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半分にされたてるてる坊主【てるてるmemo#7】

 てるてる坊主で晴天祈願をする際、てるてる坊主をわざと半分にしておくという作法がときおり見られます。わたしの管見の及んだ事例をふたつ紹介します。

【事例①】真っ二つの「てろてろぼうづ」

 ひとつめは蝦夷(現在の北海道)の事例。菅江真澄(1754~1829)が江戸時代後期に当地を旅した記録『蝦夷喧辞弁えみしのさえぎ』に登場します。
 菅江真澄が蝦夷南部の西岸を歩いたのは寛政元年(1789)のこと。旧暦5月7日、松前の平田内(現在の久遠郡せたな町大成区平浜)にたどり着きました。
 当地で見た「てろてろぼうづ」を挿絵付きで記録しています(★図参照。同じ音の繰り返しを表す「くの字点」は横書きできないため、本稿では「〳〵」と表記)[内田武志・宮本1971:41頁、内田ハチ1989:89頁]。

雨は、きのふのやうにはれずふれば、わらはべ、てろてろぼうづとて、紙にてかたしろをつくり、かしらより真二つにたちて、ひとつ〳〵に糸つけて、さかさまに木の枝にかけて此雨のはれなんことをいのり、かくて雨ばれのしるしをうれば、このてろ〳〵ほうしをひとつにあはせ、またきかたちとなして……(以下略)

  呼び名は「てろてろぼうづ」あるいは「てろ〳〵ほうし」。旧暦5月7日というと、現在の暦では6月末ごろに相当します。北海道には梅雨がないといわれますが、このときはあいにくの雨続きだったようです。
 前日から降り続く雨のなか、子どもが紙で「てろてろぼうづ」を作っています。菅江真澄はそれを形代と表現しています。
 絵に目を向けてみると、「てろてろぼうづ」は紙を切り取った平面状の作りで、顔はのっぺらぼう。裾の広がった衣を着ており、手足がかたどられています。頭から縦に真っ二つに切られているのが印象的です。
 そのひとつひとつの足の部分に糸を付けて、木の枝に逆さまに吊るすことで、降り続く雨が止むようにと祈っています。そして、雨が上がったならば、この真っ二つにしてあった「てろ〳〵ほうし」をひとつに合わせて真っ当な姿にする、と説明されています。

【事例②】顔半分の「日和坊主」

 もうひとつは、九州の小倉(福岡県北九州市)の事例。当地では、てるてる坊主を日和坊主と呼んでいたようです。民俗学研究所が編んだ『綜合日本民俗語彙』の「ヒヨリボウズ(日和坊主)」の項を引くと、次のように説明されています[民俗学研究所1955:1336頁]。

福岡県の小倉にもこの語はあり、杓子に眼、口、鼻を半分ずつ書いて吊す。

 紙や布で作るのではなく、素材として用いられるのは杓子しゃくし。すなわち、ごはんを盛るのに使う杓文字しゃもじや、汁ものをすくうのに使うお玉です。
 こちらには残念ながら挿絵はありませんが、おそらく、丸くくぼんだ部分に顔を書くのでしょう。目・鼻・口を半分ずつ書くそうです。設置方法は一般的なてるてる坊主と同じで吊るしておきます。
 願いがかなった場合の作法については言及されていません。おそらく、残り半分の目・鼻・口を書くのでしょう。
 この事例が掲載されている『綜合日本民俗語彙』が発行されたのは昭和30年(1955)。目次の前に掲げられている「編纂の趣旨」には次のように記されています[民俗学研究所1955:10頁]。

この語彙には大体において明治以後に報告採集されたものを収めた。したがつて古いものでも明治前期には生きた言葉として使用され、それによつてあらわされた民俗は現実に存在していたものである。

 杓子に顔半分が書かれた小倉の日和坊主は、少なくとも明治前期までは日常的に見られた風習のようです。

 小倉の日和坊主に使われた杓子に限らず、身近な生活道具を用いるまじないは数多くあります。そのなかで、病気平癒を願うまじない、とりわけ、眼病の「ものもらい」が治るように願うまじないには、道具を半分見せるという作法がしばしば見られます。
 たとえば、長崎の郷土雑誌『土の鈴』第15輯(大正11年=1922)掲載の「小学生も有する俗信」には、次のような報告が見られます[田中1979:80頁]。

目にモラヒが出来た時井戸の神様にミソコシを半分見せて「ヨクなればみんな見せる」と云へばよくなる

 ミソコシ(味噌漉し)とは、味噌のかすを取り除くのに用いる、柄のついたざる状の道具です。
 あるいは、『関東の民間療法』(昭和51年=1976)所収の栃原嗣雄「埼玉県の民間療法」には、秩父のまじないとして次のような方法が挙げられています。当地では「ものもらい」のことを「メカゴ」とも呼ぶそうです(原文に改行と中略を施して箇条書きで表記)[栃原1976:188頁]。

・井戸の上に顔を半分出し(メカゴを半分見せて)「メカゴを治してくれればみんなみせます」という。治ったらみんな見せる。
・井戸の上に篩を手拭で半分隠して見せ「治ったら全部見せます」という。
・井戸神さまにスリコギを半分見せると治る。

 ひとつめの「井戸の上に顔を半分出し(メカゴを半分見せて)」という方法については、眼病を患った自分の顔を見せるのか、あるいは、網目のある籠を見せるのか、はっきりとはわかりません。
 ともあれ、ここに紹介した長崎や秩父の風習だけを見ても、味噌漉しのほかふるい粉木こぎなど身近な生活道具が活躍しています。

 本稿で紹介したような、縦に真っ二つに切られた「てろてろぼうづ」や、目・鼻・口を半分ずつ書かれた杓子の「日和坊主」は、願掛けの時点で中途半端な状態を強いられています。そのうえで両者とも、一般的なてるてる坊主と同様に吊るされることで宙ぶらりんとなり、中途半端さが増しているといえるでしょう。
 てるてる坊主に対して、わざと普通ではない状態を強いる願掛けには、ほかにも多彩な作法が見られます。【事例①】では逆さまにしたりのっぺらぼうにしたりもされています。
 このうち、逆さまにする作法については、かつて整理・検討したことがあります(★後掲する「逆さまのてるてる坊主【てるてる坊主の作りかた#1】」、および、その続編【同#2】参照)。のっぺらぼうにしておくなど、そのほかの多彩な作法についても、稿をあらためて整理・検討できればと思います。

参考文献
・内田武志・宮本常一〔編〕 『菅江真澄全集』第2巻、未来社、1971年
・内田ハチ〔編〕 『菅江真澄民俗図絵』上巻、岩崎美術社、1989年
・田中田士英 「小学生も有する俗信」(土の鈴会『土の鈴』復刻版 第15輯、村田書店、1979年(原本は本山豊治ほか〔編〕、1922年))
・栃原嗣雄 「埼玉県の民間療法」(上野勇ほか『関東の民間療法』、明玄書房、1976年)
・民俗学研究所〔編〕 『綜合日本民俗語彙』第3巻(ツーヘ)、平凡社、1955年

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