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続・逆さまのてるてる坊主【てるてる坊主の作りかた#2】

はじめに

 江戸時代の一時期、てるてる坊主を逆さまに吊るす作法が多く見られたことを、かつて紹介しました。(★詳しくは「逆さまのてるてる坊主【てるてる坊主の作りかた#1】」参照)。

 てるてる坊主研究所で収集してきた古今のてるてる坊主関連資料のうち、江戸時代の資料に絞ってみた場合、てるてる坊主を吊るす向きが明らかな事例は7点。そのなかで、逆さまに吊るされている例が5点に及びます。いっぽう、普通に頭を上にした姿のてるてる坊主はわずか2点に過ぎません(★表1・図1・図2参照)。

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 たいへん数少ない事例に基づく推測ではあるものの、江戸時代の一時期、18世紀の終わりごろから19世紀の中ごろにかけては、「逆さまのてるてる坊主」が主流だったようです。いまから200年ほど前の時代です。当時、てるてる坊主がわざわざ逆さまにされていたのは、いったいなぜでしょうか。
 また、てるてる坊主を逆さまに吊るす作法は、昨今では一般的ではありません。200年ほど前には主流であった「逆さまのてるてる坊主」は、その後の時代にはどうなってしまったのでしょうか。順を追って探ってみましょう。

1、中国で掃晴娘を逆さまにする理由

 やや唐突ですが、いったん中国の事例に目を向けてみましょう。実は中国にも、日本のてるてる坊主と同じく、いい天気になるようにと願って人形を吊るす風習が伝えられてきました。
 人形の名を掃晴娘と言い、箒を持った女の子の姿に作ります。手にした箒で雨雲を掃くことで、好天をもたらすことが期待されています(★詳しくは「続・掃晴娘と比べてみれば【てるてる坊主考note#14】参照)。

 掃晴娘は普通、頭を上にして吊るす場合がほとんどですが、逆さまに吊るす事例も散見されます。たとえば、1923年発行の『中華全国風俗志』から。同書は訓詁学者の胡樸安(1878-1947)が編んだ書物で、全国各地の風習が紹介されています。
 そのなかで、中国の南東部、上海に近い江蘇省呉県(現在の江蘇省蘇州市呉中区および相城区)の風習として、「掃晴娘」について以下のように記されています[胡1923:71頁]。

呉県如遇久雨、則用紙剪為女子之状名曰掃晴娘手執掃帚紙人須顚倒足朝天頭朝地其意蓋謂足朝天可掃去雨點也用線穿之掛于廊下或檐下俟天已晴然後将掃晴娘焚去

 この一節について、中国文学者の沢田瑞穂(1912-2002)は『中国の呪法』のなかで、以下のように訳して紹介しています[沢田1990:444頁]。

呉県では久雨に遇うと、紙でもって女子の状に剪り、掃晴娘と名づける。手には掃箒を執り、紙人は顚倒させて足を天に向け、頭を地に向けなければならない。その意味は、足を天に向ければ雨点あまだれを掃き去ることができるというのであろう。綿いとで通して廊下か檐下に掛ける。空が晴れるのを待って、掃晴娘をば焚く。

 「掃晴娘」は長雨に際して作られます。紙を切って女の子の姿かたちに作り、手に箒を持たせ、糸を通して廊下あるいは庇に掛けます。そして、効果があった場合にはお焚き上げするそうです。
 注目したいのは、逆さまに吊るすことで期待される効果についてです。すなわち、逆さまにすると、手にした箒が空のほうを向く、そのため、箒で雨粒を掃いているように見える、と明記されています。少し理屈っぽい感じはするものの、筋の通った説明です。
 いっぽう、日本のてるてる坊主の場合には、手に箒を持ってはいません。そのため、逆さまにして雨や雲を掃いているように見せる必要はありません。てるてる坊主を逆さまに吊るすのには、掃晴娘とは別の理由があるはずです。
 なお、逆さまの掃晴娘について記されている『中華全国風俗志』が発行されたのは1923年。日本で「逆さまのてるてる坊主」が主流だった時代(1789-1844)は、それよりも100年前後さかのぼります。
 いい天気になるようにと願って、人形を逆さまに吊るす作法。それは、日本のてるてる坊主が中国の掃晴娘のまねをしたというわけではなく、中国とは別に日本で独自に生まれた風習のようです。

2、通常とは逆の願い?

