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飯野純平さん・神宮一樹さんインタビューPart3「ナポリに吹く、舞台へと導く風」

塔と井戸 ダイアローグ 第2弾
飯野純平×神宮一樹×佐藤悠

Part3「ナポリに吹く、舞台へと導く風」
2021.05.01.


こんにちは。塔と井戸・佐藤悠です。

ダイアローグ第2弾のPart3です。
今回も、前回のPart2に引き続き、飯野純平さんと神宮一樹さんへのインタビューで伺ったことをお届けします。
前回は、お二人が出会った大学時代や"師"となる今福龍太さんについてお話ししてもらいました。それぞれが、大学入学までに育まれてきた感性が、今福龍太さんに繋がっていったことが伺えました。

今回は、神宮一樹さんが演劇を志すことを決意した、イタリア・ナポリでの留学について聞かせていただきました。ナポリの風が神宮さんを変えていくことになります。

今回も最後までお楽しみください。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

芝居に人生が透けて見える

佐藤:では、神宮さん、前回お話しされていた、今福先生に匹敵する風となった3人について教えてもらってもよろしいですか?

神宮:そうだね。考えてみると、全員今福先生につながっていたとは思うんだよね。というのも、今福先生のゼミで何を研究テーマとしていくか考えていたときに、僕はイタリア語を専攻していたのもあって、今福先生の師匠である山口昌男※1 との関わりの中で、コンメディア・デッラルテ(Commedia dell’Arte)というイタリアの仮面演劇を知ったのね。仮面を使った喜劇みたいな感じ。山口昌男の本に出る道化とかの話に興味を持って、イタリアに留学して仮面演劇のことをやろうと思って。

 ※1 山口昌男:1931年生まれの日本の教育者・文化人類学者

佐藤:山口昌男がきっかけだったんですね。

神宮:そう。僕は学部4年のときにイタリアのナポリに行くんですけど、そのときに、今福先生からイタリアのローマに知り合いがいると言われて。その人がどこかで講演するときに日本に帰国してくるから、紹介すると言われたのね。その人が多木陽介さんという人だった。イタリアのローマにも20年以上住んでいて、文筆が主なんですけど、写真とか展示会のキュレーションやったりとかいろんな活動をやっていて。あと建築とか家具とかもやっている人。

佐藤:多木陽介さん。

神宮:そう。お父さんが多木浩二さんという結構有名な人で、今福先生とも近かった人だった。それで、多木陽介さんともつながりができて、留学したときに連絡を取って、演劇系のイベントがあったときに呼ばれた。そこから仲良くさせてもらって、年に3回くらいはご自宅にも泊めてもらっていたかな。そういう付き合いの中でいろんな話をしてくれたんだよね。それが一個目の出会いだね。ちょっと時系列が前後します。

佐藤:はいはい。

神宮:多木さんはいろんな刑務所に行っていたりしたこともあって、あ、まずイタリアには刑務所演劇っていうものがあります。

佐藤:刑務所演劇?

神宮:そうだね。たぶん日本にはないと思うんだけど。慰問とかで刑務所に行くのではなくて、囚人たちが刑務所内で演劇をやるんですよ。そんなこと当然僕は知らなくて。ヨーロッパだとよくあって、イタリアは力を入れていることを多木さんは教えてくれて。イタリアだと、「全国刑務所演劇協議会」というのがあって。

佐藤:そういう組織があるんですね。

神宮:年に1回、「刑務所演劇祭」というフェスティバルがあって、全国から人が集まってカンファレンスを開き、実際に芝居をする機会がある。そのときも多木さんと見に行ったんだけど、すごく衝撃を受けた。これ、次の話にもつながるんだけど、ここで見た演劇は決して、テクニカルなものとか、良いもの、洗練されたものではないんだよね。特に訓練を受けているわけではないし、技術とかは欠けるし、刑務所内で練習しているから時間的制約もある。

