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飯野純平さん・神宮一樹さんインタビューPart1「Blowin' in the wind」

塔と井戸 ダイアローグ 第2弾
飯野純平×神宮一樹×佐藤悠

Part1「Blowin' in the wind」
2021.04.24.


こんにちは。塔と井戸・佐藤悠です。

今回はダイアローグ第2弾として、6回に渡って、飯野純平さんと神宮一樹さんにインタビューさせていただき、伺ったことをお届けしていきます。
東京外国語大学の今福龍太ゼミで研究・表現を追求し、同じ時間を共有されていた飯野さん・神宮さん。卒業後、飯野さんは石川県能登町、神宮さんは愛媛県伊方町で、公立高校の支援を様々な面から行う拠点である「公営塾」という場所でそれぞれ働かれていました(飯野さん2022年3月で退任、神宮さんは2023年3月で退任)
また、私も長野県軽井沢町にある公営塾で約3年間勤務していたご縁もあって、お二人と出会いました。繰り返しお話しさせていただくなかで、二人が見てきた世界、そしてその感性に入り込んでしまい、気づけば私自身が魅了されてしまいました。そこで、二人が10代・20代をどのように過ごし、何を考えて生きていたのかを文章にまとめさせてほしいというお願いをしたところ、快く承諾していただき、今回の企画が実現しました。

人はどのように他者から影響を受けて生きていくのか。そして、それを受け入れながらどのように変化していくのか。二人のことを知っている方も、そうでない方も楽しんでいただける内容となっています。

また、二人は大学時代に共通の“師”に出会うことになります。その師との出会いが、二人の人生を大きく動かしていきます。こちらが中盤の見どころといったところでしょうか。

全ての回に通じるテーマは、“風”です。ぜひ、お楽しみください。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

Intro:風が吹いている

佐藤悠(以下、佐藤):今日は、お時間いただきありがとうございます。

神宮一樹(以下、神宮):いえいえ。

飯野純平(以下、飯野):こちらこそ。

佐藤:早速お話ししたいのですが、まず、このいきものがかりの『風が吹いている』という曲がありまして、

佐藤:僕、彼らの大ファンなんです。

神宮:前も言ってたね。

佐藤:そうでしたね。「風が吹いている」という歌なんですけど、以前、神宮さんが演劇について学んでいたときに、「風を表現するということは、“風に揺れる柳”を表現するようなことだ」ということを教えてもらったと言っていましたよね。

神宮:そうだったね。

佐藤:それは、何かを表現することは「その何かに影響を受けた、別のものを表現する」という意味でした。その言葉とこの歌の「ふるえる心で感じたすべてが 僕のいままでをつくってきたんだ」という歌詞がすごくヒントになりまして。

飯野:はいはい。

佐藤 : 自分に影響を与えたものについて考えることは、その後の自分を捉え直すことに繋がると思ったんです。二人は同じ大学で同じ教授の元で学んでいて、それ以外にも様々な風に吹かれて、10代後半から20代後半にかけて生きてきたと思うんです。だから、「どんな風に吹かれて、どんな影響を受けてきたのか」というテーマを軸に話したら面白くなるのではないかと思ったんですよね。

神宮:なるほどね。

佐藤:そして、二つ目が、「自分たちも風になれるのか」というテーマについて話したいと思います。「いろんなものに影響を受けてきた」ということで終わらせるのではなく、今後、何を表現していくのかをお聞きしたくて。つまり、お二人に「吹いた風」、そしてお二人が「吹かせていく風」をお聞きしたいと考えています。どうですかね?(笑)

飯野:いいんじゃないかな。

神宮:すごく壮大なテーマで、核心に迫ることだよね。

佐藤:前半は「どんな風に吹かれてきたか」、そして後半は「どんな風になれるのか」というテーマをお聞きし、僕も一緒に考えていきたいと思います。

飯野:すごいね(笑)。僕の頭の中ではさっきからBob Dylanしか流れていないんだけどね(笑)。

佐藤:ああ、そうですよね(笑)。『Blowin' in the Wind』からも似たものを感じますけど、いきものがかりの水野良樹さんは『SAKURA』という歌も書いていて、自然物を歌にするのが上手いんですよ。桜とか風とか。彼は、桜は人を感動させるために咲いていないし、風も人の背中を押すために吹いているわけではないと言うんです。つまり、人が勝手に意味づけをしているわけですよね。別れの桜だとか、背中を教えてくれる風だとか。

