飯野純平さん・神宮一樹さんインタビューPart4「“負い目"を抱いて生きていく」
塔と井戸 ダイアローグ 第2弾
飯野純平×神宮一樹×佐藤悠
Part4「“負い目"を抱いて生きていく」
2021.05.01. / 2022.06.17.
こんにちは。塔と井戸・佐藤悠です。
ダイアローグ第2弾のPart4です。
今回も、前回のPart3に引き続き、飯野純平さんと神宮一樹さんへのインタビューで伺ったことをお届けします。
前回は、神宮一樹さんがイタリア・ナポリで出会った3人についてお話ししてもらいました。彼らに影響を受け、胸に秘めていた演劇への想いが開花していったことが伺えました。
今回は、神宮さんと飯野さん、そして今福龍太さんの再会で起きていったことについて聞かせていただきました。それぞれの経験がもう一度交わっていくことになります。
今回も最後までお楽しみください。
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師との別れ
佐藤:ちょっと気になったのが、2017年9月から始まった2年間の演劇学校の間に、地下劇場の支配人のミケーレ・デルグロッソは亡くなられてますよね。
神宮:2018年の1月だったかな。演劇学校が始まる前の日本にいるときに、一度手紙を書いたんですよね。当然返事はなかったんだけど。まぁ、行って会えばいいやと思って。一年半ぶりに会う時、俺は結構感慨があったんだけど、向こうは「ああ、お前か」みたいな感じで(笑)。「手紙送ったんだけど読んだ?」って話してたんだけど、「ああ、そうか」みたいな。
佐藤:反応が良くなかったんですね(笑)。
神宮:そう(笑)。だけど、体調も目に見えて悪化していた。元々良くなくて、足も引きずっていて、歩くこともままならなかった。「新しい舞台をやるから、お前もやれ」とか言っていたんだけど、全然できる雰囲気ではなかった。冬に入るくらいから病院に通い出していて、俺がついて行ったりしたんだよ。家族とも縁が切れちゃっているみたいだったから、近所の人に「一樹、一緒に行ってあげて」とか言われてたんだよね。
佐藤:そうだったんですね。
神宮:なんかね、今思えば俺はそれを見たくなかったんだよね。嫌で。「俺は今からナポリで演劇をやるぞ」って意気込んで来たのに、自分をここまで導いてくれた人の衰えた姿を見たくないという気持ちがあって。
佐藤:なるほど。
神宮:学校が始まって友達もできて、忙しくやっていたんだけど。クリスマスの時に、イタリアの人って結構家族で過ごすのね。知り合いの人にお呼ばれして、それこそお正月に多木さんのところにも行った。年末年始にナポリを離れる前に、ミケーレ・デルグロッソにも挨拶しようと思ったら、彼がいなくて。知り合いの人に聞いたら入院したって言われた。クリスマスと年末年始の挨拶をしようと思っていたんだけど、でも退院したらでいいやって思っていたのね。病院近かったんだけどね。で、正月が終わってからもウダウダしてて、挨拶行こうと思ったら、知り合いの人から連絡が来て「亡くなった」と。
神宮:僕はそれを、いまだにすごく後悔していて。死なないだろうと思っていたから。それに、自分の中であの時期はどこか会いたくないという気持ちが強かった。彼は話すことも歩くこともできなくなっていたから。
佐藤:演劇に思いがあって、イタリアで奮闘している時期だったから、なかなか足が重かったのかもしれないですね。
神宮:そうかもしれないね。帰国後に、このことを今福先生に話したことがあった。大学時代に留学に行ったときも、ミケーレ・デルグロッソのことは今福先生に話していたんだけど。先生は彼のことをめちゃくちゃ気に入っていて、「いつか会いたいな」とか言ってたのね。その後、また先生に会って、彼と最期にちゃんと話をし切れないまま亡くなってしまったことを伝えたら、「それはすごく大事だと思う」と言ってくれた。後に、「神宮くんにこれを読んでほしい」って言われて、『ハーフ・ブリード』という本をプレゼントしてくれた。
佐藤:今福龍太さんが書いた本ですか?