佐藤:演劇を専門的に学んでいるわけではないですもんね。

神宮:そう。だけど、簡単に言ってしまえば、彼らはハードな人生を送っているわけじゃないですか。刑務所に入った理由も様々だし。イタリアはマフィアがあるから、そういう家に生まれて、生まれた時から家業として、殺しとか薬をやっている人もいる。そういう人たちの人生が、芝居の中で透けて見える瞬間がある。正確に言うと、透けて見えると思ってしまう瞬間がよくあるってことかな。それがとても新鮮で。これも一般論との比較になるんだけど、いかにその役に成り切れるかが、優れた役者かどうかを決めると思いがちだけど、僕は刑務所演劇を見てから、その人自身の人生や考えを透けさせて、別の物語に反映させているものが良い演劇だと思うようになった。それが、演劇に対してもそうだし、自分の価値観に対して新しい風だったと思います。それも、王道ではないと思うんだよ。刑務所演劇をやっている演出家の人たちも、演劇人として王道ではないんだけど。単純にすごいんだよね。そういう人たち見てて。

佐藤:僕からすると、全く想像できない世界です。

神宮:そうだよね。なんで、ここ(刑務所)で演劇を選んだんだろうって。

佐藤:刑務所演劇自体も、我々の常識的な感覚からすると逸脱していますよね。囚人が芝居をすること自体、ピンとこないですよね。

神宮:日本的な感覚だと、半分タブーみたいなところがあるじゃない。刑務所に限った話じゃないんだけど、日本って政治と宗教と性の話って結構タブーだよね。イタリアで出会った友達とはそういうことを話してたんだよね。

佐藤:真剣に政治のこととか話さないですよね。触れちゃいけないというか、聞いちゃいけないことな気がしますよね。まして囚人のことなんて。

神宮:真剣にそれを話してたから。日本で育ってアンタッチャブルだったことに、イタリアでは話す機会が多かったから。話すことで意見がまとまることがあって、そういうことがイタリアに留学して一番変わったことかな。

揺らぎ続ける地下劇場

神宮:ナポリには、交換留学生として行っていたんだけど、まぁありがちなんですけど、大学に行かなくなっちゃって。あんまり面白くないなって(笑)。

佐藤:ええ、そうだったんですか。

神宮:なんで大学に行くのが面白くなくなったかというと、大学で日本語を学んでいる学生が結構いるんだけど、僕が彼らに日本人として見られたり、日本語とか日本文化に興味を持っている先生や生徒が、僕に日本人として関わってきたりするのがすごくつまらなくなってしまって。。

佐藤:そうだったんですね。

神宮:当たり前にモデルケースとして、生きている日本人として、標本的に接して、当たり前のように受け入れてくれるわけじゃないですか。それがつまらなくて。

佐藤:たしかに、話もありきたりなものになりますよね。

神宮:そうなんだよ。だけど、ナポリは結構面白い街で、僕に言わせると野生的な街。なんか原始的なエネルギーで動いていて、人も。ナポリのゴミゴミした感じがすごく好きで、大学に行くより、そこら辺をほっつき歩いたり、近所の人とつるんだりする方が楽しくなっちゃって。

佐藤:日本人としてナポリにいるより、生活者としてナポリにいたかったんですかね。

神宮:そうかもしれないね。ある日、自分が住んでいる路地にいつも閉まっている扉があって、そこが開いていたんですね。入って、階段を降りてみると、そこが実は地下劇場だった。

喧騒の街・ナポリの地下。静寂のTeatro Instabile Napoli

佐藤:地下劇場?

神宮:そう建物の下が、ドーム状の劇場になっていた。そこにふらっと入ったときに、そこの支配人の老人がいた。身なりがすごく汚くて、なんかホームレスみたいな感じだった。でも、そのおじさんと出会った瞬間に魅力を感じて。その人が、結果的に今日の話で言うと二人目の風だね。地元の演劇家のおじいさん。後々知ると、ナポリの演劇の世界で結構斬新なことをやっていた演出家なんだけど、世間的な、社会的な立ち回りができない人だったから、全然金を儲けるわけでもなく、情熱だけで生きている人で、老いたところに出会った。

佐藤:ちなみに、そのおじいさんの名前を聞いてもいいですか?