神宮:はいはい。

佐藤:お二人は同じ教授に影響を受けてきたと思うんですけど、別に彼は二人に影響を与えるために生きているわけではないとも思うんです。もちろん、大学という環境にいるわけですから、ある程度学生に影響を与えることはわかって働いているのかもしれないけど、教授たちの人生自体は、学生に影響を与えようと思って、生きているわけではないと思うんですよね。だから、”風”というのは、すごく良い表現だと思っていて。人為的でないというか、意図していないというか。まずは、「どんな風に吹かれてきたか」という話を自由に話してもらいたいなって思っています。ちょっと青臭いですが(笑)。

神宮:これ、俺が生徒とかにいろんなことを話すときの一番核になる話だなと思っていて、誰からどういう影響を受けてとか、自分が風になれるかっていうのは、究極の僕のテーマを話してもらっていて。結論を最初に言われてしまいましたね(笑)。

佐藤:そう。だから、構成悩んだんですよ(笑)。先にそれを言うかどうかで。

神宮:まぁ、でも後半につながることを考えると、先に言ってくれてよかったんじゃないかな。

飯野:これは、酒が進む話になりそうですね(笑)。

◇◇◇◇◇

16歳に吹く風は、煌めきと痛みをまとって

神宮:俺にとって、風だったと思う人は複数思い当たるんですよ。

佐藤:そうなんですね。

神宮:僕は小学校中学校くらいまで、すごい優等生だったんですよ。勉強もできて、運動もできて、リーダーシップもあるみたいな。勉強もクラストップだったし、運動もマラソン大会とかで上位に入ったりとか。先生からも気に入られるみたいな。

佐藤:はいはい。

神宮:で、たぶん高校という場所が僕にとって最初の“風”だったかな。熊谷高校という埼玉の県立の男子校で、わりと進学校だったんだけど、結構歴史のある独特な高校で、校風が「自由と自治」とか「文武両道」とかがテーマで。まず、制服がなくて、髪の毛もピンクとか、金髪のやつとかいっぱいいて、行事とかも、生徒がみんなで全部やるみたいな雰囲気だった。

佐藤:そうだったのですね。

神宮:それが面白いなと思って。中学までは、大人の期待に応えるということがわかりやすくあったから、ある意味、そのわかりやすい個性を演じていたんだなって思って。「そうじゃなく」なりたいって思ったのね。周りの先輩とか同級生見たときに自由に楽しんでいるのを見て、かっこいいなと思ったんだよね。勉強とかも進学校だから、みんなそれなりにできるんだけど、勉強なんてやらないでバカなことばっかりやっているやつとか。しょうもないことだけど、体育の前の授業の時に、海パン一丁でゴーグルつけて授業受けたりとか。ほんと大したことないんだけど(笑)。

佐藤:(笑)(笑)。

神宮:今思えば、履き違えているとしか思えないんだけど。学校の先生も7割くらいがOBだから、よくわかっていて、そういうことに器が広くて。担任の先生が古文の先生で、「エロ古文」っていうのをやっていて、古文のそういう卑猥な話を持ってきて、本格的に読解するっていう(笑)。

佐藤:楽しそうですね(笑)。

神宮:そのときに、「真面目にふざける」っていう価値観が出てきたかな。

佐藤:今の神宮さんに繋がっている部分ですね。

神宮:あと、男子校だから一番思春期の暴れ盛りのときに、学校全体の雰囲気として、欲求不満なんだよね。

佐藤:なるほど、満たされていない感があるんですね(笑)。

神宮:そう。学校中にそれが充満しているんだよね(笑)。

飯野:(笑)(笑)。

神宮:本当に満ち溢れているんだよね。だから、「あれもしたいこれもしたい」みたいな感じになっていたんじゃないかな。

佐藤:なるほど。

神宮:そう。それによって、僕らは、愛校心とか帰属意識も強い。だけど、それって言われてなったものじゃないし。

佐藤:わかる気がします。

神宮:先生たちが当時の高校の頃の話とかしてくれて。数十年前の先輩たちが、学生運動ってあったじゃない。

飯野:あったね。

神宮:今、他の県では、県立の男子校・女子校は、どんどん統合されているけど、埼玉とか群馬はまだ残ってるんだよね。熊谷高校の先輩たちは、男子校のまま残してほしいという抗議運動もしたらしくて。
自分は高校の時、そういう運動をしたわけではないけど、「そういうもんなんだな」っていうのは植え付けられたんだよね。

