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孤独な男性の告白

私が仕事もせず、実家に居候するようになったのは、かれこれ5年前からです。私はね、人の心の声が聞こえるんですよ。人の心の声ほど怖いものはないですよ。私は恐ろしい心の中の声を聞かないようにするために、実家にいわば逃げ込み、できる限り人との接触を減らすようになりました。

普段の生活の中で表出する言葉というのは、人が思っていることのほんの氷山の一角に過ぎないんです。人は内心、本当に様々なことを考えています。はたから見たらいつもにこやかな人も、陰ではひどく冷酷なことを考えていることなんてざらにあります。人と関わっていくことは本当に恐ろしいことのように思えてなりません。

例えばあなたが持っているこの一本のペンを見て、人は何を思うでしょうか?意外ときれいな色が出るな、とか、思ったより使いやすいな、とかそんなところですかね。でも中にはこれで人を刺したら痛いかな、と思う人もいるんですよ。現に私がそうです。実はさっきから今すぐここで、あなたの腕をこのペン先でグイっと刺してやりたい衝動に駆られているのですが、何とかこらえているような状況です。こんなこと、あなたは思いもしなかったでしょう?このように、何気ないペン一つとってみても、人それぞれで感じ方って変わってくるんです。人がどう感じているかなんて、はた目からはよくわからない。人は自分が感じている通りに、きっとほかの人も感じていると勝手に思い込んでいる節があるんです。自分の固定観念を相手にも適用し、相手も同じように感じているだろうと勝手に補完してしまっているんです。こんな風にできる人々というのは、ある種幸せな人なのかもしれません。

私はこれまでいろいろな人の心の中の言葉を聞いて、人との交流が怖くなっていきました。ブクブクと豚のように肥えた私の醜い容姿を見て、強烈な嫌悪感を高らかに表明する声。人前でしゃべろうとすると過度に緊張し、うまく話そうとする気持ちが空回りする私を見て、私の無能さを嘆く声。はっきりと明瞭に私の耳には聞こえてくるのです。それでいて私と面と向かって話す際には、心にもない美辞麗句を弄して私の容姿を褒めたたえてみたり、私の能力を称賛してみたりするのです。それらのまるで空のペットボトルのように、空虚で質量が感じられない言葉を受け取って、私は途方に暮れました。天使のような微笑みの裏にある、悪魔のように邪悪な心。私は人の中にこの両極を見た気がして、人というものが信じられなくなっていったのです。

今回の件も心の声を聞いてしまったのがきっかけでした。私が深夜に酒でも飲もうとコンビニに買い出しに出かけた帰りに、その若い男と出会いました。その男は私を何か汚らわしいものを見るかのような目で私を見ていました。確かに私はその時髪は寝ぐせでぐしゃぐしゃで、上下くたくたのスウェットといういで立ちでしたから、何も反論はできません。でもその男は加えて、こんな社会の底辺のような奴からだったら金を巻き上げてもいいだろう、と心の中でつぶやいたんです。こうなると私も自分の危険を察知し、とっさに体が反応しました。何もしなければ、私は襲われてしまうわけですから。私は襲われる前にその男を奇襲することにしたんです。私は持っていた日本酒の瓶をその男の頭めがけて投げつけてやりました。ゴンっと鈍い音がして、頭を押さえながら男はその場にうずくまりました。

私はその男が痛みで悶えている間に、逃走を図りました。しかし、その一部始終を見ていた屈強な男が私を追ってきたのです。普段ろくに運動もしていない私は一瞬で捕まってしまい、押し倒された状態で拘束されました。私の頬にあたるアスファルトの冷たい感触は今も忘れられません。

そのあとのことはあなたもご存じでしょう。あなたたち警察が来て、私はこうして連行されたのです。あそこであの男に奇襲していなければ、きっと私は襲われて所持品を取られていたと思います。これは正当防衛といえないでしょうか?正当防衛が認められない場合、私はどうするべきだったんでしょうか?

聞きたくもない人間の恐ろしい胸の内を、自然と感じ取ってしまう私はどうやって生きるべきなんでしょうか?想像力の欠如したあなたたちには、私の苦悩が理解できないでしょうね。自分たちの感覚とは異なる人間に対しては異質分子とみなして、また排除しようとするんでしょうね。でも私は甘んじて受け入れます。あなたたちの意見をお聞かせ願えればと思います。

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