神宮:はい。ミケーレ・デルグロッソ(Michele Del Grosso)ですね。これね、良いこと聞いてくれました。この名前が僕に取ってすごく大事なんですよね。ミケーレが名前で、デルグロッソが苗字ですね。

佐藤:ミケーレ・デルグロッソさん。

神宮:ドキュメンタリーかなんかにも出ていたみたいで、でも僕が出会ったときは全然そんな感じはなかったんですけどね。

佐藤:そうだったんだですね。

神宮:ナポリの地下劇場が開いている日に、僕はたまたま入ってしまったみたいだった。舞台の公演をやる日だから、扉が開いていたみたいだったんだよね。「怖いな」と思いながら入って、「今日何するんですか?」って聞いたら、「お前、誰だ」って言われた。人当たりがすごく悪い人だった。ナポリに住んでいる経緯を話して、「舞台やるなら見たいんですけど」って言ったら、「じゃあ、夜ここに来い」って言われて。

佐藤:すごい出会いですね。その後、行ったんですか?

神宮:そう。夜に見に行ったら、僕と地元のおじさんと二人しかお客さんがいなくて。そこの劇場も30~50人くらいしか入らない小さな劇場だったから、ありがちなことだったらしいんだけど。その日公演する予定だった劇団はミラノからツアーで来て、おそらく初日だったんだけど、「二人しかいないなら、やってもしょうがない」みたいなことを言い出したのね。そしたら、支配人のミケーレが超怒鳴り始めて、その時に「お前らは、人間を相手に芝居をするのか、それとも数字を相手に芝居をするのか」って言ったのね。

佐藤:非常に強い言葉ですね。

神宮:だけど、結局芝居がなくなっちゃって、もう一人見に来ていたおじさんが「時間あるしピザでも食いにいくか」みたいなことを言い出して、店に連れていってくれた。そのおじさんがピザとかワインを奢ってくれて、いろんな話をしてくれたのね。で、そのおじさんが「芝居を見れなかったけど、ナポリのおじさんと日本から来た若者が出会って、僕らがこうやって酒を飲んでることの方が、よっぽど演劇的なんじゃないか」と言っていた。それもなんか、「おぉ」って思って。

佐藤:なかなか印象的な言葉ですね。

神宮:その「人間を相手にするのか、数字を相手にするのか」と「こういう時間の方が劇的じゃないか」という二つの言葉がターニングポイントでした。まさに風と言えるような言葉。

佐藤:演劇とは何かを考えさせられる機会になる言葉ですね。

神宮:そうだったね。僕はそのときに「イタリアでコンメディア・デッラルテの研究をします」って言ったんだけど、本当はやりたかったんですよ。自分で。

佐藤:演劇をですよね?

神宮:そう。演劇は20歳すぎてやるものではないと思っていたから、「研究をします」っていう言い方をしていたんだけど、さっきの言葉とかに出会ううちに、やっぱりやりたいと思って。演劇って日本だと、煌びやかな世界で、派手な女優とか俳優とかがやるものじゃん。でも、そういうことじゃないんだと思った。生活の中にあるような物語を、解釈して表現するのが演劇だとしたら、自分もやりたいと思うようになった。だから、研究ではなくて、自分も演劇をやる側として勉強してみたいと思ったんですよね。

佐藤:そういう経緯だったんですね。

神宮:今思うと、だいぶ馬鹿げているんだけど、そのとき交換留学として行っていたのに、大学卒業してからもう一度、ナポリに行って演劇をやるとミケーレに言ったんですね。それが転機でしたね。その出会いがなければ、自分の性格的に、コンメディア・デッラルテの研究もそこそこやって、普通に大学を卒業するくらいだったと思うので、まぁ有り体に言えば、人生を変えられた出会いでしたね。

佐藤:相当ミケーレに惹かれるものがあったんですね。自分の人生が導かれてしまうくらい。

神宮:そうだったかもしれないね。

佐藤:そこから、留学中には演劇はやらなかったんですか?