佐藤:そういう、時代との戦いによって残った伝統は、馬鹿にできないですよね。

神宮:学生運動とかって、歴史の授業とかで学ぶ話だと思っていたんだけど、どっかで(高校に)残っているんだよね。うちの学校はそういう時代から、全部を受け入れるのではなくて、違ったら反抗する精神がある。それが今も残っていて、なんか骨に入ってくる。しかもそれは、そういうことを授業の中で学んだわけではなくて、日々の雰囲気とかの中で学んだことだから、頭でっかちな知識じゃない。

佐藤:しかも、それは生徒が受け継いてきたんでしょうね。あるいは、その人たちが先生になったりとか。

神宮:そうそう。

佐藤:自分の高校時代のことを思い出しました。すごくわかります。勉強できる子たちを見て、「こんなに伸び伸びやっているんだ」と、最初はかなり驚きましたね。

神宮:入ったときは、「頭いい奴らが集まって、こんなにアホなことやってるの?」ってびっくりするんだよね。

佐藤:なかなかのカルチャーショックですよね。

神宮:でもね、エリート意識はないんだよね。浦和高校という高校が埼玉にはあるんだけど、進学校としては浦和が県下でトップなんだよね
。だから、部活とかで浦和高校とかに当たると「絶対負けらんねぇ」っていう雰囲気になるんだよね。プライドと反骨心が両方ある。

熊谷高校サッカー部時代の神宮一樹さん(右)。高校3年秋まで活動していた。

佐藤:なるほど。ちょっと大袈裟な言い方をすると、あくまで反体制なんですかね。

神宮:そう。だけど、「自分たちはただのアウトローではない」という意識があるんだよね。

佐藤:おもしろいですね(笑)。

神宮:それが、骨に染みているんだよね。それと今もあるのが、実力がないとカッコ悪いっていうのが一個。ちゃんとやるべきこととか、やることをやる。だけど、それで権力とか王道派にいくのはカッコ悪い。王道ではないところにいて、王道の奴らより力を持つのが一番かっこいいっていう。

佐藤:なるほど。確固たる力を持って、自分たち独自の道を作って行きたいという思いが強いのかもしれないですね。

神宮:そうだね。それが高校時代に育まれたと思う。

佐藤:どうですか?飯野さん、聞いていて。

飯野:高校の話から接続すると、僕の高校でも68年にバリケードを張るっていうのがあって。立川高校っていう都立の高校なんだけど。今は国立高校とか日比谷高校が上に行っているんだけど、ひと昔前は優秀な学校だったらしくて、今の東京外国語大学の学長は立川高校の人だし、あと吉増剛造さん※1 も立川高校で。

 ※1 吉増剛造:1939年生まれの詩人

神宮:え、そうなの!?

飯野:そう、先輩なの。彼は地学部だったんだけど、多摩川でよくハンマーで石を割るのが好きだったんだって。石を割ったときに、まだ酸化してない化石が出てきて、一気に酸化する様を見て、「一千年の時の経過を感じた」みたいな彼の記憶もたびたび見聞きしているんだよね。

佐藤:すごいですね、当時からそういう感性があったんですね(笑)。

飯野:都立高校で地学があるところってほとんどなくて、僕は地学がすごく大好きだったんだけど。僕は地学室にずっと入り浸っていて。だから、僕は地学室で吉増剛造とすれ違っていたことになっているんだよね。

神宮:すごいね。

飯野純平さんがもらった、詩人・吉増剛造さんのサインとメッセージ。

飯野:彼の経験を聞くと、自分が経験したことのように錯覚する部分もあって。あとは多和田葉子さん※2 も立川高校なんだよね。

 ※2 多和田葉子:1960年生まれの小説家、詩人

佐藤:そうだったんですね。

飯野:そうそう。あと、私服で、土足で、なんか半分大学みたいな高校だった。立川駅って映画館とかルミネとかあって、みんなませていたかな。あと、行事がやや盛り上がらないんだよね。

佐藤:盛り上がらないんですか?