神宮:そう。僕は、あまり彼の本をちゃんと読んできてないから、あまりわかったようなことは言えないんだけど(笑)。たぶん彼の本としてはすごく私的な話が多い本だと思って、彼個人の話がたくさん書いてある。自分自身の経験とかを。そういう意味で『ハーフ・ブリード』は、今福先生自身の思いに触れてる本だと思った。
佐藤:どういう部分にそう思ったんですか?
神宮:そのときに、ミケーレ・デルグロッソに対する感情は、「スペイン語で感謝や後悔ではなくて、“負い目”という感覚だ」と言ってくれた。英語で言うとdebit、スペイン語でも似たような言い方で、イタリア語でもdebito。「借金」という意味もあるけど、「“負っている”と思いなさい」と言われた。それって返せるものではないし、「最期に会って、話せなかったということを抱えて生きるのもいいんじゃないのか」って言われたんだよね。「僕もその経験があって、本に書いてある」って今福先生に言われたんだよね。
佐藤:そうだったんですね。このタイトルの「ハーフ・ブリード」って、「混血」という意味ですよね?
神宮:そう。メキシコは文化的にもさまざまな血が混じっているような場所で、文化や血の混じりに触れながら、若かりし今福龍太が、だだっ広いメキシコの砂漠を中古車で走る姿が克明に描かれているのがいいなと思って(笑)。今の僕らくらいの年の時の話だよね。
飯野:そうそう。
神宮:その本をくれたんですよ。そういう繋がりがあって、纏わる風が絡んで。
佐藤:今福龍太さんが感じた、血の混じりや文化と、負い目というのはどう繋がっているんですか?
神宮:私的な話が多くて、彼が出会った詩人との交流が書いているんだよね。本の中には”負い目”という言葉は、はっきりとは書かれていなかったと思うんだけど、
佐藤:本には書かれていないけど、その出会った人に対して負い目があったんですかね。
神宮:そうなのかなぁ。飲み会の帰り道に中央線で先生と二人になった時があって、本で出てきた人に僕も負い目があるってことを言っていたのかな。本でそのことについては、書いてなかったんだけど。
佐藤:具体的な負い目の内容については、言われることもなかったんですか?
神宮:そうだね。特にこれがこうでっていうのはなかったですね。
佐藤:非常に興味深い話ですね。
神宮:そう。同じ感覚を共有したってことだと思うから。
佐藤:そうですね。
神宮:確か心臓の病気かなんかで亡くなったと思うんだけど、そのことについては書いてあったと思うんだよね。
佐藤:これ、僕もちゃんと読んでみますね。その上で書きます。もしかしたら、神宮さんのミケーレ・デルグロッソに対する話を聞いて、今福先生はちょっと味方ができたような、自分と同じ辛さを経験した仲間ができたような気持ちがあったのかもしれないですね。拡大解釈かもしれないですけど。
神宮:俺からすると、それを言ってもらえてすごく楽になった。
佐藤:ちなみに飯野さんは、この『ハーフ・ブリード』は読まれましたか?
飯野:(本を持って見せる)
佐藤:おお!
飯野:今パッと見たら、“風景の混血”という言葉が出てきた。ちょっと読むね。「風景は事物と記憶と象徴的イメージの、途方のない混合体として存在しているのではないか」という言い方をしている。「土地や風景は、そこに目に見えるものと見えないものが高次元に絡まって、今僕らの前に現れているのではないか」みたいな問いを持っていたんだって。だから、風土の持つ歴史的な混血性やいろんなものが雑多に混ざっている”クレオール化”は、先生の中でキーワードだよね。
外来種としての<K>、2人を繋ぐ<J>
(佐藤も『ハーフ・ブリード』を読了してから、後日お話を聞きました)
佐藤:今福龍太さんが神宮さんに『ハーフ・ブリード』を渡した理由をもう少し考えてみたいのですが、いかがでしょうか。
飯野:うーん、先生の意図はないと思うんだよね。
佐藤:おそらくそうだとも思ったのですが、今福龍太さんもいろんな別れを経験する中で、論文として書いたというよりは個人的な体験を綴った本を、自分の可愛い教え子である神宮さんに渡したのには、何か意味があるのではないかとも思ったんですよね。
神宮:元々、交換留学のときにミケーレ・デルグロッソのことを今福先生に話した時も、先生は彼のことに興味を持ってくれていた。その時にメールで言われたのは、あ、ごめんこれメール検索していい?
