見出し画像

ジョニーズ

よく通ったYSP(ヤマハ専門店)さんだったけど俺達が警察に暴走族と言われたり、片方しかミラー付けていなかったり違反車が多かったり、だんだん店長が俺達の扱いに困ってる感じが伝わった。
バイクは俺の紹介で何台も売れたりしたのだけど、やはりディーラーであって、俺達みたいなガキが集まるようなショップではない。

もう一件の同じ通り沿いにある南葉商会で働いてたK君と言う元峠の走り屋でロードレースもやっていた人に隣の酒田市にヤバい店があると言う話を聞き一緒に連れて行ってもらう事になった。

K君は当時オフ車の2スト、CRMを乗っていて2人で飛ばして酒田に向かったのだが行く途中に追い越し違反で白バイに捕まった。
その後K君は細い堤防の上の道を怒りのスピードで爆走し、後ろを付いて行くのがやっとだったけど無事に酒田市に辿り着いた。

お店の看板はネオン菅で“johnny’s”と言う文字が光っていた。
中にはハーレーやら何やらアウトローなバイクが置いてあった。
さらには革ジャンやジーンズなども置いていてエアブラシで塗装されたヘルメットなんかも多数飾ってあった。
代表のヒデカズさんはアメリカで整備士をしていた事もありモトクロスのレースでは地元ではトップクラスだったのだが髭を生やしたツナギ姿が今まで見た整備士の中で一番格好良く見えた。

自分でいじっていたGPZの話やバイクの塗装の事などいろいろ話させてもらった。
悪気は無いのだけど高校生の俺は礼儀と言うものが全く出来てはいなかったと思う。
にも関わらずニコニコ自分の話を聞いて喜んでくれた。
バイク屋難民になりつつあった俺の気持ちは一発で撃ち抜かれたのだった。
俺はショットのライダースのバックにデカい星条旗をペイントしてもらう約束をした。

時間は夕方だったので仕事を終えた酒田の常連さん達がジョニーズに集結してきた。
見事なリーゼント頭で小柄ではあるが眼光の鋭いがっちりした人が入ってきた。
急にK君がピシッとして今までより緊張している感じに見えた。
リーゼントの人はMさんと言うらしくキャディラックエルドラドのオーナーで酒田では有名人だそうだ。
俺を見つけるや何だってこいつは?と言うようなリアクションで見るMさん。
慌てたK君が間に入り俺を鶴岡の高校生で空手をやっていてめちゃ強いとMさんに自分の事を紹介してくれた。
俺は伸びた坊主頭にライダースを着ていたのだが近づいて来たMさんはこうやられたら空手はどうすんの?と言ってグッと俺の胸ぐら掴んだ。
高校生の俺は純粋で怖いものなど無かった。「こうやりますね」と言いながらハイキックを繰り出しMさんの顔の寸前で止めた。
一瞬驚いたMさんは「すげぇなお前」と喜んだ。
それからさっきまでとは違い高めのテンションで空手の話やら格闘技の事などいろいろ聞かれたのだがMさんは最初は怖いけど話せばギャグセンスがあってとても楽しい人だと解った。
帰り際にはまた来いよと言ってもらえた。

鶴岡に戻るとトモちゃんにジョニーズで会った人達の事を話した。
鶴岡の海岸線は週末の夜になるとナンパ目的のシャコタンのヤンキー車やナンパ待ちの女子の乗った軽自動車がウヨウヨと走っている。
俺はバイカーなので関係ないのだけれど免許取り立てのトモちゃん達が衝撃だったと言うのが酒田からロックンローラー風貌のMさん達がアメ車集団で現れそこにいるヤンキー車達を一掃しギャル達をGETしていくと言うのだ。
俺は知らなかったけれどかなり有名みたいでちょっと名のあるような先輩でもあのキャディラックはヤバいと恐怖を感じているのが解った。

その後Mさんとはしょっ中、ジョニーズで会うようになり、地元で有名なケンちゃんラーメンに初めて連れて行ってもらったり仲良くさせてもらうようになったのは良い思い出だ。
Mさんは身内には楽しく優しくて他所や浜では帝王だった。
この時期、Mさん達みたいに憧れて一回リーゼントパーマをかけてみたのだけど俺はただのヤンキーにしかならなかった。