飯野:そう。盛り上がっている集団もあるんだけど、一方で「なに、熱くなってるんだよ」みたいな人も結構多くて。

神宮:おもしろいね。そういう雰囲気なんだ。

飯野:みんなアイデンティティが出来上がっているからか、お互いに干渉しない雰囲気もあった。かなぁ。高校振り返ると。でもまぁ、そんな中、僕は愚直にサッカー部でがんばっていて、勉強はしていなかったし。

神宮:え、例えば立川高校の生徒は、部活へも冷めた感じもあるの?

飯野:あるある。そう、だけど僕はほんとにアホで、冷めた見方がいつもできない。いつも、愚直に真面目に突っかかっちゃうところがある。冬の大会あるじゃん、全国高校サッカー選手権。

神宮:うんうん。

飯野:あれにつながる予選が夏にあるじゃん。その前に春の段階で18人中16人辞めて。

神宮:インターハイの後でしょ?

飯野:そうそう。インハイの後に、「都大会行ったから辞める」ってみんな辞めて、僕と相棒だけ夏まで残ったんだよね。

佐藤:そうだったんですね。

飯野:なんかね、僕、スポ根なんだよね。親父に気づいたら野球やらされていて、「男はスポーツやらないとか意味わかんない」って洗脳されていたし。「やり切らないとか、まじでだめだ」って。「毎日素振りしない人とか舐めてんのかな」って、お節介で突っかかって、煙たがられてクラスメイトにハブかれたりしたのが小学生。そういうことがあってだんだん丸くなって、一生懸命ゆるくなったのが、今だね。

佐藤:今の雰囲気からは想像できないですね。

飯野:意識の上でずっとあるのは、見栄と自尊心。これはずっと感じていて。ヒエラルキーの中でどこに属しているのかっていうことには、かなり意識的だったと思う。小学生の時から、いや幼稚園の頃からかな。

佐藤:はやい(笑)。

神宮:すごいね。

飯野:なんか本当に、“好かれている”ことにずっと甘えて生きていると思う。好かれていないことが耐えられない。好いてくれている人がいないことが結構辛いみたい。幼稚園の頃から、自分のこと好きそうな女の子がいるとかそういうことで、何か支えられていた部分があるかも。たとえば、小学生の時とかになってくると、いじめる子/いじめられる子がでてきて、自分のポジションがどこなのかをよく意識するといか、常に意識の底にあったんだよね。

神宮:うん。

飯野:自分はクラスのなかでも、満遍なくいろんな人と仲が良いほうだったと思う。それこそ、嫌な言い方だけども、ヒエラルキーでいえば上から下まで。それで嫌だったのは、仲良くしていた子が、ある日気づくといじめられていたりしたこと。そしてさらに嫌だったのは、僕自身が、見栄を気にして、いじめられ始めたその子と上手く関われなくなったこと。それで思ってたんだね、「なんて自分は卑しい生き物なんだ」って。そういう卑しさの自意識が、ずっとあるの。クラス内での立ち位置とか気にせず遊べていた友達に対して、僕以外の人間が貼っているレッテルを知ったときに、元のように仲良くできない自分が、いやだったんだね。

佐藤:関係性の中での自分に悩んでいたんですね。

飯野:そう。まとめると、今の今まで続いているのは、見栄と自尊心。でも痛い。痛さ、傷。初源的な傷はずっと抱えているね。

佐藤:それはその先もずっと残るものになりますね。

飯野:神宮くんは追い風が吹いている感じがあるわ。どうなの?

神宮:そうだね。俺は、こういう生活がずっと続けばいいなって思っていた。高校の時、今の気持ちを忘れないようにしようって思っていたわ。「今の自分みたいな気持ちで、大人になっても生きていかなきゃ」って思っていましたね。普通そんなこと思わないじゃん、高校生って。

佐藤:すごい(笑)。でも、その気持ちが大きかったんですね。

神宮:そう。高校2年くらいから、学校楽しいなって感じで。友達とバカなことやって、サッカー頑張って。だから、当時の日記とか読むとほんとクサいんだよね(笑)。高校生なんだから、もっとドロドロしていてもいいじゃない。なんか爽やかすぎるんだよね。「今日の部活の後の風が気持ちよかった」みたいなことが書いてあるの(笑)。

