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ピラニアとよばれた男

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総合格闘家、長南亮の半生を忘れないうちに振り返ってみる。 どのように格闘技と出会いそれを生業としたのか? 今格闘技を始めようと思っている人、始めたい人、始めたばかりの人、興味の…
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#高校生

18歳

18歳

冬冬が訪れる。山形は雪が降るのでバイクは乗れなくなるのだが、皆が車を買い出すのでそれに乗せてもらって移動する事が多くなった。
学校に行く時はほぼ毎日のように母が雪道を運転して俺を送って行った。
俺は卒業が近いと言うのにこの後に及んでサボろうとしていた。
親に送ってもらっているのに申し訳ないのだが朝のホームルームで出欠の確認した後にバスに乗ってそのまま帰宅したりもした。
サボれば前はバイクで走ってい

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夢

ジョニーズ

よく通ったYSP(ヤマハ専門店)さんだったけど俺達が警察に暴走族と言われたり、片方しかミラー付けていなかったり違反車が多かったり、だんだん店長が俺達の扱いに困ってる感じが伝わった。
バイクは俺の紹介で何台も売れたりしたのだけど、やはりディーラーであって、俺達みたいなガキが集まるようなショップではない。

もう一件の同じ通り沿いにある南葉商会で働いてたK君と言う元峠の走り屋でロードレー

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走り屋と暴走族と

走り屋と暴走族と

そんな時代

3年へと進級したものの引き続き学校へは行きたくなくて。そもそも高校の場所が遠過ぎたせいもあって(自転車で片道飛ばして30分)よくサボっていた。
自分で選んだ高校なのだが、このままじゃ絶対行かなくなると高校のある大山に住んでいるヒロアキの家までバイクで行ってそこから自転車で通う事にさせてもらった。

同じように学校の近くまでスクーターで行って空き地みたいな場所にスクーターを隠して登校し

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ライダー高校生

ライダー高校生

那須高原で正月にフクオとナルと3人で栃木のカーアカデミー那須高原に向かった。
免許代は親に貸してもらった。
県外に出る事の少ない我々にとって栃木遠征はちょっとした冒険だった。
鶴岡育ちの3人はまず電車を使う事がないから新幹線に乗るのもドキドキしたものだ。

教習所の合宿所はカプセルホテルで東北を中心にあちこちの県から暴走族やらアメリカン乗りやら集まっていた。
俺達は山形と呼ばれその中でも俺は大将と

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バイクと学校と将来と

バイクと学校と将来と

三中軍団

当時の鶴岡商業に通ってたフクオと連むようになった。バイクで加茂坂と言う峠を攻めるのだ。
最初は運転が下手でめちゃ遅かったので夜な夜なモトGPを見てライディングテクニックを研究した。
レイニーやドゥーハン、シュワンツが活躍していた頃だ。
金が無くて貧乏だったのでツナギなど買う金はなくジーンズやアーミーパンツを履いてコーナーを攻めていた。
バイクにのめり込んでコーナーを攻め続けているとどん

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手に入れた翼

手に入れた翼

柔道部

2年になると上田君は卒業して学校ににいなくて退屈になった。その代わり新入生が入学してくる。

そのタイミングで柔道部に入ってみる事にした。柔道は授業でやった事はあるがなんとかなりそうな気がしたのだ。

西校の柔道部は3年がごそっと卒業すると新3年生は2人くらいしかおらず2年も少ない。必死に部員を集めている状況だった。

顧問の先生には空手の方が大事だから空手の練習の合間にやらせてくれるな

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高校生活

高校生活

高校の入学祝いに両親に貰ったのは新しいマウンテンバイクと“不思議の海のナディア”のレーザーディスクの全話セットだった。
ナディアはNHKで放送されている時にどハマりして毎週欠かさず見ていたのだった。
後に同じ庵野作品であるエヴァが後に社会現象的に流行るのだから先見の明があったのだろうか?

西校

ナディアは置いといて新車のMTBで市街地から離れた西高まで毎日通う事になる。ぶっ飛ばしても片道30分

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