神宮:交換留学中は演劇自体はやらなかったんだよね。短い短期のワークショップとかは何度か行ったけど、その時点で留学もあと数ヶ月だったんだよね。ミケーレに演劇を教えてくれって言ってたんだけど、学校とかで授業をしていたわけではないし、そんな急に教えられないから、「毎日家に来て、話をしよう」って言ってくれた。

佐藤:そのミケーレとの時間からいろんなことを吸収されたんですね。

神宮:そう。トータルして、言えるのはまさに一回性というか、「予定してこれやりましょう」ってことではなくて、そこで“起きてしまうこと”に魅力があるというか。それは、たぶん演劇にも通じるところがあって、見ていて「そんなわけないじゃん!」ってことよくあるじゃないですか。「普通にそこヘマしなければ、もっとうまくできたじゃん!」みたいなね(笑)。リアルな人生でそういうことってあまり起きないじゃん。特に日本では。予定した通りに行くし。

佐藤:そうですね。

神宮:だけど、ナポリって全然そうならなくて。「なんでこうなっちゃうの?」ってことがたくさん起きて、イライラ通り越して、呆れというか笑っちゃう。なんでこんなこともできずに、みんなあたふたして、喚いて怒って、泣いているんだろうみたいな(笑)。

佐藤・飯野:(笑)。

神宮:街で喜劇をやっているというか。

飯野:“ちゃんと”してないよね(笑)。

神宮:そう、“ちゃんと”してないんだよ。各々が守るべきものを守って、やるべきことをやっていればそんなことになるわけないんだけど、みんな人間だから、集団に対してやるべきことと、個人としてやりたいことがあるじゃん。そこをはっきり持っているから、ちょっとずつズレていって、ドタバタが起きちゃうみたいな。古典的な芝居のテンプレみたいな感じだったんだけど。

佐藤:なんかイメージ湧きますね(笑)。

神宮:僕が大学にあまり行かなくなったのも、自分からそこ(予定調和)を外しにいったところはあるんだよね。

佐藤:なるほど。

神宮:そしたら、そっちにコロコロって転がっていったと思う。大学に行かないっていうのは、予定通りのことをしないという表れだったのかもしれないね。

佐藤:ちなみに、何という劇場だったんですか?

神宮:良いこと聞いてくれましたね。「テアトロ・インスタービレ・ナポリ(Teatro Instabile Napoli)」だね。この「インスタービレ(Instabile)」というのは、「不安定」という意味で、「スタビリティー(英:stability)」がない劇場ということなのね。これって、すごく皮肉が込められていて、イタリアでは、固定劇場のような大きな箱を持って、大きいアカデミーとかを持ってそこで講演するような劇場のことを「テアトロ・スタービレ(Teatro Instabile)」って言うんですよ。

佐藤:なるほど。面白いですね。

神宮:彼はそれに対する完全な皮肉で、「ここは、テアトロ・インスタービレだ」と言っているわけですよ。ずっと揺らぎ続けている場所であると、安定性なんてクソ喰らえだと。だから、かなりいい名前なんだよね。

佐藤:そういうのって、無理矢理かもしれないけど、前々回おっしゃっていた熊谷高校に影響を受けた話と繋がりますよね。すごく実力があるのに、王道に行かないというか、王道を小馬鹿にするというか。

神宮:まさに、そうだと思うんだよね。だから、一致したんだよね。自分が思っていることと。

詩を宿し、動き始める身体

佐藤:帰国後はどうされていたんですか?

神宮:「ナポリに戻る」と言ったことは守りたいと思っていて。ちゃんとミケーレに会うってことだけは果たしたくて。それで、大学卒業してから半年後くらいに3ヶ月間だけナポリに行って、基礎を教えてくれる学校を探すことになった。それで見つけたある学校が、身体マイムを教えてくれるみたいで、そこに行こうと思って連絡した。主催者の名前が、ミケーレ・モネッタ(Michele Monetta)という名前だったんですよ。その人もミケーレだったんですよね。

佐藤:ミケーレ・モネッタさん。

神宮:これも直感なんだけど、この学校が良いなと思ったんですよね。それで志望書みたいなのを書いて、本当は面接をしないといけなかったんだけど、その先生が仕事で海外に行って会えないのと、俺もあと数ヶ月で日本に帰らないといけないのが重なって、「もういいよ、合格!」ってなった。入学証明書みたいなのも、先に書いて送ってくれたんですよね。

佐藤:ちなみに、何という名前の学校なんですか?