飯野:(笑)。

神宮:だけど、ずっとこうはいられないとも思っていた。だから、今自分が大事だと思うことをなくさないで、生きていこうと思っていた。

佐藤:終わりが来ることを感じていたんですね。

神宮:そうだね。今もそれがずっと残っているんだよね。精神的に変わっていないんだよね。

佐藤:神宮さんの楽観的な雰囲気も、その時代の感覚が残っているんですね。

神宮:そう。だから、今思うと俺は相当恵まれた高校時代送っていたんだなって思うよね。「俺なんて」って自己卑下していたときもあったけど、他の人に比べると相当自己肯定感は高かったんだと思うんだよね。幸運なことにね。だから、俺は自信があるんだと思う。今も。あまり根拠はないけど。

飯野:うん。

神宮:ただ、一つだけ、女の子との接点がなかったっていう(笑)。

佐藤:いやー共学じゃなくてよかったです(笑)。

神宮:これで、共学で彼女もいてって感じだったらここまで考えていないと思う。今が楽しいだけだから。僕は中高6年間片想いしていたのね。高校に入ってから告白とかしたんだけど、ダメで。僕と同じサッカー部の背の高いやつといい感じになっちゃう、みたいなことがあって。

飯野:傷だね、一つの。

神宮:当時、僕はそのことで傷ついて、万能感はなかったけど、

佐藤:今思えば、

神宮:今思えば、すごく爽やかだったというか。だからまぁ、バランスが良かったんだと思うよ。

飯野:恵まれた部分と、

神宮:と、決定的に足りていない部分と。

飯野:わかるなー。なんかさそういう空洞を抱えてその後生きていくよね。すごい自分の中で大きなテーマになるよね。

神宮:そう。そこが、後々テーマとして残ったりするんだよね。

飯野:普通に、働いている大人を見ていても、その人の中にこういう空洞があるんだろうなって思う。

神宮:うん。

育まれる感受性と導かれる運命

飯野:ちょっと文化的な話につなげたいんだけど。

佐藤:はいはい。

飯野:中学までは、のほほんとしてて。高校に行った時に、アイデンティティ・クライシスがあった。というのも、小中はなんとなく野球やったり、サッカーやったりしていたのね。立川高校に行くってなったとき、みんなにすごく驚かれた。そういう風にみんなに眼差されてなかった。

神宮:何の驚きなの?

飯野:頭良いっていうグループがあるわけじゃない。そういう表沙汰にならない人間だったから。

神宮:じゃあ、飯野くんはリーダー格じゃないけど、勉強できるっていうキャラでもなかったのか。

飯野:そうそう。それに定期テストは500点満点中350点くらいしか取れなかったから。だから、立川高校よく行けたなって感じだったんだけど。

神宮:なるほどね。

飯野:まぁ、小中の間はキャラが知られているから、見た目に反していろんなこと考えているっていうのをわかってもらえたんだけど。高校に入るとバックグラウンドが違う人たちが集まるから、めちゃくちゃいじられるようになっちゃって、サッカー部とかで。めっちゃ嫌で。いじられて面白い反応ができるわけでもなくて。ただただ、傷ついていて。そういうアイデンティティ・クライシスがあって、キャラみたいなものに悩むわけだよね。その時期の決定的な出会いが、「エンドリケリー」※3 だね。あえて本名では言わないけど。神宮くんはわかるよね。

神宮:ああ、わかった。

佐藤:(検索する)

佐藤:そうだったんだですね。知らなかった。ソロプロジェクトやっていたんですね。

飯野:彼の生き様みたいなものに、根っこから惚れてしまって。初めて買ったCDも彼が30歳になるときのソロプロジェクトのCDだった。高1の誕生日のときに、彼のエッセイ集を母親が買ってきて。過呼吸になったり、アイドルとして追い込まれたりして生きていたみたいで。いわゆる繊細さみたいなのを持ち合わせている人だった。彼の傷のさらけ出し方とか、傷の持ち方とか抱え方とかに魅せられて。それを音楽に表現したり、絵に表現したりしていて。それで、僕もすごく自分の見せ方を研究した。身長も自分と同じだから、ロールモデルみたいになったんだよね。

