三角関数の人類史⑤~懸け橋となったイスラーム文明
前回はこちらです。
※画像=フワーリズミーの像
花開くイスラーム文明
7世紀にアラビア半島で誕生したイスラーム教は、その後瞬く間に西アジア、北アフリカやイベリア半島に広まりました。
イスラーム世界は、東洋と西洋の間にあります。その地理的条件から、ギリシャ・ローマ、インド、ペルシャなどの古代文明にも影響され、高度な学術が花開きました。
数学は、イスラーム世界で発展した学問の一つです。私たちが使う「1、2、3」のような表記をアラビア数字(算用数字)といいます。インドが起源ですが、ヨーロッパ人がアラビアから学んだためアラビア数字の名があります。
また、英語の「algebra(代数学)」はアラビア語が語源です。これらのことからも、イスラームの数学がヨーロッパ文明に大きな影響を与えたことがわかります。
フワーリズミーの業績
イスラーム世界で最も重要な数学者の一人がフワーリズミー(780頃~850頃)です。中央アジアのホラズム出身で、フワーリズミーとは「ホラズム出身の人」という通称です。
当時のアッバース朝7代カリフであるマアムーンは、首都のバグダードに「知恵の館」という図書館・学術施設を作るなど、学芸を保護した君主でした。フワーリズミーは、マアムーンに招かれてバグダードで研究を行い、数学や天文学の分野で数々の業績を残しました。
その中には、三角法に関するものも含まれています。サイン、コサインの数値の正確な表をつくり、タンジェント(tan)の数表も初めて作成しました。
「アルゴリズム」という言葉も、フワーリズミーの著書に由来しています。
ヨーロッパ文明に与えた影響
イスラームの文明は、アリストテレスなどギリシャの古典も吸収していました。一方、中世のヨーロッパではキリスト教が至高とされ、ギリシャやローマの古典文明は忘れられていました。
しかし、ギリシャ語からアラビア語に翻訳されていたギリシャの古典が、アラビア語からラテン語に再翻訳されたことで、ヨーロッパ文明は大きな刺激を受けました。これを12世紀ルネサンスといいます。
イスラーム文明は、ヨーロッパにギリシャの古典を伝え、さらに独自の成果を伝えました。これは、後のヨーロッパで発達する近代科学にも貢献するものでした。
(続く)
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