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【歴史のない日本伝統26】家庭料理

右翼は低偏差値であったり歴史を知らないのに「日本の伝統が大事だ」とすぐに云う。しかし右翼が強調する伝統や歴史観などウソだらけで伝統性など乏しいものばかりだ。

今回は家庭料理の歴史のなさを説明する。
家庭料理はインフラが整備されてからできたものだ。

家庭で凝った料理が作られるようになったのは最近の話である。大名や公家は専門の料理人を雇っており商家や豪農家でも下働きの人間が食事を作った。ゆえに家庭料理という意識はなかった。

庶民は基本的に副食が一汁一菜であった。

汁物と漬物かお浸し程度のおかずしかなかった。米などの穀物は大量に食べられ1人1日5合と云われている。白米でグラム換算すると約750gであり炊くと1800gである。

庶民のみならず武士も同様であった。

庶民の住居に調理のスペースはほとんどなかった。江戸時代の長屋では居住スペースは約六畳でありここに小さな流しと水桶と簡単なかまどが設けられているだけだ。

水は井戸から汲むか水売りから買う。米を炊いたり野菜を煮たりするのは炭か薪を燃やした火であった。ゆえに火の調整は大変難しかったのである。

なので湯を沸かして野菜や豆を煮たてそれをおかずにしていた。冷蔵庫がないので作ったものを余らせる事はできなかった。調味料は貴重品なので味は薄口であった。たまに行商人や料理屋から総菜を買った。

農村になると食材の入手は困難であった。農民は自給自足で自分たちで作ったものしか口にできない。

一汁一菜の基本は同じだが季節によってはそれも難しかった。副食すらままならなかったのだ。

調理が自宅でできるようになったのは都市部では明治時代、農村部では大正時代から戦前だと考えられている。家庭料理がどの家でも作られるようになったのはガスや水道が普及してからだ。

家族の食事造りは女性の役目だったがこれは「夫は外、妻は家」という考えからではない。料理は家族の命を左右する大切な作業であり竈に神が宿っているという考え方が由来した。また日本のアニミズムは穀物や野菜を食べるという行為にも通じていた。

ゆえに食事は神事に等しかった。

その神事を担当していたのが女性だ。神へ食物を備える神饌を巫女などの女性が行う神社が存在する。しかしもはや食事は神事ではないため女性が料理を担う必要はないだろう。

また「いただきます」という言葉は「食料になってしまった生物の命に感謝するため」「作ってくれた人へ感謝するため」など諸説あるが実際は不明である。

食事前に手を合わせて「いただきます」という慣習は昭和起源という意見もあるぐらいだ。

1942年(昭和17年)に民族学者の柳田國男は「最近はやたらにイタダクという言葉が乱用されているがこれはラジオの料理番組のせいであろう」と述べている。必ずしも礼儀作法=遥か昔から続いているマナーとは云えないのだ。

(結論)
上流階級は自分で食事を作る習慣はなかった。庶民は料理とは言い難いシンプルなものしか食べておらず家庭料理とは程遠かった。また現在では家庭料理が神事ではないためとりわけ女性が料理を作る必要性は薄いのである。

■参考文献
『日本人が大切にしてきた伝統のウソ』オフィステイクオー 河出書房新社

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