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中国はなぜシーパワー国家ではないのか

 ランドパワー、シーパワーは地政学の用語で、ざっくりと陸軍の力や海軍の力を意味します。中国に関しては、近年急速に海洋進出を目指しているものの、歴史的にはランドパワー国家であるという認識が共有されていると思います。

 長大な海岸線を持ちながら、中国は外洋進出に積極的でなかったとされます(元寇や、明代の鄭和の遠征などは例外的)。

 なぜ、中国はシーパワー国家にならなかったか。北方の遊牧民の脅威にさらされていたこともあるでしょうが、さらに地形的な面から考察することも可能かもしれません。

 中国大陸には黄河と長江という大河があり、上流から大量の土砂を運んできます。黄河と長江は黄海に注ぐため(※)、黄海沿いは土砂の堆積によって遠浅の海が広がります。

(※)現在の黄河は渤海に注いでいるが、1855年以前は流路が違い、黄海に注いでいた。

 海が浅いと大きな船は座礁してしまうため、天念の良港には乏しくなります。中国史における政治の中心は華北ですので、華北を拠点とする王朝には、外洋進出の発想は起きにくいと考えられます。

 隋の煬帝が、華北と華南を結ぶ大運河を建設したことは有名です。地図だけみれば、海路と川で運んだ方が早そうですが、上記のことを考えれば納得がいきます。

 一方、江南の東シナ海沿岸は海岸線が入り組んでおり、広州や泉州といった港町が多くあります。また、山地が海岸近くに迫っており、平地が少ないことから、農業よりも商業に従事する人が多く、交易が発達しました。

 しかし、江南の開発が本格化したのは宋代以降であり、以後も政治の中心はほとんどの期間華北にありました。江南でさかんだった海外交易も、基本的に民間によって担われました。明や清といった王朝は、それを統制する立場でした。

 中国の歴代王朝が、国家として外洋進出に消極的だったのは、地形的な背景も大きいのではないかと考えています。

(下の書を参考にしました)


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