 それでは、江戸時代の一時期に数多く見られた「逆さまのてるてる坊主」は、なぜ、わざわざ逆さまにされていたのでしょうか。
 ひとつの仮説として考えてみたくなるのが、てるてる坊主を逆さまにすることで、通常とは逆の願いを込めたのではないか、という見かたです。つまり、天気が良くなるよう願うのではなく、天気が悪くなるようにという願いを込めた、雨乞いのてるてる坊主である可能性です。
 しかしながら、民俗学の研究成果を見渡してみても、雨を願うのにてるてる坊主を逆さまに吊るす、という事例はまったく見つかりません。私の管見の限りでは、雨乞いのてるてる坊主の具体例として見つかったのは、次のような2つの手段です。

【雨乞いの例①】 鹿児島県の種子島で、雨乞いの方法の一例として、「てるてるぼうずを梅の木に掛けたりする」。<下野敏見「種子島の俗信・ターキ・手養生」より[下野1990:363頁]>

【雨乞いの例②】 「山口県萩市で、日和乞のために白い坊主を、雨乞のために黒い坊主の人形を軒に吊した」。<宮田登「てるてる坊主と日和見」より[宮田1980:42頁]>

 このように、てるてる坊主で雨乞いをする場合に重視されたのは、吊るす向きではなく、吊るす場所や色といった点のようです(★詳しくは「雨乞いのてるてる坊主【てるてるmemo#1】」参照)。

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 現に、江戸時代の「逆さまのてるてる坊主」の具体例に則してみても、雨を願って作られた「雨乞いのてるてる坊主」は皆無です(★表2参照)。【逆さまの例③】については不明ですが、そのほかの4点には、雨が止むように、あるいは晴れるようにという祈願内容が明記されています。
 つまり、江戸時代の「逆さまのてるてる坊主」には、天気が悪くなるように願う例は見当たらず、もっぱら「いい天気」に恵まれるようにという願いが込められてきたことがわかります。

3、願いがかなった場合の約束ごと

 実は、「逆さまのてるてる坊主」の事例5点のうち、【逆さまの例②】の「三河国吉田領風俗問状答」には、逆さまにする理由について明記されています。
 「雨やまば目口などをかき、逆ならず真直にすべしと祈る」[竹内ほか1969:606頁]。つまり、雨を止ませてくれたら、のっぺらぼうだった顔に目や口を書き入れ、逆さまではなく頭を上にしてあげようと言って祈る、というのです。
 あるいは、【逆さまの例①】の『蝦夷喧辞弁』にも、次のような説明が付されています(同じ音の繰り返しを表す踊り字(くの字点)は横書きできないため、本稿では「〳〵」と表記)[内田武志・宮本1971:41頁]。

かくて雨ばれのしるしをうれば、このてろ〳〵ほうしをひとつにあはせ、またきかたちとなしてまさなごとなど奉るといへり。

 つまり、願いどおりに雨が止んで晴れたならば、真っ二つだった体を1つに合わせて、「またきかたち」すなわち真っ当な姿にします。真っ当な姿ということは、逆さまではなく頭が上になるように直すのでしょう。それから、ごちそうを差し上げるそうです。

 このように、願いどおりに雨が止んだ場合のお礼としては、目や口を書き入れる、真っ二つだった体を1つに合わせる、ごちそうを差し上げるといった、さまざまな作法が見られます。
 そして、2つの事例に共通して見られるのが、逆さまだった姿から、頭を上にした真っ当な姿に直すという作法です。とりわけ、【逆さまの例②】の「三河国吉田領風俗問状答」の場合、もしも願いがかなったら「逆ならず真直にすべし」という約束が、逆さまに吊るす時点で前もって交わされている点も注目されます。
 この2点以外の「逆さまのてるてる坊主」の事例には、願いがかなった場合の作法については、残念ながら明記されていません。しかしながら、願いがかなった場合には、恐らく同じように頭が上になるよう直すのが、当時の作法だったのではないでしょうか。

4、明治以降で唯一の言及

 江戸時代の一時期には主流であった「逆さまのてるてる坊主」ですが、時代が下ると、絵画や文献資料のうえではパッタリと姿を消します。
 明治時代以降、絵画に描かれたてるてる坊主に逆さまの例はなく、すべて頭を上にして吊るされています。文献資料に目を向けてみると、わたしの管見の限りで唯一の例外が『日本大辞林』。
 国学者の物集高見もずめたかみ(1847-1928)が編纂した国語辞典です。「てりてりばうず」の項に次のように記されています[物集1894:960頁]。

