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【エッセイ】花火の季節

始まりはいつも夏。
音、匂い、色、一気に思い出がスライドショーとしてカシャカシャと一枚一枚現れては消える夏。
大人になった今よりも子供のころの夏は非日常的季節だった気がする。
けだるく湿気を伴う空気感、他の季節より高く見える空、
毎日のように続く晴れ間そして夏休み。

毎夏どこかでうち上がる「花火」。
「花火」は普段忘れている私の記憶を呼び起こす力がある。
すっかり忘れてしまっていても、パッと花火が打ち上がれば、重なり見える記憶の断片。

幼いころの自宅、ベランダで線香花火を何本も飽きずにチカチカしているのを見てたこと。バケツに張った水に光終わった花火を入れる時のジュッという音がなぜか好きだったこと。焼きトウモロコシ、贅沢にまっぷたつに切ったメロン。
毎年必ず祖母の家に行き、盆踊り、浴衣、下駄(帰りに必ず鼻緒が擦れて絆創膏だらけになるのも今思えばいい思い出だ)唯一お祭りで食べてよかった綿あめ、かき氷。
何回も失敗してしまうが必ず一つは取る事ができたヨーヨー。やぐらの下でぎこちなく踊る浴衣姿の私といとこ達。
そして最後の打ち上げ花火。
いとこ達、両親、祖父母全員で見上げた真っ暗な空に浮かぶ花火の鮮やかな色、煙の匂い、遅れてやってくる音。
毎年毎年見ていたのに、自分が成長しているからなのか少しづつ空が近づき手が届きそうに思えるほど近くなっていく花火が好きだった。

盆踊りから帰ると、玄関前でもう一度小さな花火大会。
いとこ達と線香花火の取り合い。
体はくたくたになって眠いはずなのに、目だけはパッチリ開いていてチカチカ、パチパチ、ポトリと落ちる線香花火を目に焼き付けていた。
まるで夏が終わらないように。

大人になった今、花火大会には一度も行っていないが、
ベランダからちょこっと、だけど音だけは大きい打ち上げ花火を毎年見ている。
数十年前の打ち上げ花火や線香花火の思い出が、少ししか見えない自宅からの花火でもイマジネーションが補ってくれるのがおもしろい。
毎年必ず、思い返すことができる貴重な季節だ。
祖父母の家に行くことはもう二度とできない。
でもいつか誰かと花火を見に行くことがあれば、またあの頃の様に目を見開いて記憶に残しておきたいと思う。
いつかまた思い出せるように。




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