神宮:学校の名前は、「スコラ・デミーロ・コルポーニョ(Scuola del Mimo Corporeo)」なんだけど、そこを運営というか主催しているのが、「ICRA PROJECT(イクラ・プロジェクト)」というところで。この学校に行くことを決めたときに印象的だったのが、ミケーレ・デルグロッソが紹介してくれた学校とは別の学校に行くことを言ったらすごく怒られた。「俺が行けって言ってるんだから、そこに行けばいいんだ」と言われて。今、演劇の学校ってたくさんあるから、「よくわからないところに行ったら、本当に時間の無駄になるだけだ」とミケーレ・デルグロッソが言っていて。誰がやっている学校なのかを聞かれたから、「ミケーレ・モネッタ」って答えたら、黙っちゃって。その人に対しては良いとも、悪いとも言わなかったんですよね。それがすごく印象的な出来事でした。

佐藤:実際、学校に入ってみてどうでした?

神宮:めちゃくちゃ僕には合ったんですよね。このミケーレ・モネッタが僕にとってのナポリの3人目の風ですね。彼はすごくいろんなことを勉強していて、空手をやっていたり、日本の武道にも精通していた。彼は、ナポリの近くの出身なんだけど、あまりナポリ人っぽくなくて、時間もきっちりしてるし、穏やかでマメで。すごく体のこととかテクニカルなことも話してくれるし、そこに詩の心を持たせてくれる。実際、詩や文学のことを引用して話してくれる。演劇の学校だったんだけど、今福先生のところでやっていた文化人類学のことに似ていると思った。今福先生もそうだったんだけど、その日のテーマが決まっていても、そこから関連するものがどんどん出てきて飛躍していくんですよね。ミケーレ・モネッタも同じ感じで。座学と実技があるんだけど、どちらもその場のフィーリングで「こないだ見た映画のこのシーンに関するレッスンをやろうか」みたいなことを言ってくるんですよね。

Michele Monettaさん(右)と神宮さん

佐藤:この方ですか?ミケーレ・モネッタは。

神宮:そうそう。親父に似てるんだよね。奥さんも先生なんだけど、フェルデンクライスっていう、日本だと怪我の治療とかリハビリとかに入る理論の先生で。その奥さんはうちの母親に似てるんだよね。

佐藤:じゃあ、なんか縁があったんですかね(笑)。

神宮:そう。しかも、年齢がどっちもうちの両親と一緒なの。

佐藤:すごい(笑)。イタリア版、神宮家に行ったわけだ(笑)。

神宮:そんな気がするね。

Part4へ続く>

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

いかがでしたでしょうか。
Part3では、神宮さんがイタリア・ナポリで出会った3人についてお話を伺ってきました。次回のPart4では、神宮さんの帰国後に起きたことについて教えてもらいます。
ぜひ、お楽しみに。

飯野 純平(いいの じゅんぺい)
1992年6月23日生まれ、東京都小金井市出身。東京外国語大学卒。在学中に書物に導かれて参加した今福龍太ゼミ、そこで神宮一樹と出会う。創作や旅を続け、北アイルランドの現代詩人研究をする傍ら、言語と教育に自身の生きる道を見出し、2019年から石川県能登町にて地域教育に従事。受験勉強の指導をする一方、言葉のあり方を考える時間を生徒と数多く共有。能登をフィールドとした言語活動、書道パフォーマンスの共作等。3年を過ごし故郷ともよべる存在となった能登を離れた現在、高校生対象の教育現場にて自身の言語教育スキルをさらに磨きつつ、「街の言葉屋」として活動中。大切にしていることは「詩をものすことではなく、詩に生きていられること」。

神宮 一樹(じんぐう かずき)
1992年6月23日生まれ、埼玉県深谷市出身。東京外国語大学在学中、今福龍太ゼミで、飯野純平と出会う。留学先のイタリア・ナポリで、街それ自体が孕む演劇性に魅せられる。身体マイムとイタリア仮面劇を学ぶ傍ら、刑務所や過疎集落など、<今、ここで>あり得る表現に触れる。石川県能登町でのワークショップを経て地域教育に興味を持ち、2020年より愛媛県伊方町公営塾にて高校生と学びを共にする。主に英語を担当し、即興性や言語を通じた文化考察を重視した指導を心がける。2023年より、埼玉県秩父市にて高校魅力化コーディネーターを務める。「人が人といること。人が人としてあること。」を大切にしながら、<今、ここで、あなたと>だからこそありうる表現を模索中。

取材・執筆・編集:佐藤 悠


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