飯野:どうぞ。どうぞ。
神宮:彼がミケーレ・デルグロッソに惹かれて、僕に「その話いいよね」、「面白いね」と言った理由があるとしたら、彼も僕と似たような経験をしたことがあったからかもしれない。そういうことが書かれたメールを貰ったことはあるんだよね。
佐藤:やはりそうだったんですかね。これは僕の勝手な見解ですけど、ミケーレ・デルグロッソが亡くなったことを伝えた時に、可愛い教え子への思いを行動で示したかったのではないかと思ったんですよね。
神宮:メールが出てきました。一部キーセンテンスになった部分だけ張らせてください。文脈を言うと、今福先生に帰国してから会って、ミケーレの話とかをして、翌日にあちらからメールが来たんですよ。
飯野:恵比寿で話したときだよね。
神宮:そうそう。あんまりそういうことってなくて。本当はさ、こちらから「久しぶりにお時間いただきありがとうございました」ってメールを送らなきゃいけないんだけどさ(笑)。翌日の朝8時くらいにメールが来ていた。彼は以前ミケーレ・デルグロッソのことをネットで調べて、「この人ですよね?」みたいなことまで書いてきてたんだよね。相当感じたものがあったんだと思うんです。実際、何が琴線に触れたかははっきりできないと思うんだけど。結構、私的なメールなので、全文は憚られるので、抜粋で。
飯野:うんうん。
神宮:僕の中で響いたのはこの言葉かな。
佐藤:「君の生き方の 方向性と情熱を託してみるに値する」すごく素敵な言葉ですね。
飯野:めっちゃいいな。
神宮:今思うと、この言葉があったからもう一回ナポリに行こうと思えたかもしれない。「ミケーレ・デルグロッソにもう一回会わなきゃ」という思いがあったのは言ったと思うけど、その背中を押してくれたのは、この言葉だったかな。
飯野:めっちゃ羨ましかったよ。当時、僕は。
神宮:話の場が?
飯野:それもあったし、翌日メールが来たっていうのが。だから、恵比寿だったっていうのも覚えているし。
神宮:ちゃんと食事をしたって感じでもなかったよね。駅構内の適当なカフェだったよね。もう7年も前か。
飯野:そんな前かぁ。でも、それから結構後だよね。『ハーフ・ブリード』渡されるのは。
神宮:3年前くらいだよね。
飯野:<K>のところの章はよく読んだ、という君からのメールは覚えてるよ。
神宮:『ハーフ・ブリード』の中で、「Kの交差点」っていう章があるんだよね。
佐藤:「Ⅲ−雑種あるいはKの交差点」という章ですね。この「Kの交差点」の件がなぜ印象的だったのですか?
神宮:まず、僕のイニシャル「Kazuki Jingu」に<K>が入っていて。あと、僕が卒業制作で作った『ひとり遊びのメロディー』という舞台も、主人公の名前を「K」にしたんですよ。もう一つの理由としては、夏目漱石の『こころ』が好きなのもあって、登場人物の「K」を取って、自分のイニシャルと合わせて「K」にしたんだよね。で、作中の女性の名前も、『こころ』から取って「静」にした。後付けなんだけど、名前つけてから、「静」だからしゃべらないことにした。だいぶ、『こころ』には引っ張られてたんだけど。
佐藤:なるほど。
神宮:『ハーフ・ブリード』の「Ⅲ−雑種あるいはKの交差点」の中にも書いてあるんだけど、スペイン語で<K>の音は、外来語にしか使われないんだよね。この章に出てくるのが、フリーダ・カーロ(Frida Kahlo)とレオン・トロツキー(Leon Trotsky)とフランツ・カフカ(Franz Kafka)が、<K>の音を持つ外来種として、つまり“異なる響きを持つ者”として出てくるんだよね。イタリア語でも<K>は、外来種にしか使わない。だから、僕の一樹(Kazuki)も見た瞬間、外国人だとわかる。
佐藤:元々のイタリア語に<K>が入る単語がないということですか?