はれをいのるまじなひにもちふるにんぎやう。紙(カミ)にてつくりたる人形(ニンギヤウ)にて、木枝(キノエダ)、またハ、軒端(ノキバ)などに、さかさまにかくるものなり。

 「はれをいのる」とき、「てりてりばうず」は「さかさまにかくるもの」であることが明記されています。
 この『日本大辞林』が発行されたのは明治27年(1894)。明治も半ばを過ぎてからのことです。ただ、「てりてりばうず」の項に記載された内容は、当時の風習を正確に反映しているのでしょうか。ひょっとしたら、執筆担当者が「てりてりばうず」を吊るした、自らの幼少期の作法に基づいて記している可能性もぬぐえません。
 残念ながら、「てりてりばうず」の項の執筆担当者については、無記名のため不明です。そこで、執筆担当者の幼少期を50年前と仮定してみましょう。『日本大辞林』の発行(1894年)から50年前と言うと19世紀の中ごろ。
それは、これまで整理してきた「てるてる坊主が逆さまだった時代」(1789-1844)、すなわち江戸時代の終わりごろに合致します。「てるてる坊主が逆さまだった時代」は、やはり19世紀の中ごろまでと想定しておいて、大きなまちがいはなさそうです。

おわりに

 「逆さまのてるてる坊主」が主流だったのは、江戸時代の一時期、18世紀の終わりごろから19世紀の中ごろにかけてでした。それ以降「逆さまのてるてる坊主」は、明治時代半ば過ぎの『日本大辞林』に、まるで残り火のような痕跡を残しているだけで、やがて完全に姿を消します。
 逆さまにするのは、通常とは逆の意味を込めて、天気が悪くなるよう願ってのことではありません。そこには、むしろ天気がよくなるようにという願いが強く込められています。わざと不完全で不安定な状態に置いて、てるてる坊主に試練を与えることで、まじないの効果を高めようとする工夫です。

 「逆さまのてるてる坊主」が主流だったのは、いまから200年ほど前の時代。その後は現在に至るまで、いい天気を願う「逆さまのてるてる坊主」の姿はまったく見られなくなりました。「あした天気にしておくれ」と願っててるてる坊主を吊るす際、なぜ逆さまにしなくなったのでしょうか。その理由はいまのところ不明で、今後の検討課題です。
 また、てるてる坊主をわざと不完全で不安定な状態に置いて、まじないの効果を高めようとする工夫は、逆さまに吊るす以外にも見られました。たとえば、体を真っ二つにしたり、目や口を書かずにのっぺらぼうのままにしたりといった作法です。こうした多様な工夫の数々についても、また機会をあらためて紹介する予定です。

参考文献

【逆さまの例①】
・内田武志・宮本常一〔編〕『菅江真澄全集』第2巻、未来社、1971年
・内田ハチ〔編〕『菅江真澄民俗図絵』上巻、岩崎美術社、1987年
【逆さまの例②】
・竹内利美ほか〔編〕『日本庶民生活史料集成』第9巻 風俗、三一書房、1969年
【逆さまの例③】
・尾上梅幸〔作〕花笠文京〔代作〕歌川国貞〔画〕『皇国文字娘席書』、丸屋甚八、1826年
【逆さまの例④】
・野之口隆正・西田直養・岡部東平『嚶々筆話』第2集、1842年
【逆さまの例⑤】
・尾原昭夫『日本わらべ歌全集』27 近世童謡童遊集、柳原書店、1991年
【頭が上の例①】
・石川一郎〔編〕『江戸文学俗信辞典』、東京堂出版、1989年
【頭が上の例②】
・式亭三馬〔著〕歌川豊国(初代)〔画〕林美一〔校訂〕『鬼児島名誉仇討』(江戸戯作文庫)、河出書房新社、1985年
【中国の掃晴娘の例】
・胡樸安〔編〕『中華全国風俗志』下篇巻3、上海書店、1986年(初版は广益書局、1923年)
・沢田瑞穂『修訂 中国の呪法』、平河出版社、1990年(初版は1984年)
【雨乞いの例①】
・下野敏見「種子島の俗信・ターキ・手養生」『南島民俗』15号、南島民俗研究会、1970年(のちに『種子島の民俗Ⅱ』〈法政大学出版局、1990年〉に所収)
【雨乞いの例②】
・宮田登「てるてる坊主と日和見」『民博通信』11号、国立民族博物館、1980年(のちに『日和見―日本王権論の試み―』〈平凡社、1992年〉に所収)
【明治以降唯一の記述】
・物集高見〔編〕『日本大辞林』、宮内省、1894年


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