『セブンルール』出演。2020年3月にダイヤモンド社より著書『世界は夢組と叶え組でできている』発売。娘のあーちんは、イラストレーターとして活躍している。
note  https://note.com/sac_ring
Instagram @sac_ring
Twitter @sac_ring
イラスト|三好 愛(みよし あい)
2011年、東京藝術大学大学院を卒業。イラストレーターとして書籍の装画や挿絵を数多く手がける。日々のできごとや人との関係の中で起きるちょっとした違和感を捉えた独自の世界観が魅力。主な仕事に伊藤亜紗さん「どもる体」(医学書院)装画と挿絵。
WEBサイト  http://www.344i.com/
Instagram @ai_miyoshi
Twitter @344ai

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「家族とわたし」は毎月10日頃の更新を予定しています。次回を楽しみにお待ちください。


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