神宮:そう。見た目ではなく、名前を見ただけで、一文字目の<K>で外国人だとわかってしまう。 飯野くんに送ったメールを抜粋してもいいですか?
飯野:どうぞ。
神宮:またイタリアに戻ったタイミングでこの本を読んでいたんだけど、<K>という名前を持ってるということは、よそ者としてここで生きていくんだと気付かされた。ナポリに受け入れてもらった気持ちがあって、ミケーレという繋がりがあったから、「ナポリに帰る」ってよく言っていたんだよね。今思うと恥ずかしいんだけど(笑)。慣れ親しんだ土地に帰るって感覚があった。だけど、これを読んで、結局よそ者として行くということを感じさせられた。そういう意味でも、この章は印象に残っているかな。
佐藤:自分のイタリアにおける立ち位置というか、見られ方を再度理解したということなんですかね。
神宮:そうだね。もう一つイニシャル絡みで話すと、この時期に『私たちはかつて樹でもありえた』という舞台作品を作っていたのね。同じ頃、飯野くんはジョイスのことを研究して、その結果として、『私たちはかつて樹でもありえた』が始まったんだけど。
飯野:そうだったね。
神宮:飯野くんが研究していたジェームズ・ジョイス(James Joyce)って<J・J>じゃん。だから、Jumpeiくんの<J>と僕のJinguの<J>で<J・J>だねっていう話をしてて。純平くんの<J>は、名前としての与えられた<J>で、僕の<J>は、姓としての元々ある祖先から受け継いだ<J>なわけだよね。それがこの<J>と<J>を持つ巨匠のジェームズ・ジョイスが繋いでくれたのかなって思ったんだよね。<K>というイニシャルにも愛着を持っていたけど、この<J>というイニシャルにも愛着を持ったタイミングだったよね。記号的な意味に感じ入るっていうのは。
神宮:僕らが作った『私たちはかつて樹でもありえた』も最後のクレジットで2人の名前の<J>だけ大文字にしてる。作ってる時に、James Joyceから一つずつ<J>をもらっているという意識で作った。
飯野:<K>と<J>ね。
佐藤:なるほど、非常に興味深い話ですね。神宮さんとミケーレ・デルグロッソの関わりに共感した今福龍太さんが、自分の著書を渡して、意図があったかどうかは別にしても、その中の<K>というイニシャルから神宮さんが自らのイタリアでの立ち位置を知ると。そして、そういったイニシャル・記号に意味を見出す経験があったからこそ、飯野さんが研究していたJames Joyceの名前に自分達との特別な繋がりを見出して、2人が共作した作品へと昇華させたということですね。
飯野:そういうことになるね。
佐藤:この本の第3章のタイトル「Ⅲ−雑種あるいはKの交差点」も、確実に何か意図を持って<K>という表記を使っていますよね。
飯野:うん。間違いなく。
佐藤:「誰々との交差点」とかでも良いわけじゃないですか。それをわかって書いてますよね。それで、それを拾ってくれる、気づいてくれる二人(飯野さんと神宮さん)に読んでもらった。<K>もそうだし、この本に書かれているわけではないけど、<J>もそう。単純にそのストーリーのことだけではなく、言葉というものを大切にしていた3人だからこそ、共鳴できたんだと思います。僕だったら、そういう経験はできませんでしたし。
飯野:なるほどね。
佐藤:夏目漱石の『こころ』も主要の登場人物を「K」という表記にすることによって醸し出されている、不気味さというか広がりみたいなものはありますよね。
神宮:高校の時の国語の先生と、いまだに飲んだりするんだけど、よく『こころ』の話をするのね。そんなに仲良かった友達を「K」って呼ぶのは、よそよそしいし、冷たいじゃん。その距離感とか冷たさは印象に残っていて。作品の中でも、やたら「K」との話ばかりして、奥さんの話はほとんどしないわけじゃん。だから、作品全体に呪縛のように<K>という文字がついて回っている。自分にも<K>があるから、余計印象に残ったのかもしれないね。
