【歴史概要34】エチオピア侵攻・エリトリア独立戦争・スーダン内戦
①エチオピアは19世紀末にはイタリアに侵攻されたがこれを撃退した。しかしムッソリーニ時代の1936年にイタリア軍に敗北し一時期植民地となっていた。
5年後にはイギリスのサポートで独立を回復した。
②イタリアはエチオピアの隣国のエリトリアを植民地していたが後にここは解放されイギリスの保護国となっていた。
エチオピアはこのエリトリアを併合したのでエリトリア人の不満が高まっていった。
③1961年からエリトリア独立戦争が勃発する。1991年に解放勢力はエチオピアの首都アディスアベバを陥落させ独立した。独立後も国境をめぐって争いは続いている。
④エチオピアはソマリアとの国境地帯での戦争があり経済の低迷で政治は不安定で1975年には帝政から社会主義政権となる。ソ連のサポートがあったがエリトリア問題で1991年に崩壊した。
⑤エチオピアと南スーダンとケニアの3ヵ国は国境地帯の土地を争っている。20世紀初頭のイギリス植民地の東アフリカとエチオピア間で結ばれた条約が曖昧だった事が起因とされている。
⑥南スーダンは2011年にスーダンから独立しアフリカ独立国54番目となった。北部スーダンは19世紀初頭にエジプトが占領し南部スーダンはイギリスが占領した。
エジプトがイギリスの保護国になると南北スーダンはイギリス・エジプトの共同統治となった。イギリスは南スーダンを南方のウガンダと一体化させようとしたがうまくいかなかった。
⑦1956年に南北スーダンは一体で独立したが、南部では北部支配に対する不満が起こり独立要求の声が高まった。1972年に自治が認められるが石油が発見されると政府は支配強化に乗り出した。
⑧政府主導のイスラーム教の強制も起因しキリスト教徒が多数の南部は不満を高めた。これにより内戦となった。
この内戦で250万人もの南スーダン人が虐殺されたと云われている。コンゴやウガンダの軍隊も介入し北部政府も妥協した。2011年に南スーダンの独立が承認される事となった。
⑨国境の問題もあり政治も不安定であり日本の自衛隊も治安維持のため南スーダンに派遣されている事などを学びました。
■参考文献
『ライバル国からよむ世界史』 関 眞興 日本経済新聞出版社
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