佐藤:自分と重ね合わせていたんですね。

飯野:kinki kidsの光一さんは、プロフェッショナルで、自分がどういう努力をして、どういうことを日々考えているかは出さないのよ。ステージとかテレビで見るアイドルとしての姿とか、職人としての自分だけを見せるのね。だけど、剛さんは、自分に個人的に起きた、愛犬が亡くなったとか、お母さんへの思いとかをファンと抱えていくスタイル。自分の傷を曝け出すっていう。だから、彼らはバランスが取れていて、とっても良いコンビなんだよね。

佐藤:全然知らなかったです。二人の対照的なスタンスが魅力なんですね。僕、結構kinki kids好きで昔の曲とかも聴いたりするんですけどね。

  ※3 ENDRECHERI(エンドリケリー):kinki kids・堂本剛のソロプロジェクト

飯野:そう、本当に作詞・作曲に恵まれて、ミュージシャンとしてもとても魅力的なんだよね。

佐藤:ちょっとまた聞いてみます。

飯野:今の生徒に対するスタイルも、仮に高校とかで働くことになったら、“隠さない”っていうのは、彼の影響は大きい。自分の悲しさとかを共有するっていうのは。

神宮:うんうん。

飯野:彼はソロプロジェクトで、最近はサマソニとかに出るくらいになって。で、バッチバチのファンクとかをやるんだよね。「誰が聴くねん、この玄人好みの音楽」っていう感じの(笑)。めちゃめちゃかっこいいんだけどね。僕は彼を入り口にして、ブラックミュージックとかに入っていったんだよね。Sly & the Family Stone※4 とか70,80年代のファンクとかを、高3とか浪人のときに聞いていたんだよね。今福龍太にたどり着く感性、詩とかクリエイティブな世界を教えてくれたのが、彼だった。

 ※4 Sly & the Family Stone:アメリカの人種・性別混合編成バンド

佐藤:今福龍太さんを受け入れていく土壌が高校までに耕されていたんですね。

飯野:あと、彼は奈良とか自分の生まれにフィーチャーして、土地との交わりの上で、いろんなことをやっていたのね。時に宗教的とか思われるくらいの『shamanippon』という作品とかも出していて。そこで、大学で知った言葉を出すと、彼は右傾化したのかって思った時期もあったんだけど。

神宮:ああ。

飯野:彼はナショナリストなのか。ナショナリズム的な面も持っているのかって思ってしまって。でもそれを考えた時、EXILEが天皇の前で国歌斉唱したり、『Rising Sun』歌ったりしていたのと比較すると、堂本剛は違って、『shamanippon』で、「漢字の“国家”ではなく、カタカナの“クニ”を僕らは持たなければいけないんだ」って言っていた。なるほど、彼の思想は、今福龍太とか左派の知識人が批判するようなナショナリズムとはまた違うアプローチで共同体を推し進めようとしているんだと、彼から学んだ気がしてて。

佐藤:つまり、大きな国家ではなく、小さな共同体を表現しようとしていたということなんですかね。

飯野:そういうことだと思う。学ぶと自分の好きなものを削ぎ落としていかなければいけない瞬間ってたくさんあって。だけど、彼は最後まで残ったんだよね。アイドルという資本主義的な消費される存在でありながら、すごく身軽な振る舞いで自分の核の部分を見せているその“幅”、”生き方の幅”がすごく魅力的なんだよね。前、これを神宮くんに話したら、共感してもらえたところでもあったよね。

神宮:そんな感じだったね。

飯野:自分の文化的な部分、精神性と悩みが、どう今福龍太に接続されたかを一部切り取るとこんな感じかな。

佐藤:大学での今福先生の下での学びに繋がっていったわけですね。すごい感性ですね。

神宮:僕も今思い出したんだけど、高校の時すごく本読んでたんですよ。今は全然読まなくなっちゃったんだけど。それは、電車の本数が少ないから待ち時間があって、駅に大きい本屋があったから、よく読んでいたんだよね。今思うと、僕の高校の雰囲気に似ていたせいか、影響を受けたのが金城一紀の小説なんだけど。

佐藤:『GO』書いた人ですよね?