飯野:今福先生は好きなんだよね、イニシャルが。
佐藤:やはり、そうだったんですね。
飯野:先生はアイルランド行く前の飲み屋で、沖縄の文芸雑誌の詩を読んでくれたんだよね。そのとき、僕に向けて「もう一人のJamesへ」と読んでくれた。このときに読んでくれたのが、僕が修士論文で取り上げることになる詩人の詩だった。それを先生風にオマージュした詩だった。このときはてんで何が面白いのかわからなかったんだけど(笑)。
神宮:(笑)。
飯野:でも、ありがたかったよね。君が<K>であって、僕が<J>であるっていうのは何かあったんじゃないかなとは思ってるよ。
確定されないアイデンティティ
佐藤:ここでもう一度、今福龍太さんの話に戻りたいんですけど、飯野さんは、今福龍太さんの思想や考えている領域は、どんなところに独自性があるとお考えですか?
飯野:今福先生が退官するときに最終講義をやったのね。そのときに、バリ島でダンサーやってる後輩が先生のインタビューをまとめてくれた。それをこないだ見ていたら、先生はメキシコに行ったときに日本人に会うのが嫌だったと書いてあった。日本人だからって喜ばれるのが嫌だった。先生はそこで「日本語話せません」ってスペイン語で言ったり、韓国人ぶったりしてたらしいの。それは、先生の単なるムード=気まぐれではなくて、そこには彼の論理や学者としてのポゼッションもあった。というのも、彼はアイデンティティの問題について話していて。
佐藤:はいはい。
飯野:(人は他人を)こういう属性があってとか、確定したがるじゃない。ジェンダーだと、「男性なら〜〜」、「女性なら〜〜」とか。二項対立的になっちゃうんだけど、簡単に言えばそれを“確定しない”というやり方とも言えるかもしれない。今の社会科学や人文科学をやっている人から、「専門的でないことに口を挟むな」とか「こんなのは学問じゃない」と言われたこともあったって言ってたかな。やもすると、彼自身は学者ではなくて作家とかエッセイストとかって言われていたこともあるみたいだった。書いている文章も、これは彼の表現なのか、研究なのか、何かアカデミックに論理づけようとしているのか、捉えどころがない部分もあって。既存の言葉で位置付けようとしても、なかなか逃げていくんだよね。
佐藤:なるほど。ジャンルに当てはめにくいわけですね。
飯野:そうそう(笑)。それくらい既存の枠組みに切り込んで行こうとしてたんだと思う。あと冊子に、『ハーフ・ブリード』のことも書いてあるね。「研究だけではなくて、そういう人間と徹底して付き合って、遊んで、たまには危ない橋も渡ったり、若い時は無謀なこともやったり。自分の文明的な錆、武装を解除すること、ポジショナリティの政治学的が言うところのアイデンティティが、そこまで決定的に人間の行動や思考を意味づけるものにはならないはずだという確信に辿り着いた」そうです。
<Part5へ続く>
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
いかがでしたでしょうか。
Part4では、神宮さんと飯野さん、そして今福龍太さんの再会で起きていったことについてお話を伺ってきました。次回のPart5では、お二人が追究し続けている”詩”と”身体表現”について教えてもらいます。お二人の神髄を垣間見ることができるのではないかと想います。
ぜひ、お楽しみに。
取材・執筆・編集:佐藤 悠
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