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バイクと学校と将来と

三中軍団

当時の鶴岡商業に通ってたフクオと連むようになった。バイクで加茂坂と言う峠を攻めるのだ。
最初は運転が下手でめちゃ遅かったので夜な夜なモトGPを見てライディングテクニックを研究した。
レイニーやドゥーハン、シュワンツが活躍していた頃だ。
金が無くて貧乏だったのでツナギなど買う金はなくジーンズやアーミーパンツを履いてコーナーを攻めていた。
バイクにのめり込んでコーナーを攻め続けているとどんどん速く走れるようになった。

いつもバイクで走り回ってるとパンチパーマを当てた幼稚園時代のボスのトモちゃんとも遭遇した。
ホンダのNS-1に乗っていた。
トモちゃんは羽黒高に入ったのだが中退して鶴岡の焼肉の名店“千山閣”でバイトをしていた。

同じように鶴商を中退していたユタは小型2輪を取っていてNS125Rと言うちょっと大きい単車を買っていた。
ユタはペンキ屋で働いていた。

何故か元三中の仲間が再び集まり始めた。
学校が終わると三中学区の鶴岡銀座の真ん中にある公共施設であるセントルに集まった。
セントルには大型のビジョンと自販機と2階には喫茶店があった。
週末は皆でバイクで走ってその後は誰かの家に集まって酒を飲みまくった。
時代なのか土地柄か高校生が集まって酒を飲むのは別に普通だった。
どこの親も特に酒飲みに関しては放置していた。
居酒屋も行けたしカラオケはドリンク持ち込みで派手に騒いでいた。
まだ通信が無かった時代のレーザーディスク時代の話だ

セントル2Fにて

そんな生活を送りながらも空手の練習は続けていた。相変わらず週一回しか練習日はなかったが自主練もやって当時の自分なりにはよくやっていたと思う。
一緒に始めたモリ達はもっと合コンとかしたいと言う理由で空手は辞めてしまったのだけど西校の柔道部の後輩も俺に続いて空手を始めていた。
しかし俺は柔道部にはほとんど行かなくなった。
好きだったUWFより極真にハマって総合格闘技に興味が薄れてきたせいでもある。

学校なんて

学校、バイク、空手、長期休暇は現場仕事。
どれが一番大事かと言うと空手で次にバイク、必要のないのは学校と言う考えになっていった。

高校を卒業する事が条件でバイクに乗る許可を得たのだが何も意味のない授業を受けてる自分なんかより仕事をしているユタの方が格好良く見えたし意味があると思った。
実際週末の飲み会などではユタが仕事で稼いだお金を沢山出してくれていた。

よく学校をサボるようになった。
夏休みに大工のバイトをしてると働いている時の方が生きがいを感じれるしただ行ってるだけの学校より学ぶものが沢山あった。

親には高校を辞めて働きたいと言ったのだが母親は呪文のように卒業しろと言い続けその会話は平行線を辿っていた。
驚く事に平行線は今でも続いていてその後、俺は高校を卒業するのだけど「高校卒業が何かの役には立ってないし意味なかったな」と俺が言うと両親揃ってそんなことは無いと言う。

格闘技は中卒でも出来るし卒業後に長くやる事になる型枠大工と言う仕事も中卒で出来る。
俺はこの時期、働いて稼いでバイクのチューニングをしたり高い服を買いたかった。501のビッグEが欲しかった。
しばらくするとトモちゃんはユタと同じペンキ屋で働き始めた。

会う事が少なくなっていたベーサトはバイトに明け暮れカートを母親の乗用車の屋根に乗せ土日はサーキットで練習したりレースに出たりしていた。
東北の大きな大会で入賞したり中学時代に語り合った夢に向かって真っ直ぐ進んでいた。
ただ彼の場合、ただダラダラと毎日生きてるような奴を見下す節があったので同級生から尊敬されるような奴ではなく狂った男として距離を置かれてるような状況だった。
ただ俺だけはベーサトの努力を見ているし自分の置かれてる状況が彼には負けてると思っていた。

進路とかいろいろ考える時期、俺は現実逃避するかのようにバイクで走った。
読んでるマンガに悪の経典「キリン」が増えた。
これが最大の悪影響となりバイク教の信者となってしまうのだ。

この時期は週末に仲間と集まって語ってると将来の話になった。空手は続けたいしでも職業には出来ないから俺はバイク屋になりたいと思うようになった。
トモちゃんは近い将来上京してホスト王になると言う。この時期に連むようになった鶴工のケンヤは上京してバンドのヴォーカルになると言う。
ユズルもミュージシャンになると言ってるがユタは現実的で将来もこのままペンキ屋を続けると言う。
でかい事ばかり語るユズルとユタはよく討論の末喧嘩になっていた。それを止めるのは俺の役目だし空手を始めて道場訓まで頭に叩き込んでいた俺は中学の頃のような不毛な争いは一切せず喧嘩はしないと決めていた。

修学旅行

高校2年の秋、俺はバイクで加茂坂を攻めていて事故った。
バイクはカラカラのドブにハマりフロントフォークが曲がった。
足は捻挫し整形外科に行ったのだが医師からの問診に痛くて歩けないと伝えると翌週に控えた修学旅行は行かないでくれと言われた。

実は余裕で歩けたのだが修学旅行に行きたくなかったのだ。
旅行の積み立て金が返ってくればフロントフォークも直せるとめちゃ嬉しかったのだが積立金は親に全額没収された。
考えてみれば親が積み立てたお金だから当然なのだが。結局フロントフォークは曲がったまま走っていた。
直すような金も無く、走るからまぁいいや的に乗っていたがその故障によって加茂坂を攻めたりは出来なくなってしまった。
傷ついたカウルは全部スプレーで赤に染めて割れたスクリーンは取っ払った。雰囲気は逆に格好良くなったと思った。

西高生が北海道に修学旅行に行ってる間、俺はナル(ケンヤの従兄弟)という鶴商の同級生の家に集まりバイクで走って遅くまで飲み語り合った。
それが最高に楽しくて俺の修学旅行のようだった。
その時期にナルとフクオと3人で中免を取りに行く計画を立てた。
山形県では18歳にならないと中型2輪は取れないのだが栃木の合宿免許で実技を合格してから県内の筆記試験で合格すれば16歳以上で中型2輪を取得できると言う事だった。

冬休みにカーアカデミー那須高原に合宿免許の予約をした。

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