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★キャンピングカー生活まであと79日★「思考の語尾」

あした何の日?


おはようございます。
いかがお過ごしでしょうか?
ぐっちーです。

本日は自分が考える「こうするとポジティブに思考できるかもしれない」と気づいたコツについてシェアしたいと思います。

まずはコツをシェアする前に、このことを言語化するに至った気づきのきっかけをお話します。

今日、仕事への出勤のため最寄り駅まで歩いていたときのことです。
その時に、何やら騒がしく叫びながら歩く中年男性の姿がありました。その叫びは周りの人が思わず振り向くほどのものでした。

私はイヤホンで音楽を聴いていたため、内容までしっかりとは聞けなかったのですが、恐らく世の中に対する不平不満とか、そんな感じだと思います。

でも、その割には怒りの表情をしているわけではなく、むしろ少し笑顔だったような気がします。

ここで私の中に疑問が生まれました。

「不平不満を笑顔で叫ぶ人がいるだろうか?」と。

私が最近YouTubeで「トゥレット症」という病気の特集を見たことがありました。
それは自分の意思に関係なく体の動きや声、音、言葉などを発してしまう病気。

私は最近まで、そういう病気に理解がなかったため、公共の場で普通と違う動きをする人などに偏見がありました。

今回の中年男性をみて、病気じゃないかもしれないけど、本当に自分の意思で、1人であんなに叫ぶものだろうか?と思いました。

もしかしたら何らかの病気で苦しんでいるのかもしれない」と頭によぎったのです。

今回、私がシェアしたい「思考の語尾」こそがこの「かもしれない」です。

運転免許をお持ちの方は分かると思いますが「かもしれない運転」で事故を予防するように、「かもしれない思考」で人同士の事故も減らせるのではないかと思っています。

この人には辛い背景があるのかもしれない。
自分で制御できない何かを持っているのかもしれない。
人からの目線をとても気にしているかもしれない。

思考を巡らすことは、具体的に「かもしれない」と可能性を探す行為なのだろうと思います。

視野は自分の知識で決まるかもしれない、正確な理由を推察することは難しいかもしれない、でも「かもしれない」と考えることで一度自分の思考の熱を冷ますことができる気がします。

自分が嫌な思いをさせられた、不快に思った。
だから攻撃しよう、逃避しよう。
そう思うのは人間も本能的部分を兼ね備えているからです。
至極真っ当な反応であるかもしれない。

でも裏返すと、人間は理性的部分を持ち合わせている生物です。
ならば攻撃しない、逃避しないという選択肢も取れるはず。

同じ人間でも違う個体。
全く同じことを理解し合えるはずもないし、全てを察することなど不可能です。
だからこそ色々な可能性を考えて推しはかる。場合によっては対峙して、お話して自分に落とし込む。

理解を得るというのはそういうことだと思います。
両者どちらかの寄り添いが欠けても実現しない。
だからこそマイノリティの方々は世間に理解を得るために「知ってもらう」ことから始めるのでしょう。

それは「かもしれない」の種を世に蒔く行為。
相手のためにも自分のためにも「かもしれない」を捨てずに活用することが、世の中の軋轢を少しでも減らす光明となり得る気がします。

<<<あと79日>>>
理解してもらう 理解させてもらう

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