神宮:そうそう。その金城一紀の作品で、僕が好きなのは『ザ・ゾンビーズ』というシリーズ。男子校の奴らの話で、落ちこぼれの奴ら、社会の中の弱者と言われるような立場の連中の話なんだけど、そいつらがすごくかっこよくて。出てくる登場人物が全員、社会の中で被差別対象になるようなバックグラウンドになるような人が出てくるのね。韓国とかフィリピンのハーフとか、家が貧乏とか、あとは勉強できないとか。だけど、そいつらが言うことがめちゃくちゃかっこいいの。それに、すごく感化された。

飯野:いつ読んだの?

神宮:高校1,2年の時とかかな。そのシリーズが『レヴォリューション No.3』『フライ,ダディ,フライ』とかかな。

佐藤:『フライ,ダディ,フライ』って、V6の岡田くんと堤真一が出演した映画の原作ですね。

神宮:そうそう。岡田くんがイ・スンシンという在日コリアンで、その取り巻きたちが「ザ・ゾンビーズ」なんだよね。

佐藤:そのシリーズだったんですね。

神宮:そう。そこで出てくるセリフがめちゃくちゃパワフルで響くんだよね。僕が一番好きなシリーズで、彼らの仲間の一人のヒロシくんが死んじゃう回があって。彼は歯磨きをしなかったんですよ。それで、歯医者にも行きたくなかったから、虫歯から膿みたいのができて死んじゃうんですよ。彼はすごく人格者なのに、虫歯を放置したが故に死んじゃうみたいな。すごいふざけた話なのに、泣けるんですよ。

佐藤:なぜですか?

神宮:ヒロシくんが死んだのをみんなが泣いて悲しんでいるときに、フィリピンのハーフのやつが「ヒロシが早く死ぬのは当然だ」って言うのね。「ヒロシはソウルが強い。神様はソウルが強いやつを近くに置いておきたいんだ」みたいなことを言うんだよね。そのソウルが強いやつを近くに置きたいって言うのに、やけに響いて。俺もソウルの強いやつになりたいと思ったのね。早死にしたいわけじゃないけど(笑)。

佐藤:なかなか珍しい言い方ですね。

神宮:一般的な価値観として、長生きするとか財産を持っているってことよりも、ソウルが強いっていうざっくりしたことに純然たる正しさみたいのを感じたかな。いつ神様に呼ばれてもいいような、ソウルの強さを持っていたいとは思ったから。それもまた価値観がひっくり返った瞬間だったかな。

Part2へ続く>

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

いかがでしたでしょうか。
Part1では、それぞれの高校時代の経験についてお話を伺ってきました。
次回のPart2では、お二人が出会った大学時代、そして"師"との出会いについて教えてもらいます。
ぜひ、お楽しみに。

飯野 純平(いいの じゅんぺい)
1992年6月23日生まれ、東京都小金井市出身。東京外国語大学卒。在学中に書物に導かれて参加した今福龍太ゼミ、そこで神宮一樹と出会う。創作や旅を続け、北アイルランドの現代詩人研究をする傍ら、言語と教育に自身の生きる道を見出し、2019年から石川県能登町にて地域教育に従事。受験勉強の指導をする一方、言葉のあり方を考える時間を生徒と数多く共有。能登をフィールドとした言語活動、書道パフォーマンスの共作等。3年を過ごし故郷ともよべる存在となった能登を離れた現在、高校生対象の教育現場にて自身の言語教育スキルをさらに磨きつつ、「街の言葉屋」として活動中。大切にしていることは「詩をものすことではなく、詩に生きていられること」。

神宮 一樹(じんぐう かずき)
1992年6月23日生まれ、埼玉県深谷市出身。東京外国語大学在学中、今福龍太ゼミで、飯野純平と出会う。留学先のイタリア・ナポリで、街それ自体が孕む演劇性に魅せられる。身体マイムとイタリア仮面劇を学ぶ傍ら、刑務所や過疎集落など、<今、ここで>あり得る表現に触れる。石川県能登町でのワークショップを経て地域教育に興味を持ち、2020年より愛媛県伊方町公営塾にて高校生と学びを共にする。主に英語を担当し、即興性や言語を通じた文化考察を重視した指導を心がける。2023年より、埼玉県秩父市にて高校魅力化コーディネーターを務める。「人が人といること。人が人としてあること。」を大切にしながら、<今、ここで、あなたと>だからこそありうる表現を模索中。

取材・執筆・編集:佐藤 悠


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