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ボスニア紛争と知られざるPR作戦⑥~シライジッチ外相の大変身

前回はこちら。

写真=ハリス・シライジッチ。外相ののち、ボスニア国家元首も務めた。

シライジッチ外相の失敗

 ボスニア・ヘルツェゴビナ政府に協力し、セルビア人の非道をアメリカ世論に訴えるという仕事を引き受けたジム・ハーフ。彼の最初の課題は、ボスニアからやってきたシライジッチ外相の「改造」であった。ハーフの人脈があれば、シライジッチをメディア出演させることは可能だ。だが、そこでの訴え方を誤れば世論の共感を得られない。


 1992年5月19日、シライジッチはNPC(ナショナル・プレス・クラブ。全米のジャーナリストたちの互助組織)で初めて単独記者会見を行った。しかし、前述したように会見は不調に終わる。米ジャーナリストたちが、バルカン情勢について興味も知識も乏しかったためである。


 いら立ったシライジッチが、紛争に対するアメリカ人の関心の低さについて不満を述べる場面もあった。心情的には理解できるが、せっかく集まってくれた記者に不満をぶつけるのはよくない。


 だが、英語を流暢に操り、見た目もスマートなシライジッチは、広告塔になるポテンシャルがあった。ハーフは、彼にアメリカ流のPR術を伝授し、効果的な伝え方を身につけさせていく。

PRは「短く分かりやすく」が基本

 学者出身のシライジッチは、難しい話を長々としてしまう癖があった。確かに、旧ユーゴ紛争は複雑であり、歴史や民族、地理の説明は必要であろう。だが、これはPRの素人の発想である。一般の視聴者は、難しい話に興味はない。逆に、短く分かりやすい言葉(=サウンドバイト)には食いつく。
 ハーフは、シライジッチに対して、サウンドバイトを作りやすい話し方を特訓した。数秒~十数秒のうちに分かりやすいキーワードを埋め込む話し方である。
 高木氏の著作には、インタビューでシライジッチが語った言葉が紹介されている。


「もし、キャスターの質問に当意即妙に答えてしまえば、私が頭が良すぎる人間であるか、事前に答えを用意していたのだ、という印象を与えることになります。それでは、効果が半減してしまいます」


 シライジッチは、効果的な間の取り方を身に着けていたのだ。

「間」を大切にした演技派

 彼の話し方については、上の動画が参考になる。戦闘で6人の子どもが犠牲になったことについて聞かれ、シライジッチはすぐに話し始めない。そして、感情的にならず紳士的に「子どもが殺されたことは、セルビアの侵略者がやり方を変えていないしるしだ」といった内容を回答する。十分に間を取り、抑制した話し方をすることで、視聴者は怒りと悲しみを共有することになる。


 多くのアメリカ人にとって、ボスニア・ヘルツェゴビナは全くなじみのない国である。知的で物静かな印象の(それでいて、いけ好かないインテリ臭さがない)シライジッチの姿は、広告塔としてうってつけだった。

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