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安土城~近世の始まりを告げた城

 安土城は、織田信長が築いた城としてあまりにも有名です。

 昨年、彦根城や観音寺城と一緒に訪問しようとしたのですが、台風の接近で安土城だけ断念。今年リベンジしてきました。

 まもなく安土城の発掘調査が始まるとのことで、現在の安土城の姿がみられる最後のチャンスだろうと思い、酷暑をおして登城しました。


壮大な大手道

 JR安土駅から徒歩約15分。まず目に入るのが、大手門西側の石塁です。

 門をくぐると方形の狭いスペースに入り込む桝形虎口になっています。
 入城の受付(摠見寺が管理している)を済ませると、まず壮大な大手道が目に入ります。

 大手道の右側には伝前田利家邸跡、左側には伝羽柴秀吉邸跡があります。信長は、安土城の麓に家臣を集住させていました。

伝羽柴秀吉邸跡

 伝羽柴秀吉邸跡には礎石も見え、有力家臣として立派な屋敷を構えていたことがうかがえます。

本丸への登城路

 大手道を登っていくと、幾度か直角に曲がることを強いられます。どちらの方向を向いても壮大な石積みが目に入ります。

 石材として転用された石仏も、発見当時の状態で保存されていました。

 安土城中枢部に入る黒鉄門跡にも桝形が見られます。

 二の丸から本丸に向かう途中でも、見事な石垣が目に入ります。

天下人の夢の跡

 そして、最大の見所は本丸の天守台でしょう。かつては壮麗な天守がありましたが、今では石垣と礎石だけが残っています。

 天守台からの眺め。現在は埋め立てられていますが、かつては琵琶湖の水が城の直下まで入り込んでいました。

貴重な現存建築

 本丸から降りていくと、城内に建立されていた摠見寺の跡に行き当たります。

 摠見寺の三重塔(1454年建立)と二王門(1571建立)も見学できます。いずれも安土築城前の建立ですが、のち安土城内に移築されました。信長の時代を知る貴重な現存建築です。

三重塔
二王門

 安土城の城域は広大でしたが、発掘・公開されているのはわずかな領域に過ぎません。しかし、今秋から本格的な発掘調査が始まるとのことです。

 特に、本能寺の変の直後に天守が焼け落ちたと伝わる天守台の北が初めて調査されます。謎の多い安土城の実像が解明されるかもしれません。


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