IRON CROSS

ジョニーズのヒデカズさんの作品の中にGベストにエアブラシで塗装したものがあってそれがとても格好良かった。
母に頼んで隠された俺の“Fear of Death”とプリントされたGベストを返してもらいそれに自分でペイントする事にした。
とりあえずFODのプリント部を黒いスプレーで真っ黒に塗り潰した。
それから警察にマークされているFODと言う名は使いたくないので考えて考えまくった新チーム名“IRON CROSS”と言う新チーム名を書いた。
IRON CROSSは18世紀にも遡る歴史がある軍事勲章であり日本では鉄十字勲章とも呼ばれ第二次世界大戦ではナチスドイツも使用していたのだが当時は辞書でいろいろ調べただけで鉄の十字架と言うくらいしか解らず適当な鉄の十字架をイメージして書いたのだがメインはやっぱり髑髏になった。
夜中に走っていて後ろからライトで照らされたら不気味な髑髏が背中に浮かび上がると言う考えで色はホラーみたいな感じで油性マーカーで背中に大きく髑髏を書いた。
小学校の頃マンガ家になりたいと思ったのがここで役に立ったのだが俺の絵はヒデカズさんにも褒められこの時期はよくノートにデザインをしていたのだった。

トモちゃんは普通免許を取るや赤い32Zを買った。フクオは同じく赤のアンフィニRX-7。俺はライダーとしての誇りがあったので教習所すら通わなかった。

皆が車に夢中になっていく中、俺はZXR400の事故車を解体屋から拾ってきてリアの足回りを外し綺麗に仕上げてジョニーズでGPZに移植してもらった。
フロントカウルにはIRON CROSSと言う文字と髑髏、反対側にはスキャロップと言われるパターンを青にメタリックでグラデーションにしてもらった。
ジョニーズに通う時に多用していたのが直線の7号線ではなく空港から黒森方面に向かう農道で高速コーナー続きでかなりのスピードで曲がっていたと思う。

足回りを移植したGPZと何故かベーサト君

進路

高校は卒業に近づき皆が就職をどうするかとか言ってる時期だ。
よく連んでいた鶴工のケンヤは上京してバンドのヴォーカルになると言う。
トモちゃんも上京してホスト王になると言う。
ユズルもミュージシャンで上京すると言ったりとデカい事を言う奴が多かった。

俺はやりたい事と言えばバイクの整備士だった。ヒデカズさんのようになりたかった。
今あるのか知らないが高校のある大山に職業訓練校があったのだが高校を卒業すると専門学校なんかよりだいぶ安いお金で通えて2年ほどで4級整備士の資格も取れると言うものだった。
学校終わりにに母と見学に行き形式上の入試みたいのはあるものの高校を卒業すれば入学出来ると説明を受けてここにとりあえず入ろうと決めた。

ずっと強くなりたいと思ってやっていた空手を辞めようとは思っていなかった。
強くあり続けたいし全日本にも出てみたい。関東の城南支部や城西支部など王者が沢山いる道場にも行ってみたいと思っていたのだが職業となると別問題だった。

好きで見ていた格闘技も自分の身長(175cm)では話もならないし、あまりにもファンになり過ぎてリスペクトが強過ぎて俺みたいなプラプラしている奴がプロなんてもう無理だと思っていた。

本当に強い奴は今頃柔道やったりレスリングやったりどこかの内弟子だったりと全てを犠牲にして生きているはずだから。
バイクに命は賭けてたけどそれはレーサーの前では言えないし、結局俺は中途半端な人間だとこの頃うっすらと思うようになった。

ベーサトは俺らがバイクで走り回るのを見て我慢できなくなったのか中免を取ってXJRを買ったのだが速攻で事故って廃車にしていた。
ずっとバイトに明け暮れた高校生活を送っていた彼にとってはちょっとした寄り道だったが卒業後はレースを続け引き続きF1レーサーを目指すと言っていた。
就職先はベーサトが長期休みにバイトしていた電気工事の会社で彼の夢をバックアップしてくれると言う話だった。

ある日ジョニーズからの帰り道、俺はバイクで、後ろからフクオがセブンで付いて来ると言う日があった。
俺の腕の見せどころといつもの道をガンガンアクセルを開けて膝を擦るくらい倒して曲がった。
しかしバックミラーを見るとセブンはピッタリ後ろに付いて離れない。
後からフクオに聞くと凄いスピードで曲がってるけどいつでも抜かすことは可能だったと言う。

正直ショックだった。無謀な運転をしているとは言え免許取り立ての奴が運転する車に勝てそうにもない。
俺は限定解除をして大型に乗る事を決意した。

自分達の時代が最後だったのだが当時は大型2輪と言うものが無く、中型2輪の免許には中型に限ると言う限定が付いていてそれを実技の一発試験で解除しないと大型に乗る事は出来ないと言う仕組みだった。
一発試験は早い人で4、5回、多いと10数回も合格までかかると言う過酷な試験だった。

この限定解除と大型2輪の取得は俺の進路レベルに大事な目標になっていた。

我が家でミュージシャンになりたい人と語る俺

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?