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地政学はなぜ20世紀初頭に生まれたのか

 国際政治を地理条件から理解しようとする試みが地政学(geopolitics)です。イギリスの地理学者ハルフォード・マッキンダー(1861~1947)は、「ハートランド」などの概念を提唱し、「地政学の祖」とも呼ばれています。

 彼が主著である「デモクラシーの理想と現実」を発表したのは1919年のことです。マッキンダーは、19世紀末~20世紀初頭にかけて、彼の政治理論をつくりあげていったといえます。

 地政学的概念の誕生に寄与した学者といえば、アメリカのマハン(1840~1914)やドイツのラッツェル(1844~1904)、スウェーデンのチェーレン(1864~1922)などを挙げることができます。いずれも、19世紀後半~20世紀初頭にかけて活動しました。

 彼ら以前にも、地理と軍事や外交を結びつける発想は古くからありました。マッキンダーに限らず、「19世紀末~20世紀初頭」という時期に上記の論者が現れ、地政学が創始されたのはなぜでしょうか。

 一つに、この時代が帝国主義の最盛期だったことがあります。各国の論者は世界の動きをリアリスティックに捉え、自国の戦略に役立てる必要に迫られていました。

 もう一つ、地政学の誕生の前提となる条件がありました。「デモクラシーの理想と現実」(曽村保信訳、原書房)からの引用です。

 現在、地球の各部についてのわれわれの知識はすでにほぼ完全なものになりつつある。われわれは最近北極点に到達して、それが深い海のまんなかであることを知り、また南極にも行ってみて、それが大陸の高原の上にあることを発見した。これら最新の発見によって、今われわれの先駆者たちの記録は、ようやく完結に近づこうとしている。

「デモクラシーの理想と現実」(原書房、P30)

 帝国主義と表裏一体のことではありますが、19世紀後半という時代は、西洋人による地理的探検が大きく進展した時代でもあります。もちろん、大航海時代以降西洋人は各地を探検していましたが、この頃には地上がほぼ探検し尽くされようとしていました。

 イギリスのリヴィングストンやスタンリーはアフリカ奥地、スウェーデンのヘディンは中央アジアを探検・調査しました。アメリカのピアリーは1909年に北極点に到達。1911年には、ノルウェーのアムンゼンが南極点に到達しました。 

 そして、マッキンダー自身も探検家の顔を持ち、ケニア山(アフリカ第二の高峰)の登頂にヨーロッパ人として初めて成功しています。

 19世紀末~20世紀初頭は、西洋人による地上の探検がしつくされ、地球の完全な姿が明らかになりつつある時代でした。言い換えれば、地政学に必要な「正確な世界地図」が完成した時代でもあります。

 地政学の誕生は、こうした世界史のマクロな流れの中に置くことができるのです。


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